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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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<   2010年 10月 ( 11 )   > この月の画像一覧
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元気ならば儲けもの
(記/minaco.)


長い怪我の間、考えてたんだ。“ルート、お前は33歳だぞ。1年半もプレイしてないぞ。それでもまだやりたいか?”って。俺はただ止めたくなかった。挑戦した結果、達成したんだ。だから来る一瞬一秒を満喫する事は、俺にとってボーナスさ。(Bildにて)

どうにも毎度年齢や、キャリアの最後についてばかり話題にされるのも如何かと思うけど(まるで後が痞えてるから早く場所を開けろとでも?)、先週のバイエルン戦でラームの踵落しを膝に喰らった時には、本当にゾッととしたんであった。70分頃交代し、その後のドイツカップとケルン戦を欠場(どちらも負け)。

そういや先頃は、ベン・アルファへのタックル事件で代表を外れたデ・ヨンクの事を心配してたルートである。「マスコミがまるで犯罪者扱いで騒ぎ過ぎるのはどうよ」とか、「あいつ1人に背負わせるにゃ酷だ」などとコメントしたり、どうやら直接電話してやってまたお節介してみたり。

世論的にも選手としても削られた方に同情するものなのに、ルートは「自分がデ・ヨンクの立場なら言い訳しない」と何故か削った側を我が身に置き換えるんであった。まあ確かに、FWなのによくユナイテッド仕込みのハードタックルかますけど(マインツ戦でもやってた)。でも自分が怪我しちゃ皮肉とゆうか、とりあえず大事には至らなかったようだけど…。

ユーロ予選モルドバ戦はウォームアップしてても出番が無かった。スウェーデン戦では4−1の大勝とはいえ怪我人も続出して、やっと最後に大歓声と共にルートの出番。7分程の出場で1度しかボールに触れられなかったが、ただ座ってる為に代表にいる訳じゃない。
オランニェ復帰を誇りにしてる。俺にとっては成功なんだ。どうしてきたかって?ずっと普通に暮らしてきてそのお蔭でプレイしてこられた。ユーロ?それ訊かれすぎだよ。この仕事じゃプランは難しい。ただ---俺はまだ満足してない。まだまだ自分のキャリアにはやれる事が沢山ある。

彼は常々、監督やコーチ稼業には興味がないと言ってきた。現役を辞めたらフットボール界からスッパリ離れたいと言った事もある。
今のところ、コーチ業なんて考えてない。今のうちにそう言う他の選手達も知ってるが。でも決して解らないもんだな。俺の元同僚のスタムは絶対コーチにはならないつもりだったのに、この前話した時にゃオランダの2ndディヴィジョンでアシスタントコーチやってたんだから。

ギャリーやギグスやオーレのように、監督志望の選手は現役中からコーチ修行を始めるものだけど、ルートは何も準備して来なかった。そもそもこんだけ監督と喧嘩してきた人に、そんな仕事が向く筈もない訳で。それは多少自覚もしてるようで。まあ先の事は解らないけど、そんなオファーが来るとも思えないお…。

ならば限られたフットボール人生だもの、最後の最後まで味わい尽くさなきゃ勿体無い。太く長く濃く。例えばファン・バステンは長引く怪我のせいでキャリアをフェードアウトしたし、クライファートは出だしが華やかでも人知れず去っていった。もしも真っ白な灰になるまで燃え続ける事が叶うなら、それは幸せだと思う。

フットボールは俺にとって最も素晴らしいものの一つ。毎日トレーニングしてるのが特別な事。俺は毎朝、フットボールシューズの紐を結ぶ度に感じるよ。”ツイてる!”って。(Bildにて)

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by tototitta | 2010-10-31 22:11 | Ruud van Nistelrooy | Comments(4) | ▲ TOP
緊急妄想特番『暴れん坊主将(キャプテン)』
(記/なるほ堂、監修/minaco.)

【Stoke City 1 - 2 Man Utd】

1

「……ヴィダ様は何処(いずこ)に?」

先にスコットランド帝(のみかど)より、右大臣たる先君ギャリー公からの腕章禅譲の勅旨を賜り、いよいよ天下人、即ち赤悪魔幕府の征英大将軍の座に上り詰めたネマニャ・塞爾維亞守(せるびあのかみ)・ヴィディッチ公。だが、米将軍ならぬ「鼻将軍」の姿は、その守護すべき住まい「エド城(=エドウィン・ファン・デル・サール城)」に無く、

「またマークに引き摺られ、お城を抜け出されてしまったか……」

と、今節もまた肩を落とす御側御用取次、ジョン・愛蘭守・おシェイであった。

時、正に幕府一大事の折である。天下騒擾の「ルーニーの乱(註1)、その元凶と囁かれる「グレイザー一族の陰謀(註2)、今季相次ぐ「年貢のお取りこぼし(註3)、新参召し抱えに於ける「倹約令(註4)、意味不明な「オーウェン憐れみの令(註5)、そして先の「エド城雨漏り事件(註6)などなど……。「太陽(サン)」や「日々是鏡(デイリーミラー)」といった瓦版は、連日それらを面白気に書き立て、目安箱には領民の不満が溢れ、南部藩ならば既に一揆の二回や三回は起きていても不思議で無い様相である。

    ─────────────────────────────────────
    註1:ルーニーの乱
    故あって若年より剃髪出家したルーニー大僧正(諡号「悪童大師」)が起こした謀反。真に脱藩を謀ったか、単に脱藩を仄めかして帝に諫言する一人一揆か、次期将軍の座を蹴られた腹いせか、それとも浮気騒動から衆目を反らすのが目的か──その判断は後世の歴史家に委ねよう。なお、その後和睦に至った僧正は切腹を逃れ、暫く一家水入らずで「ドバイへ所払い」の沙汰が下った。

    註2:グレイザー一族の陰謀
    帝に取り入ったマルコム・猶太守(ゆだやのかみ)・グレイザー一族による、幕府公金横領の陰謀。深作欣二監督作品『柳生一族の陰謀』のリメイク。

    註3:年貢のお取りこぼし
    ここまで敵地での勝ち星無く、依て諸藩領地からの年貢(勝ち点)も三分の一以下に。2ちゃん河原の落書曰く、「此頃マンUに流行る物、怪我人、引分け、ヘアドライヤー」。

    註4:倹約令
    「移籍市場にて華美な補強を禁ず」という御触れ。だがそれ故に「小粒補強」が横行し、果ては浮浪の浪人者まで召し抱える始末となり、結果、領民たちから多くの不満を生むことに。ルーニーの乱の原因の一つとされる。

    註5:オーウェン憐れみの令
    「可哀想なオーウェンを大切にせよ」という庶民たちへの御触れ。御触れに反し、迂闊に「マイケル・オーウェンは、もうワンダーじゃない」とか「オーウェン・ハーグリーブスはもう再起不能だろ」などと言うと、厳しい御咎めを受ける。

    註6:エド城雨漏り事件
    2mの大天守閣を誇るエド城も、いよいよ老朽化で雨漏りし、先般みすみす勝ち点を失ってしまった事件。とはいえ、「エドを斬る」放送は勘弁よ。
    ─────────────────────────────────────



2

閑話休題。ともあれ、今は斯様な大事の折。加えて本日はストーカー集団・ストーク党詮議の為、名奉行パトリス・仏国守(ふらんすのかみ)・エヴラ公が左町奉行所を空け、更には、わざわざ隠居中の大御所様、即ち先君ギャリー公(現在は闇将軍)に御出座頂いた折である。

にも関わらず、相変わらずヴィダ様が新将軍の威光を示すのは「コイントスの儀」のみ。さすれば若き日より若年寄と呼ばれ、マルチポジションの智慧者として代々将軍家に仕えてきた「おシェイ爺」も、ほとほと困り果てるは詮無きこと。爺曰く──

「天下人の勤めは、エド城前の最終ライン、引いては赤悪魔幕府全体を統率する政(まつりごと)に有る筈。にも関わらずヴィダ様は、相変わらず目先の敵に釣られてばかり。嗚呼、暴れん坊主将様、今日も市井で喧嘩流血沙汰であろうか……」

するとそこへ御正室、リオの政所(まんどころ)の御姿。一介の舞娘より身を立てて、今や大奥の主となられたお方様曰く、

「スタメンなう。爺、殿は何処じゃ」
「それがまた何処かへ……」
「もうわらわに飽いて、おエヴァの方(側室)の寝所にでも参ったか?」
「そう、お拗ねあそばされても……」
「ああつまらん。帝もいっそ、わらわに腕章を預けて下されば良かったのにのう」

嗚呼、この人も面倒くさい。

その様子、決して見逃す「ストーク党」ではなかった。いざ始まった合戦の最中、彼奴ら申して曰く、

「今の赤悪魔幕府の体たらくならば、引分けに持ち込むのは容易なことよ!」

だが、そう宣って屋敷前を固めるストーク党たちの耳に響く声が。

「その企み、果たして上手くゆくかな?」

「貴様は天下の風来坊……セルビアのヴィダーミネーターでは?」
「それは悪党どもを欺く仮の姿。その方ら、余の顔を見忘れたか」
「余の顔だと? はっ、松平健……いや、ヴィダ様!」
「ご禁制のデラップ砲密造、しかと見届けた。その方らの悪事、許すわけにはいかぬ」
「……いや、ヴィダ様が斯様なゴール前に居られるはずが無い!」
「たわけめ。セットプレイである……成敗!



