(記&画/minaco.)
「ミルク」の映画詳細、映画館情報はこちら >>
ガス・ヴァン・サント監督の映画を色々と観てきて、特に最近は、何となくソフィア・コッポラに通じるモノを感じてる。
良し悪しは別として、
作風が少女漫画みたい。
以前ソフィアの
『マリー・アントワネット』 の時にも書いたけど、「少女漫画風映画」とゆうのは、次の点である。
余白が多くて、モブ・シーンが無くて、線が細くて、台詞が独り言みたい。主人公目線の狭い世界や関係で完結してる。それも漠然としてて、物憂げで、危うい。
今回ヴァン・サント監督が題材にしたのも、実在の人物の伝記であった。1970年代にゲイの権利を求めて立ち上がった英雄、ハーヴェイ・ミルク。実話だし、思い入れも強いだろうし、いつにも増して気合入ってる。
でも、やはり印象は少女漫画。何となく。
ヴァン・サント監督がゲイだから、って訳じゃないけれど、乙女タッチなのだ。
ドキュメンタリー映画と違って、ヴァン・サント監督はミルクの最も精力的な「活動期」、ある意味
「仲間と過ごした青春時代」だけを抜き出した。その為、主な舞台は花のサンフランシスコのカストロ通りと、議会。出てくるのは仲間とライバル。彩を添えるのは若くてイイ男達。
どうも世界を変えるムーブメントなのに、“大衆”の力を感じない。闘うべき敵の姿は、遠くにだけ見える。背景にあるはずの家庭や、端っこにいる脇役は殆ど描かない。いや、大勢が行進するけど、俯瞰や奥行きに乏しい。
その辺が学園や部活動や恋愛がすべてで、邪魔なモノや圏外の世界は出さないとゆう、(昭和の)少女漫画のセオリーを思わせる。乙女の世界は限られたモノだけで構成されている。だからこそヴァン・サント監督にはキレイな男とラブシーンが欠かせない。むしろ、それがメインディッシュかもしれない。
あくまでコレは映画としての話である(全体像を掴みたいなら、ドキュメンタリーの方が向いてる)。実際のところ、マイノリティの自由や権利を奪う事になるProp 6とやらは本当に厄介だ。今の時代でも同じで、こんな条例があったら真っ先に我が身が心配になるからさ。決して他人事じゃない気がするからさ。日頃、悪い事してないのにナゼか後ろめたいからさ。
そんな自分には、カストロ通りにあったゲイ・コミュニティってちょっと羨ましいな。時代のせいだろうけど、あんな風に分かち合える場所って憧れる。
ところで、ショーン・ペンである。普段ヤンキー魂漲るペンが、正反対に物腰の柔らかいミルクを嬉々として演じてる。しかし、この乙女世界にいて彼だけが異質。堂々たるゲイっぷりなのに、オスカー獲ったのに、ジョシュ・ブローリンより浮いて見える。どうも映画を担ってるのはペンじゃない気がする。
何故なら、
きっと真の主人公はミルクの元カレ=ジェームズ・フランコなのだ。彼の物憂げな(アンニュイな)目線で語られるラブストーリーなのだ。そう考えると、この少女漫画的世界観がすべて腑に落ちた。
ともかく、厄介だなペンも。似てるとか、巧いとか、そんなのどうでもよくって、ああ、また頑張ってるよペン…って、そんな気恥ずかしさってゆうのかな。何か、落ち着かないのよね。
【おまけ】