(記/なるほ堂)
■水は低い方へ流れる
まずは現在の署名活動を受けて、晴れて現桜山界隈商店街地区を「商業用地指定」に変更いただき、その後桜山神社との借地契約が切れる2014年までに、将来的な計画、つまり「どのような形で商店街を残していくのか」を、当事者同士で話し合っていただく、それが自分の希望する今後の道筋だった。
何だかそうも言っていられないらしい。
現在1年ごとに契約している市所有地部分の賃借について、市は翌年度の更新に難色らしく、また背後に市長が控える桜山神社も、2014年以降の契約延長を呑む目は無いだろうとのこと。
新たに協議機関の設置を提案し、一見して軟化に映る市側だが、しかし商店街の生殺与奪権を持つ彼らは、とうにその
「余命」を定めている。例え今の公園案が「白紙」になっても、彼らは賃借の「停止」だけで商店街を殺せるのだ。
商店街側が協議という市の秋波を、現時点で撥ね付けたのは賢明だった。一部ではトーンダウンとも評される市側であるが、しかしそれは勘定所風建物といった類について。
「史跡は史跡らしい姿に整備する」
という計画案を堅持し、その余命をカウントダウンし乍ら、
「現案を叩き台とした修正案」
以外は話し合いの余地なしという態度は揺らいでいない。
予め死を定めた上での協議会は、協議会では無く、言わば住民招待の
「お墓の選定会」である。住民の望みを一同に集め、同時にその一つ一つを「無理」と書いたハンマーでモグラ叩きし、ようやく皆が静まったところで、各種「現行案を叩き台とした墓」を揃えたパンフレットを示し、さっさと彼らの「道理」を通すセレモニー。
しかし、それを拒否したとしても、市は計画遂行への手順が一つ増えるだけに過ぎない。市は、住人から借地権を取り上げ、彼らを不法占拠者に変える事も可能なのだ。商店街が自らまな板に上るのを拒むなら、現在の「良き死神」の風情から「無慈悲な死神」へと変貌し、地権という生殺与奪権を以て、商店街を解体せしめるだけのこと。
例え水を塞き止めても、濁流はそれを越え、結局は低い方へ流れる。
ならば、
「別の水路」を用意する必要がある。
死では無い、生に向かって伸びる水路を。
■別の水路
勿論、当事者の頭越しに
「代案」を提起する事には憚りはある。何を以てこの桜山問題に於ける勝利とするかは、住民たちが決定すべきこと。生活者である彼らの選択に、無遠慮に口を挟む立場には無い。
そこに至るプロセスも然り。下手に現段階で二者択一を迫るよりも、先ずは市に「史跡は史跡らしい姿に整備する」という考えを撤回させ、全てをゼロベースとした上での協議の中で、商店街維持に適う具体的な計画案を、市と協調して見出そうというのも、一つの賢明なやり方である。
しかしその一方で、既に署名に参加した人の多くが望み、先のアンケートでも盛岡市民の40%が望んだ
「今のままの風情の商店街の維持」という「希望」が、一向に肉付けされた「代案」として見えてこない事への忸怩(じくじ)たる思いは拭えない。例え現計画案を白紙撤回したとしても、その代わりの計画案が見えない現状、それは現在の市側の硬直的態度の一因でもある。
本当に「今のまま」を望むなら、如何なる計画案を以てそれを為すのか。
その計画案を見出すことは、実際に可能なのか。
よって、商店街の意向はそれはそれとし乍らも、一方で「今のまま」を叶える為の代案、即ち要求の試案を研究考察する事は無為ではないと考える。
例えば、史跡も公園も解除が難しいなら、また更に構造物に「文化財」という制約を被せてしまおうという、まア端的に言えば、
桜山界隈商店街を、
『地方公共団体指定の有形文化財』へ
──というのは、如何なのかと。
■地方公共団体指定の有形文化財
各種保存建造物に於いて、いわゆる
「◯◯文化財」には、以下の3つの形態がある。簡潔に紹介すると、
重要文化財(文化財保護法・第27条第1項)
有形文化財の内、文部科学大臣が重要として指定する文化財。
例:啄木・賢治青春館(盛岡市中ノ橋通)
登録有形文化財(同・第57条)