3

仕留めを下々の者(攻撃陣)に任されるのは、さすがに天下人。CKをファーサイドより折り返し、南蛮渡来のルチャドール、ルチャリート(小粒補強)に成敗を任された。されど、そこで終わらぬのが今の天下の御常道。何より、番組の尺がまだまだ余っておった。

「先生、御願いします」

と、ストーク党はトゥンジャイなる素浪人を投入して曰く、

「しょせんヴィダ様は、サポも未だ認めぬ暫定将軍では無いか、斬れ斬れ!」

と、痛い所をついてきた。

対して幕府も策を練る。久しぶりの市中に興奮されて、御戯れに辻斬りあそばす大御所様にどうにか退出願い、リオの政所の付き女中である茶々局(ブラウンのつぼね)を右町奉行に登用し、更にエド城門前にキャリック砲を配置して万全を期した。

気付けば、合戦終了に僅かを残して2対1。されど果たして城を守りきれるか、不安がよぎる時間帯である。ギャリー公と並ぶ赤悪魔藩の「自爆装置」こと、御乱心の風情漂うポール師匠の様子も気掛かりだ。するとヴィダ様、皆を鼓舞して申された。

「我慢だ、我慢だ、我慢坂!

その声に呼ばれたか、城下の火消しに現れたのは、「め組」ならぬ「ベンチ組」のサブメンバー、即ち、

サブちゃん。

して、今宵のサブちゃんは、お抱え力士スモウリング(土俵)か、分身の術操るブラジル忍者か、いや、それは久しく土蔵で埃を被っていたカラクリ人形、おベルたんであった。

「俺がやらなきゃ、誰がやる」

さすがはリアルでキャリントン花壇の水やり係を務める、天下の御庭番。CSI主任ポール師匠に代わって入ったおベルたんは、見事にサブちゃんとしてのお役目、即ち乱戦の露払いを勤めた。

合戦は終わった。焼け落ちたストーク党の隠れ屋敷には、公儀隠密ショウクロスの屍が。隠密としてストーク党に潜入し乍ら、昨年はベンゲル少年使節団の小姓ラムジーを暗殺するなど暗躍して参ったが、今となっては死して屍拾うもの無し。

─────────────────────────────

所変わって、エド城。

そこには見事に新主将としての勤めを果たしたヴィダ様の姿が。

「やはりヴィダ様は只の暴れん坊ではござらぬと、爺は信じておりましたぞ!」
「爺、それよりも途中で戦場を退くとは、老いたのう」
「そう申されますな、爺とてまだまだこの通り……アイタタタッ」
「爺が元気なのは、ゴルフ場だけじゃのう。はっはっは」

………
辛抱の木に花を咲かせて勝ち点3。
されど未だ天下太平の世は遠く、
それよりルーニーが帰ってきたら如何しよう、
やっぱり領民の手前、示しを付ける為に一発かました方が良いのだろうかと、
新主将として迷いの消えないヴィディッチであった。(ナレーター/若山弦蔵)

【エンディングテーマ】


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by tototitta | 2010-10-27 21:14 | Manchester United | Comments(2) | ▲ TOP
殉職者たち
(記/minaco.)


先週のDaily Mirrorでこんな記事を見かけた時には、まさかルーたんがあんな事になるとは全然思わず、ただネタとして受け止めていたんであった。以下抜粋。

〜ファーギーを怒らせた選手トップ10〜

“(前略)ファーギーを怒らせるリスクを負ったのは、何もルーニーが初めてではない。だがこのリストが証明するように、いつだって勝者は1人だけ…。”


【第1位】 David Beckham

オールドトラッフォードでのFAカップでアーセナルに敗戦した際、ベックスはファーギーの逆鱗に触れたのだった。その激情によって蹴り飛ばされたシューズは、ベックスの目の上を数針縫う怪我を負わせる。ファーギーはやがてこの事件を「全くのアクシデント」と明かした。
What happened next? : 半年後、レアル・マドリーへ加入する為クラブを離れた。
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【第4位】Ruud van Nistelrooy

2006年カーリングカップ決勝のベンチに置かれた後、ルートはファーギーに追い出された。彼がプレミア最終節の試合から外され、キックオフの3時間前に飛び出して行った時、遂に2人の信頼関係は終わる。後に報道された話では、ルートはトレーニング場で発生したロナウドとの喧嘩により、決勝から外されたらしい。彼はロナウドに対し「お前のパパ(=ケイロス)に泣きつきゃいいだろ」と罵ったとされる。
What happened next? : 即レアル・マドリーへ売り飛ばされた。
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【第5位】 Roy Keane

キーノは長年ファーギーのピッチ上のマネジャーだったが、2人の波乱に満ちた関係は終わる。まずは2005年、キーノがポルトガルのキャンプを批判する前の事件。MUTVでリオを罵り、「週給£120,000稼ぎながらスパーズ戦じゃ20分しか役に立たねえ。お前はスーパースターか」と言い放った。キーノはキャプテンバンドを外され、リザーブゲームへ落とされた。
What happened next? : セルティックへ移籍する直前にユナイテッドを退団。
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【第8位】 Jaap Stam

2001年シーズン開幕戦、フルハムに勝利したものの酷いパフォーマンスを見せた後のロッカールームにて、スタムはオールドトラッフォードを追い出される。試合後ファーギーに叱責されると互いに応戦し合った。彼らの関係は既にスタムの暴露的自伝のせいで壊れていたが、この件が留めでユナイテッドでのキャリアに終止符を打つ事となる。
What happened next? : ラツィオへ移籍。

他も含め全部で10件の事例が挙げられている。シュマイケル(1999トレブル後殉職)、インス(1995殉職)、ホワイトサイド(1989殉職)、ストラカン(1989殉職)、マクグラス(1989殉職)、シャープ(1996殉職)…。つまり、ファーギーに逆らって無事に済んだ者は居ない。

良くもまあ各ポジション満遍なく、この錚々たるメンツが揃ったら史上最強チームが出来るほど!改めて振り返るといずれのエピソード&顛末も味わい深く、特にキーノの名言には思わず笑いも込み上げてくる。きっかけは飲酒、反抗、しくじり、自伝、女、批判、ガチ…など様々とはいえ、どれも彼ららしい最期だった。何とか侘びを入れたのはシュマイケルだけで、それぞれに闘い、儚くも殉職したけれど、身を持って一世一代のネタを残し「クラブより大事な選手などいない」掟を示したんである。

*      *

そして今週、リストの11番目にルーたんの名前が載るんではないか、と大変な騒動が持ち上がった。でも、過去の面々と比べりゃルーたんのネタは小さすぎる。そもそも浮気騒動も釈然としないし、この程度で殉職するには早すぎないか。

思えば先月、心の負傷がいつまでも癒えないルーたんを見かねて、ドイツから余計なお節介を焼く元パートナーが居た。
    「昔のお前はこんなんじゃなかった。もっとガムシャラだったじゃないか。以前見せたように、お前はもっとやれるんだ。俺の居た頃のユナイテッドはみんな常に集中してたし、今もそうだろ。こんな騒ぎなんか乗り越えられるって証明してみろ」
そんな愛のダメ出しに、「お前が言うな」とルーたんは思うかもしれない。しかしこれまで組んだパートナー達はすべて、ルーたんの愛を勝ち取ろうと必死だった(と妄想)。ルーたんに認められる=ユナイテッドでポジションが保障されるかのように、何人もの選手が試されてきた。ロンは一時その座を掴んだかに見えたが、カイくん誕生と共に捨てられた(と妄想)。

