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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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見たらすぐ書く・W杯観戦雑記 その36
【準々決勝】ドイツ 1-1 (0-0)(4PK2)アルヘン

01_

1978年6月24日、二人は生まれた。
一人はアルゼンチン、もう一人は日本で。

二人はマラドーナに憧れてサッカーを始める。
利き足こそ違えど、彼らはその足に宿ったテクニックで、やがてそれぞれの国で「天才」と呼ばれるサッカー選手に成長した。
ポジションも同じトップ下、チームのいわゆる司令塔。
武器も同じく、美しい弾道のフリーキックとスルーパス

更には、欠点も同じだった。
技巧に走るばかりに、フィジカルに難を抱える点。
憧れのマラドーナ譲りの欠点として、片足しか使えない点。
大人しめの性格。
そして何より、チームがクラシックな司令塔スタイルを採らねば生きないという、現代サッカーに於いては厄介な問題。
(おまけに、顔。)

それらが災いしたのか、彼らは期待された2002のW杯で、直前に代表漏れという屈辱を味わっている。
技術は万人が認める所であったが、戦える選手ではない、、、それが二人に下された評価だった。

それから四年後。
彼らはそれぞれに代表の背番号10を背負ってW杯に初登場した。
アルゼンチンの10番、リケルメ。
日本の10番、中村俊輔。

しかし、彼らは四年前の雪辱を果たせなかった。
かつての指揮官に、あの時の選考は間違いだったと認めさせる事は出来なかった。

二人をチームの中心に据えたジーコ、ペケルマンを責めるつもりは無い。
だが、W杯はもはや、古典的な10番が輝ける場所ではない。

しかし、運命の神はもう一人の『6月24日うまれ』を用意している。
二人から遅れて9年後、1987年6月24日にアルゼンチンで生まれた少年。
成長障害を患いながらも、その才能を認められ、かつてマラドーナの所属したバルセロナに渡り、
いつしかそのマラドーナの
『真の後継者』(「じゃあ、今までのは何だったのよ」というのは抜きにして)
と呼ばれるまでに成長した少年。
リオネル・メッシ。
・・・彼もまた片足利きでフィジカルに難があるが、、しかしスピードはある。

この試合に登場の機会が無かった彼が、前述の二人・・・マラドーナに憧れながらもマラドーナに成れなかった二人の無念を引き継ぐのだろう。
今の所未だ、かつてのマラドーナ2世たちと同様に過大評価の感は否めないが。。。


02_
アルゼンチンの敗因を考えてみたい。
GKアボン神が、それこそ「あぼ〜ん」してしまった事。
あれほど魅力的な選手を多く抱えながらも、ペケルマン家の長男リケルメがいないだけで、チーム全体が修正不能なまでにおかしくなった事。
そして最大の敗因は、何よりも体格にのみ勝るだけのドイツを怖れ過ぎた事。

普通に考えれば、アルゼンチンがドイツを怖れる理由は無い。
例えドイツが開催国だろうと。
しかしペケルマンは怖れ、ドイツ用のスタメン、交替選手を使い、結果アルゼンチンは自分たちのサッカーを忘れてしまった。
いわゆる、「格下の采配」をしてしまったのだ。

推測で言っては何だが、ルチョ、コロッチーニ、そしてクルスの起用がドイツの高さ対策だったら、あまりに消極的な采配と思う。
それを「怖れ」と斬るのは短絡かもしれないが、クレスポ、リケルメという攻撃の絶対的な核まで下げているのだから、
ペケルマンを「ドイツの攻撃を怖れて、逃げた」と判断するのは妥当だろう。

彼は良いチームを作った。
だが、良い采配を振るったとは言い難い。

余談だが、ペケルマンは辞任するそうだ。
ならば、無理は承知だが日本代表監督に呼べないだろうか。
若手育成に長けた彼は、才能の途絶えかけた日本サッカー界には最適と思うのだが。
オシム招聘は川淵氏が今の座に居座る限り、例え叶っても上手く行かないと思う。
遠慮が蔓延って、良い関係はとても作れそうにない。
ならば・・・どうでしょうかね。


03_
ドイツの勝因をオリバー・カーンの侠気に求めるのは、少し日本人的すぎるかもしれない。
でも、PK戦を前にしたレーマンへのカーンの態度には涙が出た。
多分、レーマンも泣いていた。

これまで
「オレはカーンのように、12歳も年下の女に手を出すことはしない」
「オレの妻の方が美人だ」
と、常にカーンへの対抗心を露にし、正GKの座を確保しても決して心を許さぬ様に映ったレーマン。

彼らはGKというポジション以前に相容れない人格だったのだろう。
何せ、ゴリラとオランウータン。種が違うのだ。

しかしあの時、レーマンはボスゴリラ・カーンのグレイトな侠気を知ったのだ。
・・・童話『泣いた赤鬼』の涙を思い出した。

美しい涙で洗われたレーマンの瞳には、アルヘンの蹴ったボールはよく見えたのだろう。。。



その他気付いた事_
・クリンスマン監督とレーブコーチが、「ウホッ」な関係にしか見えない。。。アッー!
・アルヘンのMロッド。大会前はスタメンの中で少し格落ち感があったけど、
 その戦う姿勢は素晴らしかった。
・バラック、怪我で欠場はやだなあ。。。




(記/なるほ堂)
by tototitta | 2006-07-01 21:07 | W杯2006 | ▲ TOP
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