(記/なるほ堂)
【
小◯3 『文化財・桜山界隈商店街』の研究(上)より続く】
■文化財保護法の近年の推移と精神
昭和50年、文化財保護法の改正によって
「伝統的建造物群保存地区」の指定制度が発足し、京都の「伊根の舟屋」に代表されるような、
周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群(文化財保護法第二条第1項第六号)
つまり歴史的な集落や町並みもまた、「保存価値のある文化財」と認定された。
更に平成17年、同法改正によって
「重要文化的景観」の選定制度が発足し、徳島の「樫原の棚田」や本県の「一関本寺の農村景観」のような、
地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第二条第1項第五号)
もまた、文化財の一つに加えられた。
前者は「伝統的な建造物」、後者は「風土により形成された景観地」と、桜山商店街は直接的にそれらの範疇には無いが、しかし上記の推移を見れば、近年の文化財保護がその対象を積極的に拡大している現状が窺える。歴史上のモニュメント的な建築物のみならず、住民生活に即した住民文化の保全へと。
また、その建築年代も然り。前述の
「登録有形文化財」に関し、平成17年の文部科学省告示では、その登録基準を近代にまで拡げて
「原則として建設後50年を経過」とし、ならばその点に於いて桜山商店街は有資格である。
つまり、桜山界隈商店街の建造物を文化財に推す行動は、これら文化財保護法の近年の推移、精神に適うと映るのである。
■その他の保存認定(市指定保存建造物)
この桜山問題に際し、同様に保存建造物認定を唱える中で、他方では、
領民の明日食う米さえ取り上げた盛岡城址が史跡文化財ならば、戦後の貧しい食料事情下にあって、肉味噌うどんに胡瓜を乗せて庶民の胃袋を満たし、戦後の復興の一躍を担ったじゃじゃ麺の元祖『白龍』一帯は、
「国宝、世界遺産」こそが相応しい
──との声も聞く。つまり市指定有形文化財では、その価値に見合わないと。
真意に於いては自分も同感である。当地区は某浄土以上に世界遺産に相応しく、チータンタンに於いて卵を溶く技術は正に人類の無形文化財と、個人的には考える。その暗い路地界隈には、妖怪魍魎フォークシンガーといった絶滅危惧種、希少生物も住んでいる気がしてならない。
ともあれ、保存認定を受ける形態には上記の如く様々あり、中には「文化財」という認定を前提としないものもある。いわゆる
「自治体指定の保存建造物」である。
盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例
第1条 この条例は、自然環境及び歴史的環境(以下「自然環境等」という。)の保全等に関し必要な措置を講ずることにより、現在及び将来にわたり、すぐれた自然環境と永い伝統にはぐくまれた歴史的環境とが調和する個性豊かな都市環境を保全し、かつ、創出することを目的とする。
上記条例第8条では、その保存建造物を
「由緒、由来のある建造物又は都市景観上保存することが必要な歴史的建造物」と規定し、一部に文化財を対象としながら、市内の旧石井県令邸、徳清、茣蓙九、浜藤の酒蔵などを、独自に「盛岡市指定保存建造物」として、保存の対象にしている。
しかし、この
「盛岡市指定保存建造物」指定が、桜山商店街の保護に有効かと言えば、そこには疑問がある。道路拡幅工事を念頭に、
「徳清」はその一部が、
「浜藤私邸」はその全てが指定解除され、取り壊された(
盛岡タイムス)。その例を考えると、単純にこの指定が市の積極的な保全活動を担保するものとは思えない。
また、この盛岡市指定保存建造物の選定を所管するのは、
盛岡市環境審議会の意見を受けた
「市長」自身である点も、留意するべき処と考える。
■何処でボタンを掛け違えたのか
平成15年、政府は
「美しい国づくり政策大綱」を策定し、翌16年には
「景観法」を公布、それを受けて盛岡市でも、平成21年に
「盛岡市景観計画」と
「景観条例」の全面施行に至った。
その経緯の中で、一面的な「美しい国」は、一面的な「美しい街」という概念を産んだ。何処でボタンを掛け違えたのか、自分はそもそもの始まりを、そこと考える。
盛岡市景観計画にて、盛岡城跡公園とその周辺を規定している部分を、以下に抜き出す。
盛岡市景観計画 第3章 盛岡らしい景観を守り、創り、育てる
〜良好な景観の形成のための行為の制限に関する事項〜
3-6 歴史景観地域 3-6-1 盛岡城跡公園とその周辺ゾーン