ともあれファーギーが連れて来て以来、ルーたんは座標軸の中心として存在し、彼に相応しいのは誰か?と問い続けてきた。だからもしルーたんが「俺に相応しい相手はここに居ない」と言うのなら仕方ないのかもしれない。いやむしろ、ネタ優先で選手補強をするファーギーが遂に“ホームレス刑事”にまで手を出したのを見て、さすがに「それはナイだろ」と危機感を持つのは当然かもしれない。

──けれど、やはり、それは間違いだと思う。ホレイショ…もとい、ポールさんはきっとルーたん目掛けハードタックルをお見舞いしながら言っただろう(と妄想)。
    「これから行くところはユナイテッド限定だ。有効期限は終身だ」
    「お 前 に 選 択 肢 な ど 無 い」
そう、選ぶのはルーたんじゃない────ファーギーなんだ。代理人が何を言おうが、タブロイドが何を書こうが、ファーギーが出てけと言わない限り、代々イングランドの宝はユナイテッドが保有するものである。そうでなくちゃいかん。いくら昇給したって良いじゃないか。その価値はあるんだから。親バカ。

結局、我々は解ってる。いつだって勝者はファーギーだけ。
「マンチェスターの正義(byホレイショ)」が守られて良かったよ…。

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by tototitta | 2010-10-25 21:42 | Manchester United | Comments(4) | ▲ TOP
CSI:マンチェスター第8話『戦慄の同点劇』
(記/minaco.)


事件だ。
その日オールドトラッフォード所轄管内にて、身の毛もよだつほど恐ろしい同点事件が起きたのである。早速事件現場の検証を始めたのは、CSI:マンチェスターのラボに所属する若手達だった。
    交通事故のトラウマを抱える、アンデルソン捜査官。
    かつての魔法使いキャリーこと、マイケル・キャリック捜査官。
    そして急遽駆り出された若き野心家、ダレン・ギブソン捜査官。
お馴染み「悪は絶対許さない、球際のエキスパート」ことフレッチ捜査官はあいにく欠勤だが、やがて「マンチェスターの太陽よりどんよりした男」ことポール主任も現場に現れた。若手がせっせと物証を集める中、悠々と重役出勤するのがホレイショ…の常である。

ゆっくりと立ち入り禁止のテープを潜り、凄惨な事件の痕が残る現場に足を踏み入れるポール主任。辺りを見渡し、勿体ぶるようにサングラスを外すと一言。
「何か解ったか…」
「ガイシャは2名です。1人は小柄なフランス人のパトリス・エヴラ。もう1人は長身のオランダ人、ファン・デル・サールです。短時間でこれほどの犯行が出来るとは、ホシは単独犯じゃないでしょうね」
ギブソン捜査官の説明を聞くと、ポール主任はまた勿体ぶるようにサングラスを掛けた。

「犯行当時お前は何をしてた…?」
「え、勿論僕はオールドトラッフォードを巡回してましたよ。それが何か?」
「お前はミドルシュートが出来るようだな、ギブソン。他 に は 何 が で き る の か 大 い に 気 に な る と こ ろ だ …
そう言って、ポール主任は「ミドルしか能が無い」ギブソン捜査官を尋問した。ラボの同僚にまで執拗な追及を怠らない、それが今回の捜査の鍵を握っていたのである。

クールビューティな検死官、通称リオ姐さんはガイシャの遺体を調べていた。
「見て、エヴラのこの足にボールの痕跡があるわ。自らゴールを入れたのよ…きっと自殺ね」
そこへポール主任。
「…待て。このエヴラという男、顔を良く観察してみるんだ」
「あら、ホントだ。良く見ると満男にそっくり」
「そう…こいつは自殺点なんか与える男じゃない。鹿島でキャプテンとして湘南相手に戦っていたんだからな」
「ああ、そうだわ。鹿島も同じ週に同じようにリードしてたのを同じように追いつかれたのよね」
「…覚えとけ。 人生 に 失 望 は つ き も の な ん だ よ
鹿島とユナイテッドに何の関連があるのか不明だが、ポール主任は赤毛を一層赤くして断言した。

「ファン・デル・サールについて何か解ったか…」
相変わらず雑務はすべて若手に任せきりなホレイショ…ポール主任は、下働きするキャリック捜査官に尋ねた。
「はい。もうすぐ40歳、経験豊富なGKです。まさかガイシャがこのような事件に巻き込まれるとは、誰も思ってなかったそうです。しかし、事件当日は日差しが強く、日陰に移動した後も紫外線の影響が残っていたのではないかと」
「それで、ポロリか…」
「関係者のヴィダにも当たりましたが、こんな事は初めてだそうで、とても信じられないと」
「お前はどこにいたんだ、キャリック…」
「僕ですか?中盤辺りで縦パスを使って応戦しました」
「その中盤が不甲斐無い守備をしてるからじゃないのか…」
ポール主任はサングラス越しに一瞥した。
サールも木から落ちる…。だが、これは犯罪だ。つまりお前は必死で守るGKを見捨てたわけだな。騎 士 道 は 滅 び た …
ポール主任が頭を掻きながらそう吐き捨てると、キャリック捜査官はうな垂れる他なかった。

ポール主任は事件の目撃者、重要参考人を1人ずつ取り調べる事にした。ベルバことアンディ・ガルシアは泣きそうな顔で訴える。
「決めるべき時に決められませんでした」
「ベルバ…1つだけ言いたいことがある。もうこれからあなたは演技する必要はない
「ゴールはしたけど、後半は消えました」
「ニャニ…懺悔の準備をしろ
「ハムストリングを痛めてしまいました」
「ギグシー…悪魔の邪魔をしたのは、神だ
「自分の仕事はしたつもりですが、コイントスで混乱を招きました」
「ヴィダ…肝に銘じておけ、リオを傷つけたらお前を殺してやる
「途中から参戦したけど、心の怪我がまだ治りません」
「ルーニー…抜 け ろ 、全 部 抜 け ち ま え !

残酷すぎるポール主任のタックル(言い掛かり)である。だが彼らは容疑者ではない。じゃあ怪しいのはアリバイのないワンダーか?いや、ワンダーはただ呼ばれなかっただけだ。そう、真犯人は他にいた。オールドトラッフォード管内へ侵入し、2点差にも怯まず、2名を殺害し貴重な勝ち点1を奪い去ったウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンという組織。

ポール主任はマンチェスターの西日を背に受けて、勿体ぶるかのようにまたサングラスを掛けた。思えば、昨年から追い続けるロシアンマフィアの尻尾を捕まえようという時に、この有様。タブロイドが我らの失態を嘲るのはもう許せない、と誰もが憤った。だが、ポール主任はサングラスの奥のつぶらな瞳を輝かせて不敵に呟くのであった。

「待ってろよ、これから面白くなる」

「我々CSI:マンチェスターは決して…そう、決 し て あ き ら め な い 」
Yeah-----------------------!!!!!!

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如何にしょっぱい試合だろうが、そうゆう時こそ妄想力の発揮しどころ。
こんな時こそ現実逃避を…。
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by tototitta | 2010-10-22 00:54 | Manchester United | Comments(4) | ▲ TOP
続々小◯ 盛岡市に於ける「史跡指定」解除の先例
(記/なるほ堂)

【※追記あり(10月23日)】

1
桜山問題、即ち「桜山界隈商店街」有する桜山神社参道地区の「勘定所復元構想(※)について続報。(※実際は、観光案内所や物産品販売の機能を持つ「勘定所風の建物」を建設する構想)

昨日10月29日、市役所内にて行われた「史跡盛岡城跡保存管理計画に伴う説明会」に併せ、同地区にある東大通商業振興会より、署名に拠る反対活動を開始する旨が発表がされた。署名の要旨は以下。

 ・盛岡市策定の「桜山神社参道地区の将来像について」および「勘定所・
  土塁・門・堀」計画案を白紙撤回すること

 ・桜山参道地区を公園緑地化することをやめ、都市計画を現状に即した商
  業地域指定に変更すること


注目すべきは二点目。単に「現在の市構想に反対」という名目だけでは、例え数は集まっても、次なる市役所お手盛りの「代案」「新案」に対しては、効力の無い署名になりかねないとの危惧があった。それ故、ある意味リスク承知で「都市計画を現状に即した商業地域指定に変更」という点に踏み込んだ勇気に、どうか皆様も拍手を送っていただきたい。

【署名用紙はこちらからDL出来ます】

この点について、しかし市都市整備部の新沼正博部長は「文化庁からの指導」という名目を上げ、昨日の説明会でも過去の発言の立場

「史跡である以上、(桜山商店街が存在する)現状のままいうわけにはいかない」
「史跡を構成する主要な要素以外のものは史跡以外に移転を図るとの方針は維持する」

に変化の無い旨を述べた。だが──

果たして、この市側の言い分に「大義」はあるのだろうか?


