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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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見たらすぐ書く・W杯観戦雑記 その30
【決勝トーナメント一回戦】イングランド 1-0 エクアドル
イングランド戦。
ベンチに座るスウェーデン人監督。
どうにも指揮をしているのはマクラーレンの方に見える。
マダム・タッソーの蝋人形か?
・・・その姿に、島国で監督をする外国人監督の辛さを思う。


01_ジーコの言葉。
GL敗退決定後のジーコの言葉、その「敗軍の将、兵を語る」っぷりへの苦言をあちこちで聞く。
そもそも「敗軍の将、兵を語らず」というアジアの格言(by孫子)をブラジル人に照らす事に無理があると思うし、
すっと以前、マズい事に鹿島が敗れた日に行われた『ジーコを囲む夕べ』での不機嫌バージョンのジーコを知っている僕としては、
全然驚かないお言葉。
だが、それでも今の国民感情に鑑みて、大分「裏切られた」とお思いの方が多いようだ。
これまでメディアがジーコ像を良く脚色し過ぎてきたせいもあるだろう。
ジーコはラモスと同じ、ブラジル人なんだよ。
(この一言で、説明がつくでしょ)

勿論、そういう感情も否定しない。
(中には発言の隅をつついての憂さ晴らしや、他へ責任が飛び火するのを怖れて、ジーコに責任押し付けちゃえって感じのも見受けるけど)
でもそもそも、こういう「感覚のズレ」も引っ括めて、外国人監督を連れてきた意義だと思う。

ラモスやセルジオ越後の言葉は、いつもキツい。
日本人には少し理解を越えた常識を軸に語る彼ら、それがブラジル流なのだと思う。(アントニオ猪木参照)

無論、一義的には腹は立つ。今更そんな事言うなよ、と。
だが、それは国際感覚に乏しく、かつ身内に優しすぎる日本人にとっては大切な経験だと思う。

外国人にまで日本の常識の枠組みを押しつけ、
「言うべきではない」「自分の責任のみを語るべきだ」
でいたら、それこそ島国の孤児のままだ。
折角外国人監督を連れてきたのに、こちらに沿った当たり障りの無い、
本音ではない言葉を言われても有り難くも何ともない。


世界王者(今日の所はまだ)の国の常識・・・負けたらボロクソに言う。
例え言いがかりに近いような批難でも、敗れた選手はそれを甘んじて受けなくてはならない。
・・・僕らは今、身を持ってそれを体験しているのだ。

確かに選手が可哀想、とも思う。
だが国民の過保護の中で、選手が成長出来ないのだとしたらそれこそ可哀想だ。

ジーコが常々言っていた事・・・
なぜ、海外と比べて日本国内では選手が逞しくなれないのか?
(ジーコに鍛えられた満男は除く)

言いたくないが、中田浩二の成長には驚いた。ならば、どうやってそれを克服するべきか?
日本人の優しさは美徳としつつも、世界と戦う日本には改善すべき余地はあるのではないか?
・・・それがジーコが最後に監督として残した宿題だと思う。少なくとも、そう受け止めるべきと思う。
(単にヤケ糞で言っただけとしても)


そもそも、敗軍の将として兵を語らなかった加茂監督や岡田監督のメンタリティに物足りないから、
海外から監督を呼んだという経緯がある。
地理的に島国な僕らは、すぐに自国の良識のオリに閉じこもってしまう。
それじゃ、いけないんだ。

彼らの非常識な流儀に、右に倣えと言うのではない。
ブラジル流に倣い(?)、今更「ジーコ監督就任は私の一存で決めた訳ではない」と責任逃れするようなメンタリティはいらない。
それを知り、学び、糧にしようと言いたいのだ。
反撥するのではなく。

それでも・・・
ジーコのやり方が気に入らないならそれでも良し。
でも、キツい事を書くようだけど
「僕らの気に入るやり方で・・・」
なんて言って、日本代表が強くなるとお思いですか?


02_外国人監督・エリクソン
イングランドも島国、その排他性は日本と共通する。

だが、似ているようで違う。
僕らはジーコを「有り難い、有り難い」と上げ奉りながら、その端々にナイーブに反応する。
つまり僕らの反撥は「そんな事言わないで・・・」的な、消極的な反撥だ。
だがイングランドは違う。
「この国の美観に沿え!」
と、最初(ハナ)から喧嘩腰だ。

サッカーの母国としてのプライドもあるのだろうが、
彼らには語るべき「自分たちが培ってきた流儀」があるから、と思う。
日本サッカーにそれは無い。

例えるなら、
スウェーデン人エリクソンは相撲界へ来た外国人力士だ。
千年の伝統を自負する相撲界は、外国人をも力ずくで自分らの流儀に引き込む。

小錦が「相撲は喧嘩」と言ったか、言わないかで、その非日本人性に釘を刺した様に、
イングランドもメディアの嘘取材でエリクソンから
「僕の力でイングランドの選手を移籍させれるよ〜」
的な発言を抽き出し、彼をイングランド文化へスポイルしてしまった。

今のエリクソンはチームへの批難の声の防波堤にすぎない。
でもこれが必要なほど、イングランドメディアのプレッシャーはきついから、まあ役には立っているのだろう

このやり方がイングランドサッカーの発展に寄与するのかは判らない。
今の日本の相撲界の様に、競技レベルの向上を外国人力士が担っている現状と、
逆に土俵の美が疎かになっている現状(むしろ日本人力士に原因があると思うが)を照らすと、
どちらとも言えない気がする。
個人的には、イングランドはもう少し柔軟になっても良い気はするが。

ただ少なくとも僕らはサッカーをまだ外国から習う段階だから、
外国人監督の流儀を日本文化の枠組みに押し込めるのは得策ではない。
それだけは言える。


03_試合。
毎試合変わるイングランドのスタメン&フォーメーション。
今日は『4-1-4-1』。
結果的には守備の役割分担が不明瞭になって、機能し難かった印象だ。
ただ、キャリックがこの日担った役割をキングが・・・の思いは残る。
怪我で外れた彼がいたら、この戦術で新しいイングランドが見れたと思うだけに残念。

エクアドル、今日はふわふわハイボール作戦
高地でハイボールが揺れる状況に馴れている彼ら、そして今大会の普通に蹴っても揺れるボール。
・・・この適正が彼らを決勝Tまで導いたのかもしれない。
でも、それだけじゃあね。。。

確かに勝つ事は勝ったイングランド。
「イングランドらしからぬ出来」との声も聴こえるが、
昨今のイングランドに於いては、もはやこれが普通だ。

例えばドイツでバラックが一人でしている仕事を、イングランドは三人で行っている。
絵箱に筆が沢山あっても、その分絵の具が少なければ、単調な絵しか描けない。
・・・イングランドもまた「黄金の中盤」を持つが故の悩みに苛まれているのだ。

ただし、
「こりゃベッカムのFKでもなきゃ、点取れないね」
なんて思いながら見ていた試合でも、本当にそれで点を取れるからズルいんだよな、イングランドは。。。



その他、気付いた事。
・イングランドはエクアドルを怖れたのではなく、W杯を怖れて戦っていた。
 そこをエクアドルは誤解して
「このままの攻撃がイングランドに通用する」
って思ってたのかもしれない。

ララァ、散る。(お約束)
・イングランドサポの心の叫び・・・「カーンを貸してくれ!」
・試合前のエクアドル監督の怪しい動きは何?
・(ビクトリアと息子)来たか。



(記/なるほ堂)
by tototitta | 2006-06-26 18:09 | W杯2006 | ▲ TOP
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