お下劣なテディベアが喋るコメディとして(珍しく)大当たりしてる
『テッド』 (2012) だけど、もしかしてボロ泣きしたのはワタシだけでしょうか。だって弱いんだもの、この手には。つまり、ささやかだけど真っ当に1本筋が通ってて血の通ったウェルメイドな映画なんだもの。
物語は少年ジョンとぬいぐるみテッドの出会いから始まる。そして少年からティーンエイジャーへ、やがて成人へと共に年日が過ぎる1人と1体のクマ(のぬいぐるみ)。『スターウォーズ エピソード1』公開日のカットで、ワタシはもう泣きそうだった。『SW』シリーズまともに観たことないのに!一瞬のフラッシュバックシーンに、2人(面倒なのでヒト扱い)の過ごした時代や歴史が詰まってる。
小ネタには固有名詞が沢山登場するのでいちいち可笑しいが、すべてがテッドとジョンの世界を物語るリアリティになってるのが素敵。『フラッシュ・ゴードン』が予想外に重要な使われ方だし、その他映画や他愛ない(むしろズッコケる)ポップカルチャーがごく自然に共有されてる。こういうものを観て育ったんだ、こういう話題が盛り上がるんだ、という内輪内言語として。ビールのお約束もすごく良かった(ミラ・クニスの反応含め)。
そんなネタの数々は、「いい年して大人になれないダメ男」の証明として表面上受け取られるのだけど(実際、多くはそういう描写に過ぎないと思うだろうな)、ガールズトーク同様男子トークとして大事な側面もあると思う。そしてそこがラストまで持っていく導線になってるから素敵。
クマのテッドとジョンは、『フラッシュ・ゴードン』でもビールでもマリファナでも全部共有する仲だし、他人から見て価値のないものでも2人にはある。ヲタク趣味という程でもなく、ただ自分たちの好きなものに堂々としてる。ジョンは別にSWのフィギュアを部屋に集めたりしない、テッドとその場を愉しみ心に残すだけ。ヲタクなら予めあきらめもつくだろうが、意外とこういうタイプは彼女にとって厄介かも。友情と同じように、他人の基準じゃなくて自分の積み重ねた価値だから。
そう、ジョンは立派な大人とは言えないけど、真っ当に育ってはいる人間なのだ。親友が居てステキな恋人もいて、自分の価値観を持ってる。それはテッドがいたおかげ。
好きな映画や趣味の世界って、ある意味他人にどう見られたいかを無意識にもアピールする材料な訳で、大抵は「自分が○○派である」表明みたいになりがち。映画で対照的なのは、ジョンの彼女に迫る上司(『スパイ・キッズ4D』のパパ!)。彼は部屋に自慢のコレクションを並べ、誰かに見せることで価値が成り立つ人間として描かれてる。
でも、ジョンは自分の趣味を表明する必要なんかない。長年常にテッドが居ることで、今更誰かの認可を必要としない。恋人にも。それは小さく閉じた世界かもしれないが、無邪気な自由でもある。テッドが居たから自信が持てた、という台詞があるけど、相棒の存在ってそういう自由を与えてくれるんだよね。
だから、この映画は“ダメ男が成長して大人になる話”みたいに一見思えるけど、そもそもそんなに成長する理由はなかったんじゃないかという気がする。『トイ・ストーリー』みたいに、テッドと別れて別の道を行く理由はない。そこが素敵。何せ、もともとジョンはミラ・クニスのような彼女に愛される男で、成長したから恋人が出来ましたって話ではないのだから。むしろ立場が危ういのはテッドの方で、ちょっと切ない。
そんな細やかな側面が伝わるから、泣かされてしまった。勿論、全く違和感ないテッドのぬいぐるみ感もスゴイし(経年による腹の辺りのすり切れ具合に萌える!細かい!)、伸びたTシャツとスウェットパンツが似合う男マーク・ウォルバーグ(といえば舞台はボストンなのだ)も素晴らしいハマリ役だし、取っ組み合いのシーンは名場面。でもぬいぐるみのあんな瞬間(エロではない)を観ると胸に刺さるよね…残酷トラウマシーンだよね。
*蛇足だけど、この映画の良さはホモソーシャルでありながら、女性を排除しないでみんな幸せになる幸福論を唱えてるからかもしれない。続編の話もあるみたいだけど、そしたら次は父親になるジョンとテッドの関係なんだろうなあ…。それも大変そう。
それにしても、2012年は『宇宙人ポール』(これも“本質は変わらない”無邪気さが素晴らしい)、今年はコレが映画館初めで、どっちもブロマンス映画にえらくボロ泣きしてる自分って。