2

「桜山商店街は残って欲しいけど、でも文化庁指定の国の史跡だから…」

商店街存続を希望する方々の中からも、このような声を聞く。

しかし、国の史跡指定は決して「動かせざるもの」では無い。他所に過去の例を探すまでもない。この桜山商店街に隣接する「東大通商店街」は、昭和二十八年、国の史跡であった盛岡城址内の「亀ヶ池」を埋め立てて建設された。

勿論、正規の「史跡指定の解除」を経て。

以下、『盛岡の今と昔』(発行:盛岡市公民館/昭和三十九年発行)より。


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【写真1】埋め立て前の盛岡城の内堀「亀ヶ池」
(桜山神社側からサンビル方向をのぞんだもの/写真点線内が現在の東大通)


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【写真2】亀ヶ池の埋め立てと、それに伴う史跡解除を伝える当時の新聞ほか
東大通りの開通

昭和二十八年、文部省指定史蹟盛岡城址の亀ヶ池の一部を埋め立てて新道路を建設した。

この問題について、当時市議会ではその是非について公聴会を開き遂に史蹟解除を申請、街路を造成することに決定した。

更に、『盛岡の今と昔』より引用する。
大通り地区の発展

戦後の二十八年、大通商店街の経済効果発展の面目躍如たる亀ヶ池埋め立てによる新市街、東大通りの誕生は盛岡駅から肴町方面に至る河南・河北を結ぶ最短幹線道路として急激な利用の増加に伴なう近代的商店街・歓楽街の発展を約束させた画期的なものであった。


つまり、我が盛岡の先人らは、市民生活の利便性向上と、市街地発展のために奔走し、公聴会などを経て、遂に史跡改変の前提となる「史跡指定の解除」を勝ち取ったのだ。極めて健全で、賢明な市政が、かつてこの盛岡に存在した。市役所は、決して国の出先機関ではなかった。

しかし現在はどうだ。

現盛岡市都市整備部は、史跡指定の妥当性(【追記】参照)を問う公聴会などをすることもなく、文化庁に言われるままに「国の史跡指定」に盲従し、半世紀以上も昔の都市計画に於ける約定を以て、現に今生きている人々、我々市民の生活を破壊しようとしている。

それは、今日の盛岡市の発展につながった先人の尽力さえも蔑ろにする行為と言えよう。

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【追記】(10月23日)
亀ヶ池の折は公共用地(道路)を目的とした史跡解除であったが、民間の店舗用地を目的とした史跡解除は難しく、依て史跡解除に向けては、この「第四種地区(桜山参道界隈)」の史跡指定の妥当性そのものを問う事になるだろう。

当地域は、かつて指定解除された折の亀ヶ池と違い、その地上部分の遺構は既に失われており、また当時の資料も殆ど残存していない。更に、城跡保存管理計画策定委員会も、地下遺構以外は、文化庁の許可無くとも工事着手可能と答申している。つまり、左程文化的価値に乏しい地域である。依て、改めて国の史跡指定を受ける要件に乏しいとして、見直しを求める事に無理は無いと考える。

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【補足】
自分としては史跡の保存はあくまで「地下に眠る史跡の保存」に留め、地上部分は東大通商業振興会が求める通り、「現状に即した商業地域指定」とするのが最良と考える。即ち、現状及んでいる「地上部分の史跡指定」の解除。ならば商業地域化が、結果大型店舗やマンション建設に繋がるという危惧も無くなる筈。それらの建設には地下部分の破損が伴うから。また、現状の町並みを保存には条例を制定すれば宜しい。



3

もう一つ、都市整備部が桜山商店街の解体の理由としてアナウンスしているのが、その

「老朽化に拠る危険性」

という点である。しかし、それに対しても今年、既に一定の回答が出ていることを紹介しておきたい。

今年7月、史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会より、現状の史跡指定下でも、

「桜山参道地区商店街の建物の内外装改修や、条件付きでの改築などを認める」
(参考サイト:盛岡タイムス

という要旨の保存管理基準案が示された。その際には文化庁の許可も不要だという。これは、これまで困難だった防火耐震工事などを可能にする、いわばお墨付きである。これを以て、既に市は「解体せねば危険」という論拠を失っているのである。

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最後に。

桜山界隈商店街を支援する署名運動、その目標数値は「5万人」に設定された。参考までに記せば──この活動は決して市政トップの打倒運動ではないが──これは現市長谷藤裕明氏が初当選した際の得票数(47,432票)を上回る数字である。決して楽な数字とは言えないが、是非とも叶えていかなくてはならない。

しかし、例え5万人の署名があったとしても、その先にも困難は続くだろう。思い出されるのは、同県釜石市の「橋上市場」である。

桜山同様に終戦後、自然発生的に形成された「橋上市場」は、その名の通り、世界でもこことイタリアのフィレンツェにしかない「橋上の商店街」であった。

だが、毎年のように水害に見舞われるフィレンツェにあって、しかし市民が14世紀から今日まで維持し、今や「世界遺産」の象徴として世界中から観光客を集める「ヴェッキオ橋」とは対照的に、釜石市の「橋上市場」は国の「河川法」に翻弄された挙げ句、

「危険な構造物、違法占拠」

とされ、2002年に姿を消した。その際、存続を求める署名は「釜石市人口の80%」を越えたが、その声は届かなかった。
(参考サイト:日本すきま漫遊記Internet Photo Magazine Japan

現在、それは代替として建設された『駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石』に名を残すが(駅前なのに橋上とはこれいかに)、無論そんな何処にでもある「箱モノ」に、かつての様な珍しい景観を求めて訪れる観光客の姿など無い。

つまり、数多くの声を以て「希少な景観、地域文化を破壊する代償は計り知れない」という至極当然のことを唱えても、どうにもならない馬鹿が居る、ってことだ。

それを踏まえて、馬鹿の壁、いや馬鹿の「土塁」か──を倒さなくちゃならない、僕らの願いは、その向こうにある。

You see things can change
Yes an' walls can come tumbling down!
──Paul Weller
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by tototitta | 2010-10-20 13:01 | 日々日常 | Comments(0) | ▲ TOP
続・小◯ 桜山問題、その後の進展
(記/なるほ堂)

先ずは、今回の事業計画案に至った経緯を整理。

元々、盛岡市に存在していた複数の思惑──

  • 盛岡の「歴史を活かした街づくり」を推進したい市民団体
  • 盛岡への「観光客誘致」を促進したい市商工会議所
  • 市中心部の「空洞化対策」に、城址を「町づくりの拠点」としたい都市整備部
  • 借地契約がやがて切れる前に「桜山商店街の今後の在り方」を決めたい市担当課
  • 盛岡の「全国的注目度」を上げ、同時に「観光機能の向上」に意欲的な市長

などなど、それら複雑に絡み合う思惑を、文化庁から「史跡整備の為の予算」が舞い込んだのを好機として、拙速に役所がパッチワークしたら、

「現在の桜山商店街を新規改装し、盛岡城址の文化的価値の向上(勘定所の復元)及び、観光機能の向上(土産販売所、団体客対応の大型飲食施設の建設)を図る」

という事業計画案に至ったと。

で、所詮パッチワークだから、ある部分は各々の目的に合致し乍らも、しかし──

  • 歴史を活かす為に、歴史を壊す
  • 観光機能向上の為に、既存の観光資産を壊す

といった、「あからさまな矛盾」を抱えた、お些末な事業計画案に。

そういった経緯。



昨日の説明会(その模様はコチラを参照)では、市計画の杜撰さ(今計画遂行に拠る誘客効果、費用対効果の試算を全く行っていない事実が判明)や、桜山商店街側の意志(計画の白紙撤回及び、商店街の維持存続の要求)が明確になった。そこで、市井の一支持者としても「チータン食ってる場合じゃねえ(AA略)」という事で、以下、今後の商店街存続に向けて思った所を。

