現在公開中のドキュメンタリー映画『皇帝ペンギン』を観ようかと、地元の映画館の上映時間をチェックした。すると……何と「吹き替え版」しかない!
残念だが私は観るのをあきらめた。仕方ない。いずれTVやビデオで観る事にしよう。「字幕版」を。
悲しいかな、大都市と違って地方の映画館では上映が何ヶ月も遅れるばかりでなく、最近よくある洋画の「字幕版」「日本語吹き替え版」を選択することすら許されないことがある。
両方あるなら迷わず「字幕版」を選ぶのだが、以前『スパイキッズ3-D』が公開された時にはやはり「吹き替え版」しか上映されず、泣く泣くそれを観たのだった。バンデラスの声を聞かずしてバンデラスを観た気になれようか!それでも上映されるだけマシと思うべきかもしれないが…。
盛岡は映画館通りがあるくらい映画ファンには恵まれた環境のようだが、所詮現状はこんなものだ。
映画館で観る映画は字幕に限る。それがまずスタンダードであってほしい。
バンデラスやG.クルーニーのセクシーな声がなければ、彼らの魅力は半減する。役者の演技は生声で楽しみたい。異国の文化にできるだけ直に触れたい。映画ってそういうものでしょ。
世の中には「吹き替え版」を好む人もいるだろう。私だってTVで放映される映画や、海外のTVドラマなら吹き替えを楽しむ。B・ウィリスならやっぱり野沢那智より荻島真一だよね、とか、ジョジクルは小山力也だね、とかプロの声優さんがアテる演技には敬意や好意を感じる。オリジナルとはまた別の独特の味があるのは面白い文化だと思う。
でも、もし観る人があのB・ウィリスの溜息のような微妙な台詞回しを知らないとしたら、それは残念だ。オリジナルあっての吹き替えなのだから。
百歩譲って、ロードショウ映画の吹き替えを演技もおぼつかないタレントがして、公開したとしても許そう。
でも、字幕版を選ぶ権利は奪わないでくれ。
映画業界の不景気打開策で様々な手段を講じているのかもしれないが、映画ファンを軽んじてただ敷き居を下げるのはやめて欲しい。敷き居を下げれば客は入り易いかもしれない。
だけど、寿司屋がサビ抜きばかり出していても仕方ないだろう。いずれ自分の首を絞めることにもなりかねないとも思うのだが。
話はちょっとそれるが。難解な映画は、解ればいいってモンじゃない。観る人の感性で自由に観ればいいだけだ。(いつか「私の映画はまるで星を見るように観てもらえればいい」とゴダールが言っていた気がする。私もそう思う。)
『2001年宇宙の旅』を初めて観た時、私は途中で眠ってしまった(眼が覚めたらまだ同じ映像が続いていた…)。なのに帰り道友達とああだ、こうだと結構難しい話で盛り上がったことがある。
つまり、どんな映画も楽しみ方は人それぞれに委ねられるし、楽しみ方は自分で工夫するもんだ。その自由を制限しないでほしい。
もしも私に小さな子供がいたら、例え理解できないと知っていても、私の観たい映画を一緒に観せたいと思う。難儀かどうか、○○向けとかは関係ない。ウォルト・ディズニー以外のディズニー映画なんて観せるものか。
私が小学生〜中学生の頃には大ヒットしてた映画なら、『フラッシュダンス』であれ、『E.T.』であれ、『アマデウス』であれ、映画館に足を運んだ。子供心には理解できない部分もあった。2本立てのもう1本が実はエロかったり、バイオレントだったりしても、でもそれが映画というものだったし、そっちの方が印象強かったりもする。(そんなトラウマ映画のお陰で私は高校生になるまで映画館から遠ざかっていたのだが…)
それを自分で咀嚼できるよう経験を積む場でもあったんじゃないかな。
今の若い人は「背伸び」する前に敷き居を下げられてしまう。誰もが気軽に入れる店もいいが、「背伸び」した視線も大切だろうに。
(記/minaco.)