文部科学大臣により、文化財登録原簿に登録された有形の文化財。国レベルで厳選する重文指定制度のみでは不十分であるとして、一歩引いて届け出を「登録」するという形で、より幅広い保護を図るべく設けられた制度。主に近代の建造物が登録される。
例:米内浄水場水道記念館(〃上米内)
有形文化財(同・第182条第2項)
『地方公共団体は、条例の定めるところにより、重要文化財、重要無形文化財、重要有形民俗文化財、重要無形民俗文化財及び史跡名勝天然記念物以外の文化財で当該地方公共団体の区域内に存するもののうち重要なものを指定して、その保存及び活用のため必要な措置を講ずることができる』
──という条文に則り、地方公共団体が指定した有形の文化財。
例:木津屋池野籐兵衛家住宅(〃南大通り/岩手県指定有形文化財)
啄木新婚の家(〃中央通/盛岡市指定有形文化財)
上記の3番目、つまり現在の
「盛岡市文化財保護条例(リンク参照)」に基づいて、現在桜山参道地区に群立する商店街の建造物を
「盛岡市指定有形文化財」に認定し、それを以て商店街の現状維持を図るよう市に要求する、そのような要求を「現状維持派」の旗印とする──それが今回記すところである。
ちなみに
「桜山商店街は既に史跡盛岡城址の範疇であり、重複した文化財指定は不可能では無いか」と言う問いに対しては、
・昭和12年に史跡に指定された際には、これら上物
(うわもの)は存在しなかった
・名古屋城の様に城跡一帯は史跡とし乍らも、その上に立つ建造物は重要文化財と、
各々の性質によって個別に文化財指定している例がある
などの点から、現状で商店街建造物は史跡指定の範疇には無いというのが当方の見解である。また、先に文化庁はこれらの建造物を
「史跡を構成する主要な要件以外の物」とした上で、文化庁の許可無くとも現状変更可能としている事からも、必要ならば再調整の上、
「これら建造物は、史跡に含まれない」という確認を得るのは可能と考える。
■なぜ、盛岡市指定有形文化財か
数ある文化財形態の中で、なぜ
「盛岡市指定有形文化財」に着目したのか。しかしその前に、そもそも
「桜山界隈商店街は文化財に相当するのか」への見解を示す必要がある。そもそも「文化財」とは何か、
「文化財保護法」より以下を抜粋する。
文化財保護法 第2条第1項第1号
第二条 この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。
1 建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)
つまり、桜山商店街の建造物を、大戦後に日本中に発生した簡易店舗から始まり、昭和の佇まいを今に伝える
「我が国にとつて歴史上価値の高いもの」と考え、その周辺群を
「これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」と考えるならば、桜山界隈商店街を文化財相当としても差し支えないというのが、当方の考えである。
その上で、なぜ
「盛岡市指定有形文化財」を選んだのか。
理由は、その指定判断を所管する組織にある。「重要文化財、登録有形文化財」の場合、その所管は市の外部(文化庁)であるのに対し、盛岡市文化財保護条例に基づく「盛岡市指定有形文化財」の場合、所管は
盛岡市教育委員会と
盛岡市文化財保護審議会である。
つまり、標的(まと)は小さく、見えるところに、そしてハードルは低く。
何より、この問題で現状維持派の最大の武器となりうるのは、それを推す「市民の声」である。ぶっちゃけ、建築物の客観的価値ではない。じゃじゃ麺の味の様に、簡単に外部の人間がその文化的価値を理解するとは期待し難い。
ならば、例えば
「伊賀市庁舎の保存運動(※)」の様に、文化庁への「登録有形文化財申請」を市に要求する戦法、即ち市外戦や空中戦に持ち込むよりも、いたずらに戦場を拡大せず、「市民の声」が最大限生かされる
「市内戦」を選んだ方が吉との考えである。
【
『文化財・桜山界隈商店街』の研究(下)へ続く】