先ずは、皆も言うように「声明文」

今このような「桜山問題」が起きている現実、またそれに対する反対の声が沸き上がっている事実を、より広く市民に周知する為にも、「連名」を添えた声明文を広報しては如何かと。例えば、
戦後60年に渡って盛岡市民が育み、
また育まれてきた『桜山商店街』。
私たちは、その大切な価値を損なうような
現在の盛岡市の『観光開発計画』に反対します。
といったような。併せて、

  • 桜山商店街の新規改装は、その文化的、観光資源的価値に、大きなマイナスです
  • 観光機能向上の為の施設整備は、既存の建物も含めて周辺地域で賄えます
  • 殆ど資料の無い史跡を復元しても、盛岡城址の文化的価値の向上は見込めません

というメッセージも。

また、これまで市の諮問に参加する等、現在の「お城を中心にした街づくり」推進の一翼を担ってきた方々は、それら行為が意に反して、今回の商店街撤去計画の「大義」に利用されている事は理解されている筈。城跡保存管理計画策定委員会の方々なども、この事態に当惑しているとの話も聞くが、ならばその方々には是非とも「反対声明」に名を連ね、態度を明確にして欲しいところ。市側の一味として看做されぬ為にも。

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続いて、「桜山商店街の文化的価値」のアピール。

昨日の説明会に於ける反対派の猛抗議によって、「市構想はトーンダウン」と報じられている。だが、それは勘定所建設といった現計画案がトーンダウンしたに過ぎない。商店街の新規改装という方向性は、まだ堅持されたままだ。

よって、もっと多くの市民に「桜山商店街の文化的価値」を認識してもらう為に、斯様な文化に造詣の深い方々に寄稿を募り、発信していただく事も重要かと。言わば、お墨付きの付与。

中でも、この盛岡を舞台に「古いもの」を守る事の大切さを描いた『どんど晴れ』の脚本家さんに、今その様な「古いもの」を破壊して、再現とは名ばかりの、「新しい観光地づくり」を目指している盛岡市政を、どう思ってるのかご意見を給わりたいところ。

但し、過去の多くの市民運動、自然保護運動などが示すように、「貴重、大切」といった文化的な「抽象概念」は、本質的には非常に大切な事ではあるが、しかしそれを以て行政に対抗するのは難しい事も期しておくべきかと。

また、あくまでも文化人に助力を仰ぐのは、市民の理解を呼び込み、この反対運動に好意的な関心を呼び込むのが目的。誤ってオピニオンの先導を部外者に委ね、結果「市民不在の空中戦」の様相ともなれば、現実には今、市民の多くを占めるであろう

「このような騒動自体を嫌う人たち」

の嫌悪を招くだけで、そのような失敗事例は過去に枚挙の暇がない事も付記しておく。

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そして、「覚悟」

市役所は過去の市民アンケートの結果をメディアにリリースし、あたかも現商店街の撤去に「民意の後ろ盾」が存在するかの様にうそぶいている。

この問題に対する民意と看做すには、あまりにアンケートの実施が時期外れであるに加えて、新規改装(撤去)支持派の各論が不明瞭で、結果、現状維持を上回る具体的プランなど何処にも存在しないにも関わらず。

しかし、市民アンケートというのは、今後の桜山商店街の在り方を考える際に、避けては通れない道と考える。この問題を広く市民に関わるものとして、彼らの賛同を求めるならば、やはり「最終判断は市民の意志に委ねる」という覚悟を、敢えてこちらから示す必要があるのではないか。

勿論、安易なアンケートでは、「市民の様々なご意見を承った上で検討の結果、この様なプランに決めました」的に、市が後出しで好き勝手に事を為そうとするのは明白。更にヘンテコリンな箱モノを建てようとする危惧も。

依て、その様な蛮行を防ぐ為にも、市民の判断を仰ぐ際は、

  • 事前に市が一本化した「新規改装プラン」
  • 桜山商店街が提出する具体的な「現状維持プラン」

『二者択一の住民投票』とするよう、予め確約をとっておくというのは如何だろうか。その折は、盛岡市民は正しい判断をすると信じ、敢えて申し上げたい。

──以上、僭越乍ら。

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最後に、個人的な思いを。

亡き兄は生前、白龍のじゃじゃ麺をこよなく愛した。その魂は普段は九州の妻子と共にあるが、しかし時折はこの盛岡、桜山商店街に赴いているはずと感じている。子供の頃、学生時代、そして帰省の折、いつも足を運んでいた桜山商店街であるから。

桜山商店街は、そういう場所です。
あなたの街にもあるかもしれない、あったかもしれない場所。

そんな盛岡人の魂の故郷が、いつまでも故郷であり続けますよう、どうか皆様の御理解、ご助力をよろしくお願いします。
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by tototitta | 2010-10-14 15:05 | 日々日常 | Comments(0) | ▲ TOP
小◯ 桜山問題によせて(後編)
(記/なるほ堂)

【前編より続く】

3-1

さて、一昨日この桜山問題に動きがあった。

『勘定所構想を後押し? 盛岡市が市民アンケート公表』

盛岡市内丸の桜山神社参道地区に勘定所などの復元構想が持ち上がっている問題で、市は8日、同地区の将来像について7月に行った市民アンケート結果を公表した。「新しい商店街として改装すべき」との回答が52・4%と半数を超え、現状維持を望む声は約40%と市構想を後押しするような結果。13日に予定する地元関係者との会合を前にした突然の公表に、地元からは「意図的な誘導だ」と反発も出ている。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/09 岩手日報】

市民の声という桜山商店街維持存続派の「後ろ盾」を挫くべく、何やら謀った感のある盛岡市役所。そのアンケート結果の正当性に対する評価は後述するとして、先ずはこの「岩手日報の数字のミスリード」に言及したい。

一体、この数字の何処が、日報の言う「勘定所構想を後押し?」「市構想を後押しするような結果」なのか。リンク先の記事の後段にも、

ただ、「改装」を選んだ人への「自分が考える商店街は」との問い(複数回答)では、「城跡周辺にふさわしい統一感のある街並み」が77・2%と圧倒的。今回の市構想のような「歴史的建物がある商店街」(32・7%)、「土産の販売所がある商店街」(23・5%)は少なかった。

とある。

つまり今回の市構想に対しては、複数回答内にてそれぞれ「17・1%(52・4×32・7%)「12・3%(52・4×23・5%)の支持があるだけであり、「現状維持」を求めた約40%の意見には全く及ばない。これを以て「市構想を後押し」というのは、全く出鱈目である。

もしや例の「さんさ数式」宜しく、私には見えない100万人が「市構想を後押しする側」に加算されているのだろうか。それとも、穿った見方ではあるが、

「土塁・勘定所云々は単なる名目。市構想とは『とにかく現桜山商店街を撤去改装したい』というのが本音であり、改装支持が維持を上回ったので、市構想は支持されたと看做す」

というのが、岩手日報の言わんとする所なのだろうか。

それはあまりにも、市の「本心」を汲み取り過ぎではないか。


3-2

岩手日報には、このような記事もある。

『盛岡市長「土産販売機能を」 桜山勘定所構想』

盛岡市の谷藤裕明市長は5日の定例会見で、同市内丸の桜山神社参道地区の勘定所復元構想について「(来年7月にできる)歴史文化館には飲食部門がないので、盛岡の土産販売や飲食など、近場で団体客に対応できる機能を持たせたい」と新施設と連動した整備案を示した。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/06 岩手日報】


私が思うに、斯くも岩手日報が「数字のミスリード」、即ち、あたかも「市構想を後押しするような市民アンケートの結果」が存在するかの様に装ってまで役所側に立ち、よしんば「勘定所構想を後押し」したいのならば、いっそこの桜山商店街の真隣にあって、同じく旧盛岡城の史跡上に建つ建物、つまり「岩手日報社の社屋」の下層階を市に譲り渡し、そこを市長念願の「土産販売所、団体客向け飲食所」として貰っては如何か。夕刊も無くなった事だし。

なんならば現社屋を完全撤去し、そこに勘定所を再現するのもありだ。多少位置は違うが、平成元年の街路事業による道路拡幅に伴って、「彦御蔵(ひこおくら)を盛岡城跡南側石垣下の現在地に、約100mほど移転させた前例もある。

で、その後は盛岡市役所の広報課に机でも借りて、ついでに「岩手広報」と名を変えたらどうか。今以上にあうんの呼吸で、「市役所が発信したい情報」をお伝え出来るに違いない。