盛岡城跡公園は、盛岡の象徴的存在であり、お城を中心とした城下町としての成り立ちを大切にするため、周囲の建築物等に対し、配置や色彩及び高さの景観的誘導により、城跡の石垣や緑が醸し出す落ち着きと風格に調和した景観の形成を目指します。(青字筆者)
先ずはここから再定義するべきでは無いか。
盛岡城跡エリアの景観に於いて
「大切にする」べき点は、その歴史的な
「城下町としての成り立ち」だけだろうか。往時の城は、飢饉や苛政で落命した何万もの人々の怨嗟の対象であり、それ故に現在も他所と違い、市井には所謂「旧主君の城」としての顕彰の念など更々である。ならばむしろ真に大切にするべき景観は、過去の圧政者が目指した姿──言わば
「負の歴史的景観」では無く、そこに市民たちが自力で築いた
「正の文化的景観」の方では無かろうか。
廃城、石垣、引揚者、闇市、バラック、じゃじゃ麺、桜山商店街──江戸の封建文化の上に、昭和の庶民文化が積層する盛岡城跡エリアは、今もその特異な歴史を現在進行形で刻み続けている。即ちその
「ハイブリット景観」こそが「盛岡らしい景観」の肝であり、今なおそこに生活の息吹あるからこそ、盛岡城跡は、今なお「盛岡の象徴的存在」なのだ。
どうにも近世近代現代とを区切った、言わば
「縦割り史学」の視点で計るから、おかしなことになる。交雑した文化を蔑む者らは
「破壊的文化浄化」を唱え、結局真の文化を殺してしまう。その意味でも、先ずは
「じゃじゃ麺を食え」
と言いたい。
麺は石垣、味噌は城、そこにラー油やニンニクを携えた一揆勢が攻め込む事により、じゃじゃ麺はその景観を為す。しかし、じゃじゃ麺の歴史はそれで終わりでは無い。城滅びし後、同じ皿の上に民衆自ら「卵」を溶く事により、新たにチータンの歴史が花開く。
麺、スープという二つの食文化のリレーが、一つのじゃじゃ麺文化を為すのだ。正に盛岡城址一帯の歴史文化そのものである。
市は桜山界隈商店街を、あたかも
「美しい街もりおか」の恥部としてきた過去を改め、その文化的価値の再認識を以て、改めて
「お城を中心とした街づくり」という計画全般を、より広い見地に立った現実に即したものへと練り直すべきである。その上で、市自らが文化財としての保護を──。
■まとめ
勿論、文化財としての保護が、全てに於いてバラ色であるわけでは無い。メリットに於いては以下が挙げられる。
・
新たな管理保存計画の下で耐震工事などが施され、現状を基本に整備が図られる
・晴れて市のお墨付きを得て、今以上の
観光アピールが可能になる
・地権者は
税制優遇を、住人らは管理修繕費用の
公的補助を受ける権利が発生する
しかし、逆の部分もまた当然ある。いや、関係当事者にとってはデメリットの方が大きいかもしれない。
・市役所は現行の
街づくりの改訂を迫られ、既に決まっているであろう工事業者にも御
免なさいしなければならない。
・市以外の地権者は、再開発に際しての
土地の買い上げを受けられない。
・商店主は、文化財である建築物利用に、ある程度の
制約を受け、またこれを機に
立ち
退き料で心機一転というのも叶わなくなる。
これらを思えば、かの
「鞆の浦(※)」の様に、文化財保護という当案もまた、新たな「保護という名の暴力」として地域を蝕む危険を孕み、むしろ住民の方から反対の声が上がる事すら予想される。
だが、上記の様に
「三方一両損」だからこそ、関係者各位は歩み寄れるのでは無いだろうか。自分はそこに一縷の望みを抱くのだ。
当方の案は、言わば張りボテの、荒唐無稽の類である事は理解している。現状で「今のままの風情の商店街の維持」という民意、我が意が向かうべき道筋が宙に浮いている事への危惧から、その方法論の研究を試みたもので、せいぜい今後の論議の
「呼び水」程度にでもなれば報われる程度のモノだ。
また、市民運動に於いては民意の先鋭化こそが重要と考え、その研究に於いては
「民意の受け皿となり得るか」を重視し、また
「専門家の検証に耐え得るか」は、意図的に軽視した部分もある。よって、上記案を積極的に推すべきと訴える気は毛頭ない。拙速な代案づくりを促す気も無い。
しかし、市側に「ゼロベースでの協議」を受ける様子が一向に窺えず、邪な懐柔や強権を以て、彼らが計画を成し遂げようとしている現状は鑑みねばならない。例えば「関係者間で合意案が形成されるまでは、現状を追認させる」というのも「無駄な時間稼ぎ」として受け付けないだろう。
ならば、やがては住民の総意としての
「具体的な代案」を提出せざるを得ない状況が予想される。その折は、どうか「何処ぞの門前町風に整備」の様な妥協案では無く、あくまでも「今のまま」を大前提とした対抗案の提起を望みたい。今、民意はそこにある。ならば商店街が目指すべき道はその中にあり、そしてその道筋は必ずあると信じる。
【了】