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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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小◯ 桜山問題によせて(前編)
(記/なるほ堂)

「俺たちは殿様の私有物ではない」
──切牛弥五兵衛(一揆指導者)

1-1


「小◯」と書いて、「困る」と読む。

弘化四年(1847年)、南部藩政の改革を訴え、この岩手の地で起こった我が国最大級の一揆にして、日本近世史上唯一の「勝利の証文」を得た「南部三閉伊(さんへい)一揆」の参加者たちが掲げた「筵(むしろ)旗」に記した文字である。

計133回──江戸時代に於ける一揆最多藩として名を残す南部藩。その原因を当地ならではの冷害・凶作に求め、一揆を以て「飢饉に窮した百姓らによる暴動」と一重に括る向きもあるが、それは些か見当が違う。

南部藩政下270年を通じて断続的に起こった飢饉と一揆、それらは時期としてリンクせず、そもそも古文書や絵図を一目すれば瞭然だが、餓死者が累々とする凄惨な飢饉下の農村に一揆を起こす余力など無い。飢饉を舐めちゃあいけない。

殊に、参加者1万6千人余の約半数を以て仙台藩に越境、強訴するという高度な戦略性、組織性を持った「南部三閉伊一揆」に於いては、その参加者は農民だけに留まらなかった。またその要求も、

「度重なる御用金や臨時税の撤廃、多すぎる役人の減員」
「三閉伊を幕府直轄地か、さもなくば仙台領に」


などといった、これは極めて政治的な「領主否定の市民革命」だったのである。


1-2

領民たちが命を賭して蜂起した背景、その根源には南部藩代々の苛政者による、長年の放漫財政にあった。

幕閣有力者への多額の付け届け(東北の雄・伊達への対抗心に由来する官位叙任工作)に始まり、1808年には「元・支族」と見下していた津軽氏の所領、隣接する弘前藩が「南部と同格の10万石に御加増」と聞くや、自領内の実収入を全く度外視して、南部藩は不相応にも石高20万石の大名へと「高直り」を断行。

その結果、藩の対外的な格式、例えば藩主が将軍に謁見する際の「控えの間」のランクなどは格上げされたが、当然その分の幕府への御用金や労役負担(参勤交代や蝦夷地出兵など)も「二倍増」となり、相変わらずの凶作続きによる不安定な年貢収入と、それに対して場当たり的に大量発行された藩札「七福神札」に拠るインフレも相まり、江戸末期に於いて南部藩の財政は破産寸前にまで追いやられた。

そんな「失政」のツケを払わされたのが、彼ら領民であった。

南部家の「見栄」に由来する負債を賄うため、彼らに課せられた重税、新税や御用金……連年の凶作対策も、これといって藩より為されぬがままに。


1-3

そもそも、その飢饉にしても藩の失政が招いた「人災」では無かったか。如何に米本位制の江戸時代とは言え、南部領は当時の「水稲北限地域外」である。にも関わらず、

「左様なる僻地が領地たる事は面目ならん」

とばかりに地域性を無視し、全国一律の水稲生産などを強制すれば、さすれば連年の凶作は自明であろう。

詰まる所、「コンプレックス」なのである。

京や江戸の文化に憧れる一方で、

「(辺境の蝦夷地である)御国を汚土の如くお嫌い遊ばれた」

という南部の殿様の劣等感。

だからこそ内を見ずして、内にある独自性やその価値を鑑みること無くして、ただただ他所様並み、他所様風にと「外っ面」を虚飾し、そのツケ払いを領民に強いてきたのだ。

そんな南部藩の亡霊が、再び現れた。

『市が勘定所の復元構想 昭和風情醸す盛岡・桜山地区』

昭和の風情を残す盛岡市内丸の桜山神社参道地区で、城跡のシンボルだった土塁や勘定所などの復元構想が持ち上がっている。市は策定を進めている史跡盛岡城跡保存管理計画に構想を盛り込む方針を表明。藩制時代の中心地区をアピールし、観光振興につなげることが目的だ。しかし、同地区は飲食店を中心に約100の店舗が立ち並んでおり、復元が実現すると、立ち退きを余儀なくされる店も出てくる。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/03 岩手日報】

戦後より続くレトロな町並み、盛岡市民のソウルフードとしても名高い「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)発祥の店『白龍(パイロン)』擁する「桜山商店街」に、立ち退きを含む「再開発」を行い、拠りにもよって、かつての南部藩による数々の悪政の発信地であった「勘定所」を復元するという市の構想である。


─────────────────────────────


2-1

住民目線、住民の生活を蔑ろにし、観光振興、即ち「中央目線からの評価」ばかりを上げたがる現市政の様に、私はかつての南部藩主たちの姿を見る。

それは今回の「桜山問題」にて始まった話では無い。

先の「岩山漆芸美術館」問題では、ヨン様云々に踊らされ、結果副市長が引責辞任するに至った。

ボート数のギネス記録大会へと肥大化した「北上川ボート下り大会」は今夏、前日の大雨によるダム放水の最中に決行され、結果その安全管理体制が転覆事故に対処出来ず、途中にて中止となった(市はあくまで原因を悪天候とし、参加費は返還せず)

かの「さんさ踊りパレード」に至っては、10年近く前から主催者・盛岡さんさ踊り実行委員会が、独自の計算式にて、ねぶたや七夕など東北の他の祭りに負けない客数を「捻出」している行為を、市は是認している。