3-3

話戻って、今回市が前倒し的に公表した市民アンケート結果について。

一見すると改装案への支持が上回っている風に映るアンケート結果ではある。だがこの中では、例えば一応は改装を支持し乍らも、しかし「土産販売所風な商店街になるなら、むしろ現状維持を」と考える層すら、「先ずは何にせよ改装ありき」的な、あたかも「現状維持派」に対立する「改装推進派」へと換算されている。

この問題にて比較検討するべきは、個々の将来的なビジョンである。決して「現状維持か、新規改装か」ではないのだ。

また、市公園みどり課の今野孝一課長は、これを「地元関係者以外の市民全体の意見」と胸を張るが、そもそも市は「民意の抽出」について、如何に捉えているのか。

例えば選挙に於いては、先ずは候補者各自のビジョン提示が有りきであり、それを受けた民の投票を経て、初めてそこで「民意」と認められる数字が得られる。しかし今回のアンケートでは、「現状維持」を除いた選択肢の示す「桜山商店街の将来ビジョン」は、一様に曖昧ではないか。

例とすれば、「現状維持」と同じく約40%(52・4×77・2%)の支持を得たとされる「新しい商店街として改装すべき→城跡周辺にふさわしい統一感のある街並み」も、果たして実際にどのような商店街を想定したものか、恐らくそう答えた人たちとて意見が分かれるところだろう。

つまり、このアンケートから「市民の望む桜山商店街の将来ビジョン」が具体的に何であるかを汲み取るのは不可能であり、敢えてここから抽出し得る「市民全体の意見」があるとすれば、即ちこのアンケート内にて唯一明白な選択肢である「現状維持」を支持した市民が、その約40%を占めたという、ただその一点である。


3-4

そもそも、「一つの商店街」の在り方を考える場面にも関わらず、改装案の詳細意見を求める段にて「複数回答可能」な選択肢を用意するというのは、甚だお粗末というものだ。

また、この桜山問題への市民の関心も認識も薄い時期に行われたアンケートを、あたかも「この問題に対する民意」と評価しようとしても、そこには一片の説得力すら存在しない。

現盛岡市政には、アンケートを弄しての「前科」がある。

2006年、市民にとっては降って湧いたような「岩手公園の名称変更問題(その後に「愛称設定」へと後退)」の最中、市は「盛岡城跡公園」と「盛岡お城跡公園」の二者択一アンケートを行い、結果前者を賛成多数として採用した。

現実はこの100年間親しまれてきた名称、宮澤賢治の作品名にも存在する「岩手公園」の存続を支持する声こそが多かったにも関わらず。

トリック的に「数字の建前」を得ようと目論んだ所で、しかしそれは所詮トリックである。

我々にはそれに惑わされぬ目と頭がある。



─────────────────────────────


4-1

さて、締めが近づいたに当たり、この「桜山問題」のもう一つの側面について。

暫らくお仕事第一と筆を休めてきた自分が、この長文に取り組んでしまった理由を省みれば、端的に申せば現市政のやり口に対する反感と、南部藩に虫ケラの如く扱われてきた先祖に由来する、一種の怨念が主であったと思う。

だがその一方、現在市井のあちこちより零れ聞こえる「桜山商店街の現状維持を求める意見」を丸々肯定するにも、いささか逡巡の念を覚えるのも事実だ。

戦後、言わば地権者(桜山神社)や盛岡市による特別な配慮で、「やがて将来的には明け渡す」という「条件付き」の下に存在を許されてきた桜山商店街である。果たしてそこに、この一等地にて、いつまでも現状のままで存続を求める「大義」はあるのだろうか。

実際これまでも市は、桜山商店街の永続的に営業可能な場所への転地を検討してきた。ややもすれば今回の「史跡整備計画」も、それは県や国から予算を引き出す為の「名目」こそが主で、その予算を以て市の全面的支援の下、桜山商店街の移転再構築を図るのが根底やも知れぬ。かつての契約がある以上、それはそれで一種の大義とも言えよう。

だが、例え「大義」を抜きにしても、しかし「正義」はこちらにある。

価値ある町並みは残さねばならない。多くの市民が憩い、心の拠り所とし、また既に多くの来盛者を呼び込む魅力を発信している、この活気あるストリートは守らねばならない。盛岡市民のソウルフード発祥地を消滅せしめる事は、即ち盛岡人としての魂を消滅せしめる事なのだ。

桜山商店街を残す事は、即ち「正義」である。

一方、それを破壊する事は「悪」である。

訴求力に疑問符ばかりの観光開発など、悪に他ならない。既にこの問題は全国に伝播し、強引かつ暗愚な盛岡市政、更には観光地盛岡自体への「幻滅」という、逆のマイナス効果ばかりを生んでいる現実もある。

失うのは観光客ばかりではない。現在の盛岡の姿を愛する定住者、この盛岡の素晴らしさを伝えようと日々努める観光ボランティアたち、そんな街の魅力に惹かれた移住希望者、じゃじゃ麺の味忘れ難く盆暮れ問わず帰省する元盛岡市民、更には多くのふるさと納税者を失う事──それは即ち、「悪」である。

4-2

最後に。

もしも僕らが、この桜山商店街を失ってしまった時、それでも僕らは「この街が好き、この街が好き、We Love Morioka♪」とタラリラを歌えるだろうか。

僕は歌えない。それは「小◯(=困る)」。

桜山商店街は、今の姿であるが故に愛されている──それは既に地元に留まらず、広く知られつつある事実。だが、基本的に盛岡市民は盛岡市のガイドブックを読まない。レトロとカオスが同居し、地元民のみならず多くの日本人の郷愁を誘う桜山商店街への評価は、まだ深く知られているとは言い難い。

だからこそ、更なるアピールが必要だ。殊に、決して少なくない「城跡周辺にふさわしい統一感のある街並みに、新しく改装」という市民意見に対して。

今、固く拳を握り、その振り下ろす場所を探す同輩よ。今、必要なのは「怒り」では無く、「覚悟」だ。三閉伊一揆を勝利に導いたのは、苛政者への怒りでは無く、彼らの覚悟であった。

「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」
(畠山太助/第二次南部三閉伊一揆指導者)

そして、綿密な作戦も。三閉伊一揆の参加者たちは、やたら外聞を気にする南部藩の性質を見抜いて、仙台藩に越境して強訴した。現市政がそんな虚栄の伝承者たちならば、先ずは「情報」を越境させ、全国に広く訴えることこそが効果的だろう。周囲を白けさせるようなパフォーマンスなどいらないのだ。

また、時期外れの市民アンケート結果を持ち出して、「数字の建前」を弄する役所には、署名という「真の数字」を突きつける事も意義がある。

更には、ただ「マインド」を訴えるだけでは無く、具体的な「メリット」を提示する事も必要だろう。地権者、盛岡市が、現在の契約形態を将来的にも維持する事に意義を感じる様なメリット。

今現在でも、実際にどれ位の人々、観光客、ついでに市役所職員が、この桜山商店街に足を運んでいるのか。また、いつかここを訪れたいと感じている人たちが、全国にどれほど居るのか。

更に、将来的な潜在性も含めて、雇用や税収など、どれだけの「経済効果」を桜山商店街が有しているのか。市としてそれでも物足りないと言うならば、今後桜山商店街は一律に、厨房機具を「橋一」で購入すると宣言してやるも良し……案外それが一番効くかもしれん。

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「またいつか白龍──桜山で」

大志を抱いて盛岡を離れた人たちの残した言葉。ソウルフード発祥地は、そのまま盛岡人の魂の故郷である。例えいつか我々が地上を去っても、魂の住処、魂の故郷がそこであり続ける事は変わらない。またいつか、桜山で。

今ならば未だ間に合う。
僕らにはまだ、帰れる所があるんだ。

桜山商店街。
そこは変えるべき場所ではない。

帰るべき場所である。



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by tototitta | 2010-10-11 18:12 | 日々日常 | Comments(6) | ▲ TOP
小◯ 桜山問題によせて(前編)
(記/なるほ堂)

「俺たちは殿様の私有物ではない」
──切牛弥五兵衛(一揆指導者)

1-1


「小◯」と書いて、「困る」と読む。

弘化四年(1847年)、南部藩政の改革を訴え、この岩手の地で起こった我が国最大級の一揆にして、日本近世史上唯一の「勝利の証文」を得た「南部三閉伊(さんへい)一揆」の参加者たちが掲げた「筵(むしろ)旗」に記した文字である。

計133回──江戸時代に於ける一揆最多藩として名を残す南部藩。その原因を当地ならではの冷害・凶作に求め、一揆を以て「飢饉に窮した百姓らによる暴動」と一重に括る向きもあるが、それは些か見当が違う。

