(記/minaco.)
今年はアンハッピー・バースデイになりそうだ。ユナイテッドの来季最初のトレーニング招集日、つまり7/24にルートの姿は見られそうにない。その現実はまだちゃんと受け入れられない。何を今更、そりゃあ覚悟もしていたけれど、私は100%諦めた訳ではなかったので。
往生際が悪いけど、私は未来に気持ちを切り替える前に過去に折り合いを付けておきたい。センチメンタルすぎるのはお許しいただきたい。
多くの報道を見てきたが、ルートは決して自分からユナイテッドを出て行くとは口にしなかった。それは意地にも思えた。楽観的過ぎると思われようとも、自分でそれを言ったら負けだったんじゃないか。解っていてもルートは負けを認めない。
W杯前に、オランダのTVが渦中のルートを数ヶ月追ったドキュメンタリー番組を観た。
まるでファーギーに見せようと作ったかのようだった。生い立ちからこれまでのキャリアを振り返る構成だが、オールド・トラッフォードのスタジアム・ツアーにルートが乱入したり(この時遭遇した日本人ツアー客の皆さん、そういう事だったんですよ)、へーレンフェーン時代からずっと付けてきた「フットボール日記」(!)を公開したり、パパとママが登場したりと盛り沢山。日本で言う小学校の先生が少年時代のルートを「活発だけどセンシティヴな子」と評してたのが可笑しい。全然変わってないじゃん。この番組、正直言って涙なくしては観られない。
買ったばかりのマンチェスターの自宅(宮殿でもお城でもないごくごく普通の家)で撮られたシーンが度々あるのだが、マシンが並ぶ狭いトレーニング・ルーム(フットボーラーらしい物があるのは多分この部屋くらい)にはこれまでの思い出の写真やトロフィーと共に、一番入り口に近い壁にモノクロ写真が額装して飾ってあったのが見えた。
往年のユナイテッド・レジェンド達だった。
私にはそれで充分だった。
番組の最後の方で、途中出場した試合の後帰宅する車の中でのルートのインタビュウがある。当時のしんどい状況を語るうちに、とうとう涙目になったルートが言い聞かせるように言う。
「これが自分を強くするんだ。選手としても、人間としても」
この時点でルートは納得はいかないものの、ある程度覚悟はしていたようだった。Nobody bigger than the club.
普通は監督が交代する事で変化するものだが、ユナイテッドは中心選手を替える事で変わる特殊なクラブだ。選手が替わってもファーギーは替わらない。B.ロブソン、カントナ、ベックス、キーン…が去る事で時代が交代してきた。
ただ12年もそれを見てきた賢いキーンと違って、ルートは変化を察するのに鈍かったんじゃないかな(04/05の怪我によるブランクも痛かった)。新しい時代を受け入れるのなら、クラブは居場所を用意していたと思う(ギグスのように)。違う役割を引き受ける中で、またチャンスを掴めばいい。これまではシングル・チャンピオンのベルトを守ってきた。ベルトを失った今、これからはタッグ・チャンピオンを目指すのもいいじゃないか、私もそう言ってやりたかった。
でもルートは変わってゆくクラブに対応出来なかった。クラブに変わらないものを求めてただろうし、自分も変わらない。ガチだもん。自分のミッションはゴールこそがすべてと思い込んできた男には「ファースト・ストライカーじゃなくてもいいんだよ」と言われても、それは「君のゴールは必要じゃない」と言われるのと同然だ。
それでも変わる事を認めずに、どこまでも勝ち目のない無謀な闘いを続けるのもまたガチの道かとも思ったが…。
クラブとの話し合いがどう持たれたかは解らないが、出て行くとの決断は結果的に現実を受け入れたと解釈するしかない。ルートの求めるユナイテッドではなくなった。ようやくそれを認めたんだと思う。悔しいけれど。
これがルートのユナイテッド選手としての死に様 (このような言葉は好きじゃないが)
で、ストライカーとしての生き様だ。
フットボーラーにはあえて2種類あると思う。ボールがないと生きてゆけない選手と、ゲームがないと生きてゆけない選手。ルー坊は前者だが、ルートは後者だ。ゲームに出られないとどんどん人相が悪くなる。エースストライカーであろうとする限り、その居場所が必要だ。
だからこれはベストではないが、ベターな選択としてそうするしかなかった。
ユナイテッドの方針が正しいかどうか、今は言えない。きっと何年か後に答えが出るのだろう。
ルートのある日の「フットボール日記」には、U2の歌詞が走り書きされていた。ガチのテーマソング。
”ONE LIFE , ONE LOVE”
その部分が線で囲んであった。やっぱりこの番組、泣かせるつもりだ・・・。