東アジア選手権[北朝鮮 1-0 日本]
なんか、Rマドリッド対東京ベルディのプレシーズンマッチを見ているようだった。互いのテンションが違い過ぎて。
でも、よく考えりゃRマドリッドの様に日本にとっては
来年のW杯に向けたプレシーズンマッチな訳で、国際試合で連敗続きだった北朝鮮(この辺もベルディだなぁ)とはモチベーションが違うのも当たり前。監督を胴上げしちゃうくらい入れ込んでた北朝鮮に負けたところで、大騒ぎするほどの事では無いでしょう。
そもそも、東アジア選手権なんてそんなもの。放送の方々は番組を盛り上げる為に大騒ぎするが(セルジオはナチュラルだけど)、大半のサッカーファンは裏が見えているはず。協会の日程作りとか見たって、これが勝たなくてはならない大会として位置付けているわけでは無いのは一目瞭然だもの。
とはいえ、こうやってブログに書き殴っちゃうわけだから僕自身悔しいって気持ちが一杯なわけだが。
で、失点に繋がった満男の、いわゆるパスミスについて。
このプレーがどう皆に映ったかは分からないけど、僕的には決して“軽率なミス”とは思わなかった。
それ以前の日本選手たちの
「取りあえずロングキックでクリア」ってのに僕は忸怩たる思いだった。
「それじゃ北朝鮮レベルですよ。もうW杯予選じゃ無いんだから、怖れ過ぎちゃいけないよっ」て。
だから、あそこからリスクを犯しても繋いで、それまで苦しんでいたFWによりよいタイミングでボールを送ろうという満男のプレーは有りだと思う。
つまり
敗因はリスクを犯して繋ごうとしたことではなく、リスクを恐れて繋ぐ事を忘れ、ただ蹴り返してればいいやって考えてた点にある、と考えるべきだと思うんだが。
そもそも、鹿選手よりも上手いはずの代表選手に、なんで鹿が普通にやっているようなボール回しが出来ないんだよ。恐がりなのか、それとも
岩政よりも下手なのかい? いみじくも日本代表を名乗っているからには、もう少し上のレベルで考えてプレーして欲しいと思うし、今回の事にショゲて満男にセーフティなプレーなんかして欲しく無い。杞憂だろうけど。
兎に角、もしも満男が軽率と言われるのなら、“周りの選手の意識の低さへの認識を欠いた軽卒さ”として考えるべきでは無いのかなあ。。。
で、この試合で思ったもう一つの事。日本代表に何が欠けているのか、について。
日本代表のプレーを見ていると、残念な事に
「音楽」を感じない。
例えば、ブラジルやバルサを見ていると常に選手たちのハートの中にサンバが流れていて、それが見ている僕らにも伝わって来る。オランダは楽天的なブラスバンド、トルコは勇ましいシンバルが響く行進曲、アイルランドやイングランドはパブの親父の大合唱に通じるし、リーガを見ていると闘牛のテーマを連想する。ポルトガルのサッカーがどうもセンチメンタルに見えるのはファドのせいかもしれない。
対して、日本は?
例えば海外のサッカー音楽のコンピレ−ションアルバムを聴くと、その国ならではのサッカーリズムが分かる。だけど、日本のミュージシャンがやっている、いわゆるサッカーソングって何処かの国の焼き直し的なものばっかりで(ま、日本のポップミュージックはそもそもそんなのばかりなんだが)、決して日本人のハートに直に響いてくるものとは思えない。ウルトラの歌ってる曲もなんか違うよなーって選曲が多いし。
でも鹿島には音楽を感じる。それは満男が指揮するリズム、彼は
鹿島のメトロノームのようなものだ。満男は日本では数少ない、リズムを感じながらプレーする選手なんだよね。満男が小学校時代にいた太田東サッカー少年団で、練習中ずっとサンバを流していたって事に由来するんだろうけど。
でも残念な事に、日本代表は満男の刻むリズムを受け入れてもらえない。カンツォーネ的ヒデとも合わないし、一人詩吟でも唱えているような俊輔とはさもありなん。
たかが音楽と言われるかもしれない。でも音楽を共有するって事は、それによって選手が常に同じプレーリズムを共有する事であり、すなわち細かいプレーのズレを防ぐ。音楽は攻守共に自然に息が合う魔法のようなものなんだ。
この先代表で満男がメトロノームとして機能するのが良いのか、それとも日本人選手の中で共有できる音楽を発見していくべきなのか、それは何とも言えない。
でも音楽が感じられない内は日本代表に期待は出来ないと思う。
(記/なるほ堂)