南部藩政下270年を通じて断続的に起こった飢饉と一揆、それらは時期としてリンクせず、そもそも古文書や絵図を一目すれば瞭然だが、餓死者が累々とする凄惨な飢饉下の農村に一揆を起こす余力など無い。飢饉を舐めちゃあいけない。

殊に、参加者1万6千人余の約半数を以て仙台藩に越境、強訴するという高度な戦略性、組織性を持った「南部三閉伊一揆」に於いては、その参加者は農民だけに留まらなかった。またその要求も、

「度重なる御用金や臨時税の撤廃、多すぎる役人の減員」
「三閉伊を幕府直轄地か、さもなくば仙台領に」


などといった、これは極めて政治的な「領主否定の市民革命」だったのである。


1-2

領民たちが命を賭して蜂起した背景、その根源には南部藩代々の苛政者による、長年の放漫財政にあった。

幕閣有力者への多額の付け届け(東北の雄・伊達への対抗心に由来する官位叙任工作)に始まり、1808年には「元・支族」と見下していた津軽氏の所領、隣接する弘前藩が「南部と同格の10万石に御加増」と聞くや、自領内の実収入を全く度外視して、南部藩は不相応にも石高20万石の大名へと「高直り」を断行。

その結果、藩の対外的な格式、例えば藩主が将軍に謁見する際の「控えの間」のランクなどは格上げされたが、当然その分の幕府への御用金や労役負担(参勤交代や蝦夷地出兵など)も「二倍増」となり、相変わらずの凶作続きによる不安定な年貢収入と、それに対して場当たり的に大量発行された藩札「七福神札」に拠るインフレも相まり、江戸末期に於いて南部藩の財政は破産寸前にまで追いやられた。

そんな「失政」のツケを払わされたのが、彼ら領民であった。

南部家の「見栄」に由来する負債を賄うため、彼らに課せられた重税、新税や御用金……連年の凶作対策も、これといって藩より為されぬがままに。


1-3

そもそも、その飢饉にしても藩の失政が招いた「人災」では無かったか。如何に米本位制の江戸時代とは言え、南部領は当時の「水稲北限地域外」である。にも関わらず、

「左様なる僻地が領地たる事は面目ならん」

とばかりに地域性を無視し、全国一律の水稲生産などを強制すれば、さすれば連年の凶作は自明であろう。

詰まる所、「コンプレックス」なのである。

京や江戸の文化に憧れる一方で、

「(辺境の蝦夷地である)御国を汚土の如くお嫌い遊ばれた」

という南部の殿様の劣等感。

だからこそ内を見ずして、内にある独自性やその価値を鑑みること無くして、ただただ他所様並み、他所様風にと「外っ面」を虚飾し、そのツケ払いを領民に強いてきたのだ。

そんな南部藩の亡霊が、再び現れた。

『市が勘定所の復元構想 昭和風情醸す盛岡・桜山地区』

昭和の風情を残す盛岡市内丸の桜山神社参道地区で、城跡のシンボルだった土塁や勘定所などの復元構想が持ち上がっている。市は策定を進めている史跡盛岡城跡保存管理計画に構想を盛り込む方針を表明。藩制時代の中心地区をアピールし、観光振興につなげることが目的だ。しかし、同地区は飲食店を中心に約100の店舗が立ち並んでおり、復元が実現すると、立ち退きを余儀なくされる店も出てくる。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/03 岩手日報】

戦後より続くレトロな町並み、盛岡市民のソウルフードとしても名高い「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)発祥の店『白龍(パイロン)』擁する「桜山商店街」に、立ち退きを含む「再開発」を行い、拠りにもよって、かつての南部藩による数々の悪政の発信地であった「勘定所」を復元するという市の構想である。


─────────────────────────────


2-1

住民目線、住民の生活を蔑ろにし、観光振興、即ち「中央目線からの評価」ばかりを上げたがる現市政の様に、私はかつての南部藩主たちの姿を見る。

それは今回の「桜山問題」にて始まった話では無い。

先の「岩山漆芸美術館」問題では、ヨン様云々に踊らされ、結果副市長が引責辞任するに至った。

ボート数のギネス記録大会へと肥大化した「北上川ボート下り大会」は今夏、前日の大雨によるダム放水の最中に決行され、結果その安全管理体制が転覆事故に対処出来ず、途中にて中止となった(市はあくまで原因を悪天候とし、参加費は返還せず)

かの「さんさ踊りパレード」に至っては、10年近く前から主催者・盛岡さんさ踊り実行委員会が、独自の計算式にて、ねぶたや七夕など東北の他の祭りに負けない客数を「捻出」している行為を、市は是認している。

一部サンプルエリアで数えた人数を会場面積で均した数字の上に、何故か「開催中に4回人が入れ替わった」と看做して「4倍」し、更には主会場の隣接する地域にも「4割の人が訪れた」と上積みし、その結果、2008年度の「さんさ踊り」には「116万人」の人出があったと発表された。不測の事態に備え、正確を期して算出された県警発表の「16万人」との差は、なんと「100万人」だ。

よしんば観光振興を是としても、この様な現市政の姿勢、観光振興目的の為ともなれば容易に後先見失う体質を鑑みれば、彼らはその舵取り役には不適格と言わざるを得ない。


2-2

そもそも市が目論む観光案内所、土塁や勘定所の再現(といっても、間取りくらいしか資料が残存していない)等による観光客への訴求効果など、一体どれほどのものだろうか。

今や全国的にも希少なレトロな町並みである桜山商店街は、その魅力から多くの若き商店主らが集い、大いに活気に溢れ、また「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」発祥地として内外にも広く知られており、既に盛岡の観光資産として確固たる地位を得ている。例え「さんさ数式」を用いて100万人を加算せずとも、その集客効果は決して小さくないだろう。

それを潰してまで断行するほど、「盛岡城址の観光整備」に価値はあるのか?

しかも、今年7月の史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会より提出された保存管理基準案(※盛岡タイムス記事参照)の一文、

「史跡整備や活用に関する現状変更の許可」

を根拠とし乍ら、しかしその前にはっきり明記された、

「(桜山参道地区には)戦後に形成された商店街が存立しており、長期的に保存と活用を進める必要がある」

という箇所を無視すると言う、阿漕な真似までして。

今回の保存管理基準案では、ようやく商店の内装、外壁、配管の改修、改築が可能になるはずであった。しかしそれを以て役所曰く、

「じゃあ、この商店街自体をきれいさっぱり掃除しましょう」

では、今まで穏便を以て表現を抑えてきたが、こう書くより他に無い──正に外道


2-3

そもそも盛岡市の観光の中心に、旧支配者である南部藩の象徴・盛岡城址を据える事自体に、私は疑問を呈さずには居られない。

家督争いで藩分割を招き、愛人との痴話喧嘩で幕府に遅参して処分され、リストラする家臣選定の際は「目隠し」をして名簿に墨を入れるなど、醜聞ばかりに事欠かぬ南部藩には、現在誰一人として「名君」として顕彰される者は無いだろう。

飢饉下での恵みの鮭も、対外的な特産品として藩が独占。贅沢だから庶民は蕎麦禁止。盛岡に遊廓を建てちゃうぞ。地元の大関も、些細な事で処刑しちゃうぞ。辻斬りだってしちゃうぞ。冷害で米が取れない? それなら京伝来の南部鉄瓶で茶の湯をたしなめばいいじゃない──などといった、一部に巷間伝承含み乍らも、幾多の悪評に塗れた南部藩を復古する様な盛岡城址整備計画など、観光振興としても、現盛岡市民の在り方としても、凡そ「的外れ」と感ずる。

「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし十五の心」

かつて、盛岡城址にてそう詠んだ啄木。盗んだバイクで走り出した尾崎豊の先達である。十五の夜。私は無理のある観光地化よりもむしろ、その様に、

「授業をサボって寝転んでも、誰に見咎められる事無き静謐な場所」

として先人たちに愛されてきた盛岡城址・岩手公園を、そのまま現状で後世に残す事こそが正しい在り方と思うのだが、如何だろうか。


2-4

さりとて、当方としては斯様な「当たり前の感覚」を、決して共有出来ないであろう階層がこの盛岡に存在する事は理解している。例えば、「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」という現市政の方向性を後押ししている盛岡商工会議所。

盛岡の商業の特性は、南部藩政時代に創業してその庇護を受けた商家が、一部に業務形態を替え乍らも、現在まで脈々と存続しているという点にある。某大型デパート、某南部鉄器店、某文房具屋、某薬局など諸々である。彼らにとっては、盛岡城はあくまで「かつての主君、お殿様の居城」なのだろう。

その立ち位置を否定はしない。270年に渡る一揆と飢饉の波を乗り越えて、代々続いてきた百姓の血脈に生まれた自分とは、歴史観が違って当然だろう。

だが、敢えて一言申したい。

盛岡商工会議所は、現在NHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』の続編誘致運動を展開している。「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」に豚バラ肉という「暴挙」に及ぶなど、決して出来のいいドラマでは無かったが、しかしかのドラマは、時流に乗って「取って付けた様な観光開発」にノーを唱え、歴史ある「古き良きもの」を大切に残そうという老舗旅館若女将の物語では無かったか? 

