(記/minaco.)
先日、観て泣いちゃった映画があります。
『きみがぼくを見つけた日』(2009)。ベストセラー小説「The Time Traveler's Wife」(オードリー・ニッフェネガー著)が原作の、タイムトラベルもの。かなり少女漫画風な邦題に赤面するけど、多分主演レイチェル・マクアダムスの『きみに読む物語』と関連付けたのかもしれない。もしや今後「きみシリーズ」とか呼ばれたりして…。
恥ずかしいほどロマンティックな物語に、SF好きは小説『夏への扉』を思い出すらしい。タイムトラベラーを旦那にした奥さん(レイチェル・マクアダムス)と、タイムトラベラーなのに彼女と結婚しちゃった旦那(エリック・バナ)の愛の行方。かの有名なメロドラマ『君の名は』以上に、時空ごとすれ違う2人。旦那は自らの人生の時間軸をあちこちランダムに飛んでしまい、奥さんは彼の時間を共有しない限り一緒には居られない。つまり、非常にややこしい付き合い方ですわな。結婚には無理があるわな。
何でそんな無茶な結婚しちゃったのかとゆうと、奥さんが6歳の頃に28歳の旦那と出会ってて、まあ彼にとっては既に将来の嫁な訳で、そうゆう事になってるし…としか。ああややこしい。しかも、タイムトラベル時に彼は
全裸とゆうSFの決まり事がありまして、所構わず全裸のバナが出没する訳で。幼女時代の奥さんには全裸オヤジが運命の人な訳で。それもどうかと思うけど、ああSFは厄介だな。
てな訳で、いちいち時間や状況を把握するのもややこしい映画なんだけど、割と淡々と地味に展開していきます。小説ではもっと細かいエピソードや描写があるはず。そして、無事結婚した後から急展開。何せ旦那がちょくちょく過去や未来に出張しちゃうのは、やっぱり都合が悪い。知りたくない先の悲劇まで旦那は知ってしまうのだった。
タイムトラベルに有りがちな行動(過去に戻ってやり直すとか、未来を変えるとか)はこの映画では一切出来ない設定なんで、その悲劇を回避するのも無理。それはそれでやり切れない。但し、旦那がタイムトラベラーだと普通の人には持ち得ない希望が一つだけある。
実はここまでの話に感情移入出来るか否か、人によると思う。ワタシは(ラグビー南ア代表マットフィールドさん似の)バナが地味なタイムトラベラーに似合うと思うし、清潔感あるマクアダムスも良い。何より自分は「ダメ人間がささやかな希望を持つ話」に弱いんだが、もう一つ、
「現実に少しだけファンタジーの余地がある話」にも非常に弱いんだった。
そこで、この“タイムトラベラーの奥さん”に泣かされたのは、悲劇の後に持ち続けた希望が叶うラスト。現実は必然だけど奇跡がある。SFだし。しかも野原にアレが用意されてたものだから、グッときてしまった。“それを作れば彼らはやって来る”と告げられて、トウモロコシ畑の向こうから現れる往年のレジェンド達-----みたいな、まるで
『フィールド・オブ・ドリームス』じゃないか。
せめてもう一度とゆう希望があるなら、ワタシも赤い10番のユニをピッチに置いて待つか…なんて。どうやら、そんな痛すぎる事を連想しちゃったかもしれないな。ああ。
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