(記&絵/minaco.)
遅まきながら、今頃になって
『スパイダーマン 3』。劇場で観るのは初めて。
やはりこのシリーズの何がイイって、
「中坊脳」で作られてる所だと改めて思った。子供騙しや観客をナメたお子様映画なら数あれど、ホントに精神年齢が低いというか、ティーンエイジャーのまんまの姿勢で作られてる映画は貴重だ。しいて言えば、ロドリゲス(『スパイキッズ』3部作、『パラサイト』、『シャーク・ボーイ&マグマ・ガール』)くらいか。それは媚ではない。作り手が心からティーンエイジャーなんである。
以前も書いたけれど、登場人物の頭ん中がみんな中坊レベル。
恋人MJはブロードウェイのスターを目指すも酷評され、八つ当たりするわ、空気読まずにすぐ嫉妬するわでヒーローを苦しめ、誰もが
「オマエの歌が下手クソなのは確かだ!」とまたしてもケツを蹴り飛ばしたくなる事請け合い。
親友ハリーもまたしょうもない金持ちの中坊で、ジェームズ・フランコのおバカそうな笑顔(綿アメ舐めてるし…)がいかにもアメリカのティーンエイジ・ドラマに出てきそうなキャラにピッタリ。
悪役も実は病気の娘のために仕方なく・・・とはいえ、サンドマンに変身してもやる事は所詮強盗かよ、って中坊レベルの単純さ。
ライバル・カメラマンのエディに至っては、「チキショー恥かかされた!」→「お前なんか死んじまえ!」というキレやすさ。
しかし、スパイダーマンことピーター・パーカーくんこそ妄想でニヤニヤし(でも眼が笑ってない)、ワルといえばせいぜいクッキー食い放題とか、イケてる男に変身すれば街中で腰振りダンスだなんて、どこまでバカなんだキミは。この中坊感覚がスバラシすぎる。
そもそも、
黒スパイダーマンという展開が中学男子向けの定番的発想。そうだよ、
やはり黒だよね、待ってました!と嬉しくなる。
てらいもなく、中坊イズムに貫かれたこのシリーズは、古き良きアメリカ映画の明るさを湛えている。編集長のあの'50年代レトロスペクティブな声と喋り方が最高。ワタシの一番のお気に入りキャラである。いやあ、面白かった。
今回も友情と恋と正義にてんやわんや(でもって最後には泣かせるぅ〜)のお話ですが、決して国家が、地球が、などという大それた事件ではなく、あくまでN.Y.で、という狭い感覚が良いのです。
ニューヨーカー達は我らが隣人スパイディの登場に拍手喝采。マスクマンの存在にツッコミ無用なのは、メヒコと岩手とN.Y.くらいでしょう。このギャラリーあってのスパイディなのだ。
そういや、サム・ライミ映画は『クイック&デット』から全部観てるなあ。このてらいの無さは他ではなかなか得がたいものがあります。