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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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阿久悠さんを悼んで
(記/なるほ堂)

言葉に命を注いできた人だから、死んでもしかし、生き続けるのだろう。
そういう生き方の出来た阿久悠さんを羨ましく思う。

ここかと思えば またまたあちら──
歌謡曲から演歌と様々なジャンル、歌い手を渡り歩いた、彼の歌詞の登場人物たち。だが一様に、当時の耳元に飛び込んで来た彼ら(&彼女たち)は格好良かった。

それは思うに彼らが、あの性急な時代の中でいち早く──
“潔い、自立した姿”
として、僕に聴こえていたからかもしれない。

=======
「地球の男に飽きた所よ」
「この世は私の為にある」
「寝たふりしてる間に 出て行ってくれ」
「もういや 絹の靴下は」
「別れの その訳は 話したくない」
=======



しかし、
彼はその裏にある、「道に迷っているばかり」の姿を描く事で、それが、
“痩せ我慢的な強がりに拠る、自立”
である事も示していた。深い。

========
「戻る気になりゃ いつでもおいでよ」
「凍えそうなかもめ見つめ 泣いていました」
「着ては貰えぬセーターを 寒さこらえて編んでます」
「涙がポロリと こぼれたら 歌いだすのさ 舟歌を」
========


──ひとりの辛さに耐えながら、しかし彼らは待つ
彼らは、追いかけない。希に「あなたお願いよ 席を立たないで」と、すがる事はあっても、おおむね、

========
「雨雨降れ降れ もっと降れ」
「五番街へ行ったならば マリーの家へ行き どんな暮らししているのか
 見て来て欲しい」
========


と天気頼み、他人頼みなのだ。


数ある名曲の一つ、
『ジョニーへの伝言』が、そこら辺の微妙な心情を最も良く表していると思う。

========
「ジョニーが来たなら伝えてよ、二時間待ってたと」
========


「二時間しか待たない」という自立心。「二時間も待った」という弱さ。

映画約一本分の時間の長さが絶妙に……、
弱さゆえの迷いを覚えながらも、しかし、だからこそ「自立した個」として旅立とうとする心根の「潔さ」を照らす。未練たらたら、でも追いかけない。振り切るものがあるからこそ、立ち去る姿は美しい。振り向かないからこそ、君は美しい……それが強がりだとしても。(全くの余談であるが、THE SMITHのファンはこの曲をモリッシーのジョニー・マーへの思いとして聴き、泣く。)

今巷に流れる歌の中では、
何処の国の人かも分からない主人公が、半端に英語を交えながら……誰かに助けを求めたり、誰かと「助けあおう、手をつなごう」と呼びかけている。それは作詞家・阿久悠の美観からして「みっともない」と聴こえていたのではないだろうか。
基盤に克己心も無く、寒いから、愛というのじゃないのに抱かれようなんて、そう言う生き様は
「ざんげの値打ちもない」のでは……と。自戒を込めつつも、そこには同意したい。


さすれば思うに、
阿久悠作品の、時に“身も蓋もない”とされる部分──

========
「現れないのが透明人間です」
「勿論 あだ名に決まってます」
「私、ピンクのサウスポー」
「だけど僕にはピアノが無い」
「ウルトラの父がいる ウルトラの母がいる そしてタロウがここにいる」
========


──それらも、実はそんな阿久悠自身の“振り切る様な潔さ”指向に依るのかもしれない。それこそが、この俗人の及ばぬ表現を生んだのでは、と。

だから歌詞を深読みしちゃいけないのだ。
身も蓋もなくたっていいじゃないか、「デビルチョップはパンチ力」でもいいじゃないか。いちいち細かい事で俯くなよ、振り向くなよ、君は美しい。誰の為でもいいじゃないか、みんなその気でいればいいじゃないか……。


加えて、
少なくない「振り向くなよ」的な、言い換えると他者へ“要求が大きい”部分も然り。

========
「私の首領(ドン)と呼ばせて下さい」
「あの鐘をならすのは貴方」
「ボタンを外せ」
「来て来て来て来て サンタモニカ」
========


──それは思うに阿久悠の、
“日本人よ。各々に、潔くあれ。”
というメッセージだったのかもしれない。(明らかに最後は違うが)

無論、ドンと呼ばれて困らない日本人はドン荒川くらいだし、そこらでボタンを外したら逮捕される。家の界隈じゃ鐘を鳴らすのは寺の人の役割だし、サンタモニカには──っていうか桜田淳子に誘われて付いていくのは危険だ。ようこそここへ、クッククック……私の青い鳥。

だが、希代の作詞家・阿久悠の思いは受け止めたい。心に響くものがある。
これを機に改めて、
目立たぬように、はしゃがぬように、ネタに走りすぎぬように……似合わぬことは無理をせず、ガチの心を見つめつづける、時代おくれのブロガーでありたい。そう思う。



最後に。
「阿久悠さんに国民栄誉賞を」って話は無いのでしょうか? ○○さんの受賞と違い、阿久さんならば誰も「不人気総理の人気取り」とは言わないでしょう。そもそもこれほど多くの日本人にとって、長きに渡って「良き悪友」であった彼(勿論これからも)にこの賞を与えなくては、今後言葉を生業とするあらゆる人の受賞に門戸を閉ざす事になると思うのですが……。(同様の理由で、ついでに手塚治虫先生にも。遅きに失していますが。)

それとNHKは、今年の紅白は『紅白阿久悠歌合戦』にしちゃいましょうよ。
視聴率も決して低くないでしょうし。他の人たちは呼ばなくていいから。で、白組トップバッターは新沼謙治『嫁に来ないか』で。。。
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by tototitta | 2007-08-04 12:47 | Music | Comments(2) | ▲ TOP
Commented by かず at 2007-08-06 19:41 x
「ウルトラマンタロウ」まで手がけていらっしゃたとは。
存知あげませんでした。不覚。
大御所とはまさに氏のためにあるような言葉なのですね。
 
「デビルチョップはパンチ力」
……。
この楽曲を聴いてから××年。
いま始めて、齟齬に気がつきました。
おっしゃるとおり。ツッコミ不要。
いいじゃないか。
 
多くの人にとって昭和の一部である阿久悠先生に合掌。
 

Commented by なるほ堂 at 2007-08-07 13:42 x
かずさま、こんにちは!

実は阿久悠さんの訃報に触れて、先ず思い出したのが「ウルトラマンタロウ」でした。それを赤いソノシート(古っ)で聴いていた、アニメ小僧時代の思い出と共に。

デビルマンに限らず、阿久悠作品は大人になってから改めてその「強引さ」に驚かされます。当時は日本中が、その強引な言葉の魔法にかけられていたのかもしれませんね。それくらい阿久悠の歌詞には力があり、またそれを歌う歌い手たちにも、それを僕らに納得させるパワーがあったのでしょう。

「人の世に愛がある
 人の世に夢がある
 この美しいものを 守りたいだけ」(「今日もどこかでデビルマン」)

──みたいな歌を堂々と歌っても、今は恥ずかしい時代。笑われてしまう時代。不世出な作詞家を葬る(おくる)と共に、もう戻らない時代に涙デス。
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