一部サンプルエリアで数えた人数を会場面積で均した数字の上に、何故か「開催中に4回人が入れ替わった」と看做して「4倍」し、更には主会場の隣接する地域にも「4割の人が訪れた」と上積みし、その結果、2008年度の「さんさ踊り」には「116万人」の人出があったと発表された。不測の事態に備え、正確を期して算出された県警発表の「16万人」との差は、なんと「100万人」だ。

よしんば観光振興を是としても、この様な現市政の姿勢、観光振興目的の為ともなれば容易に後先見失う体質を鑑みれば、彼らはその舵取り役には不適格と言わざるを得ない。


2-2

そもそも市が目論む観光案内所、土塁や勘定所の再現(といっても、間取りくらいしか資料が残存していない)等による観光客への訴求効果など、一体どれほどのものだろうか。

今や全国的にも希少なレトロな町並みである桜山商店街は、その魅力から多くの若き商店主らが集い、大いに活気に溢れ、また「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」発祥地として内外にも広く知られており、既に盛岡の観光資産として確固たる地位を得ている。例え「さんさ数式」を用いて100万人を加算せずとも、その集客効果は決して小さくないだろう。

それを潰してまで断行するほど、「盛岡城址の観光整備」に価値はあるのか?

しかも、今年7月の史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会より提出された保存管理基準案(※盛岡タイムス記事参照)の一文、

「史跡整備や活用に関する現状変更の許可」

を根拠とし乍ら、しかしその前にはっきり明記された、

「(桜山参道地区には)戦後に形成された商店街が存立しており、長期的に保存と活用を進める必要がある」

という箇所を無視すると言う、阿漕な真似までして。

今回の保存管理基準案では、ようやく商店の内装、外壁、配管の改修、改築が可能になるはずであった。しかしそれを以て役所曰く、

「じゃあ、この商店街自体をきれいさっぱり掃除しましょう」

では、今まで穏便を以て表現を抑えてきたが、こう書くより他に無い──正に外道


2-3

そもそも盛岡市の観光の中心に、旧支配者である南部藩の象徴・盛岡城址を据える事自体に、私は疑問を呈さずには居られない。

家督争いで藩分割を招き、愛人との痴話喧嘩で幕府に遅参して処分され、リストラする家臣選定の際は「目隠し」をして名簿に墨を入れるなど、醜聞ばかりに事欠かぬ南部藩には、現在誰一人として「名君」として顕彰される者は無いだろう。

飢饉下での恵みの鮭も、対外的な特産品として藩が独占。贅沢だから庶民は蕎麦禁止。盛岡に遊廓を建てちゃうぞ。地元の大関も、些細な事で処刑しちゃうぞ。辻斬りだってしちゃうぞ。冷害で米が取れない? それなら京伝来の南部鉄瓶で茶の湯をたしなめばいいじゃない──などといった、一部に巷間伝承含み乍らも、幾多の悪評に塗れた南部藩を復古する様な盛岡城址整備計画など、観光振興としても、現盛岡市民の在り方としても、凡そ「的外れ」と感ずる。

「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし十五の心」

かつて、盛岡城址にてそう詠んだ啄木。盗んだバイクで走り出した尾崎豊の先達である。十五の夜。私は無理のある観光地化よりもむしろ、その様に、

「授業をサボって寝転んでも、誰に見咎められる事無き静謐な場所」

として先人たちに愛されてきた盛岡城址・岩手公園を、そのまま現状で後世に残す事こそが正しい在り方と思うのだが、如何だろうか。


2-4

さりとて、当方としては斯様な「当たり前の感覚」を、決して共有出来ないであろう階層がこの盛岡に存在する事は理解している。例えば、「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」という現市政の方向性を後押ししている盛岡商工会議所。

盛岡の商業の特性は、南部藩政時代に創業してその庇護を受けた商家が、一部に業務形態を替え乍らも、現在まで脈々と存続しているという点にある。某大型デパート、某南部鉄器店、某文房具屋、某薬局など諸々である。彼らにとっては、盛岡城はあくまで「かつての主君、お殿様の居城」なのだろう。

その立ち位置を否定はしない。270年に渡る一揆と飢饉の波を乗り越えて、代々続いてきた百姓の血脈に生まれた自分とは、歴史観が違って当然だろう。

だが、敢えて一言申したい。

盛岡商工会議所は、現在NHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』の続編誘致運動を展開している。「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」に豚バラ肉という「暴挙」に及ぶなど、決して出来のいいドラマでは無かったが、しかしかのドラマは、時流に乗って「取って付けた様な観光開発」にノーを唱え、歴史ある「古き良きもの」を大切に残そうという老舗旅館若女将の物語では無かったか? 

その続編誘致が単に「観光客誘致のアイテム」としてではなく、真摯にドラマの意に呼応した運動ならば、商工会の推す「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」を名目として、「60年もほぼそのままに続くレトロ商店街」という、正しく「古き良きもの」の破壊を目論む現市政、その代わりに観光案内所や団体客向け大型飲食施設の建設や、土塁や勘定所の想像に基づく再現といった「歪んだ観光開発」を推進する現市政に、ノーを突きつけねば嘘になる。

商工会諸君らは、今一度考えるべき時である。現在の己らの姿が、『どんど晴れ』に於いて旅館乗っ取り屋の片棒を担がされたボンクラ坊ちゃん経営者「伸一さん」に重なっていないかと。

そして、気付かねばならぬ。今こそ「古き良きもの」を守る為に、立ち上がるべき時であることを。それこそが『続・どんど晴れ』なのだ。作り話では無い現実のドラマ──俳優では無く、盛岡市民である自分たちが主人公、出演者となって。


【後編に続く】

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by tototitta | 2010-10-11 18:08 | 日々日常 | Comments(0) | ▲ TOP
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