トルンカ『手』から読み解くチェコ代表。
長らく圧制に苦しんだチェコでは、人形劇には許されざる権力への風刺の意味もあったと言う。
そんなチェコが産んだ人形アニメ映画界の巨匠がトルンカ。
彼がつぐむ人形の王国は愛らしく、詩的で、ちょっとダーク。minaco曰く「つげ義春みたい」。
特に『手』は表現はユーモラスながら、グロテスクで、怖い。
チェコのサッカー界にも巨匠がいる。ブリュックナー監督である。
彼は個性豊かな選手達をまるで人形のように丹精込めて作り上げ、それを思うままに操り、独自の王国を完成させた。
チェコのピッチには巨人ゴーレムもいれば、ハリー・ポッターもいる。森のやんちゃな狩人や鉄の肺を持つ戦士も。ゴール前にはパックンもいる。
さしずめ童話のファンタジーである。(パックンは違うか)
参加国中、ここまで個々にキャラが立っている国は他には無い。彼等が人形使いブルックナーに操られながらピッチを縦横に走る様は、既存の組織サッカーとは違う面白さがある。
それは孤高の巨匠が作り上げた、唯一無二の世界なのだ。
ブリュックナーは哲学者の異名も持つ。
彼は言葉少ないが、その一言一句には重みがある。彼もまたトルンカと同様、この国で生きる術としての慎重さを持ちながら、しかし独自の王国を築くことで圧政と監視社会の中に自分の「思い」を表現してきたのだろう。(それはカフカら、多くのチェコの表現者にも共通する)
ブリュックナーの王国、サッカーをあまり見ない方にもこの機会に是非堪能いただきたい。
しかし、惜しむらくはその人形達が大分「お古」になってきたこと。
彼がU-21監督時に育てた人形たち、ネドヴェド、ポボルスキらはもうヴェテランで往年の軽快さは無い。巨人ゴーレムことコレル(大尉)も大けが上がりで不安が残る。
また、彼らに続くべき若い選手たちの台頭が無い現状も辛い所。
かつてのチェコ選手の黙々とした中に見せる勇敢さを、今の自由なチェコに育った世代は持ち合わせていない様に見える。トルンカの人形劇も、ブリュックナーのサッカーも、やはり「抑圧の時代」の副産物であり、「ユニーク」とか「面白い」とか評価はされても、いざ現在にそれを継承していく事は難しいのだろう。
トルンカの『手』は、最後は巨大な権力の象徴=手に、人形が打ちのめされて終わる。
チェコから巨大な権力が失せた今、しかし今度はブリュックナーの人形王国が西側自由文化の洪水に打ちのめされて終わるのは皮肉な話だ。
(絵/minaco、記/なるほ堂)