その続編誘致が単に「観光客誘致のアイテム」としてではなく、真摯にドラマの意に呼応した運動ならば、商工会の推す「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」を名目として、「60年もほぼそのままに続くレトロ商店街」という、正しく「古き良きもの」の破壊を目論む現市政、その代わりに観光案内所や団体客向け大型飲食施設の建設や、土塁や勘定所の想像に基づく再現といった「歪んだ観光開発」を推進する現市政に、ノーを突きつけねば嘘になる。

商工会諸君らは、今一度考えるべき時である。現在の己らの姿が、『どんど晴れ』に於いて旅館乗っ取り屋の片棒を担がされたボンクラ坊ちゃん経営者「伸一さん」に重なっていないかと。

そして、気付かねばならぬ。今こそ「古き良きもの」を守る為に、立ち上がるべき時であることを。それこそが『続・どんど晴れ』なのだ。作り話では無い現実のドラマ──俳優では無く、盛岡市民である自分たちが主人公、出演者となって。


【後編に続く】

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by tototitta | 2010-10-11 18:08 | 日々日常 | Comments(0) | ▲ TOP
ガチ校長によるガチ・プロジェクト始動
(記/minaco.)



先日ちょこっと触れたけど、ガチ校長による“RvN Academy”がいよいよ開校となりまして、地元OssのMargriet(幼い頃通ったフットボールクラブ)にてプレゼンが行われたんであります。勿論ルート直々に出席し、ご挨拶やセレモニーをこなしてた。

ワタシが勘違いしてフットボール・スクールと書いたけど、実はそうではなかった。曰く、フットボールに限らず音楽でもダンスでも絵でも文学でも、或いはパイを焼いたりでも何でも良いから、子供達それぞれの才能を見つけて伸ばしてあげよう、チャンスを与えよう、とゆう趣旨のプロジェクトなのだった。そりゃまた大きく出たな!

まずは9〜14歳まで15、6名のクラスを4つ設け、週1回Ossとアイントホーフェンにてスタート。とりあえず地元でちゃんと軌道に乗せたいとの事。各分野の専門スタッフが子供達を支え、例え環境に恵まれなくとも夢を持って叶えられるようにと、ルートはそんなプランを熱く語っている。
俺は裕福な家庭に育った訳じゃないが、チャンスを得た。そして、そんなチャンスを得られる子供達がすべてじゃないとも知っている。
俺の両親はどこに居ようと、音楽でもダンスでもフットボールでも── フットボールがしたいと俺が望めば一緒にやってくれた。Ossにある少年チームにはコーチが居た。彼は俺のプレイを40分見た後、こう言ってくれた。「お前は私の選手だ」「本当に良い選手だよ」と。更に「この調子で続ける事だ」とも。コーチが自分を認めてくれてるんだ、だからきっと…と思った。彼は俺の為にしてくれたのだ。雨でトレーニングに自転車で行けない時は車で拾ってくれたり、フットボールシューズだって買ってくれた。その時は小さな事だけど、振り返れば彼らの存在は大きい。それはフットボールシューズを買ってくれたから…いや、彼がこう言ってくれたから。「お前を信じる。フットボール選手としても人としても」
物凄いインパクトだった。それはまるで天から差す光のような…。
俺はRvN Academyが、僅かなチャンスしかない所に暮らす子供達へ、その光を持って来られる事を願う。彼らがその夢を果たせると信じる事もまた、Academyを通じて与えたい。
何故なら、子供達が夢を信じれば、それを叶える事も出来るかもしれないのだから。

(ルートよりご挨拶)


彼は2年前から着々と準備を進めていたそうである。つまり、怪我してる間に暇が充分あったんだろう。念願叶ってスタッフとスポンサー(ラボバンク!)も集まり、こんな立派な形になっちゃってビックリ。やるなあ。本人が度々帰省する訳にもいかないが、「今はネットやスカイプもあるから大丈夫」と言いつつ、「でも行ける時は行くよ。引退した後はより多く時間を割ける」と…ああ、やっぱり。

とはいえ、フットボール選手としての経験をこのプロジェクトに生かす為、ルートがした事といえば、いきなりガチなぶっちゃけ話だったそうな(!)。
例えば、アレックス・ファーガソンやマルコ・ファン・バステンと俺が直面した関係とかを包み隠さず話した。彼らとはかつて問題があって、そこから学んだ事、彼らが俺をどう扱ったかを。当時は自分が正に半分に引き裂かれて、その経験から俺の基本が確立されたんだ。それが学習メソッドに生かされる。
ファーガソンやファン・バステンと揉めて、アドフォカートとも以前やらかして、その時はチェコ戦で外された。アカデミーを始めるに当たって、俺は何で自分がそうなったか話したんだ。監督がどう反応したか、その後俺達の関係にどう影響したか。でもまあその典型は多分、ファン・バステンだな。

どうやら経験上、自分は欠点ばかり非難されたけど、このアカデミーは子供達の才能や可能性を最大限見つけてやるのがモットーらしい……って、反面教師かい!校長自ら失敗例を曝してどうするwみんなドン引くよ!

── そんな訳で、大きな理想とガチズムを掲げるガチなアカデミーが彼のライフワークとなりそうです。
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by tototitta | 2010-10-08 10:33 | Ruud van Nistelrooy | Comments(4) | ▲ TOP
ギャリー・アレクサンダー・ネヴィルを称えて
(記/minaco.)

雨にも怒り
風にもムカつき
雪にも夏の暑さにもブチキレ
貧弱な身体を持ち
欲ばかりで
決して丸くならず
いつも何かを呪っている
1シーズンにタイトル3個と
カーリングカップとFAカップも獲り
あらゆることを
自分のクラブを勘定に入れ
よく怒鳴り焦りしテンパり
そして懲りず
ピッチの右のサイドのライン際の
小さな攻撃のスペースにいて
東に宿敵のリヴァプールあれば
行って挑発してやり
西に成金シティあれば
行ってその中指を立て
南に決勝点を決める友あれば
行ってキスをして怖がらなくてもいいと言い
北に移籍後愚痴る奴あれば
自業自得だから止めろと言い
無冠の時は涙を流し
ピンチのゴール前ではオロオロ歩き
みんなに兄と呼ばれ
褒められもせず
表彰もされず
さういふ主将を
我々は
愛したい

─────────────────────────────

【妄想アクターズ・スタジオ・インタビュウ】

ジェームズ・リプトン先生:さて、最後に本日のゲスト、ギャリー・ネヴィル氏に、フランスの名司会者B・ピポーが作成した恒例の10の質問といきましょう。
    Q1:お気に入りの言葉は?
    「U-N-I-T-E-D」

    Q2:一番嫌いな言葉は?
    「リヴァプール」

    Q3:心躍り、興奮するものは?
    「オールドトラッフォード」

    Q4:気持ちが滅入るものは?
    「負ける事」

    Q5:大好きな音は?
    「勝利のホイッスル」

    Q6:大嫌いな音は?
    「リヴァプールとシティのチャント」

    Q7:好きな悪態は?
    「そりゃ勿論、F●ckin' Scousers!」

    Q8:現在の仕事以外でやってみたい仕事は?
    「ユナイテッドの監督」

    Q9:絶対にやりたくない仕事は?
    「リヴァプールファンにだけは死んでもなりたくねえ」

    Q10:もし天国があるなら、着いた時、神に何と云われたい?
    「“ジョージ・ベストとダンカン・エドワーズとサー・マット・バスビーのチームに入るかい?”」

リプトン先生:では、学生の諸君と質疑応答を…。

Q:キャプテンバンドは普段どのように扱えば良いですか?(主将志望・男性)
「俺はヴェルベットの箱に丁重に保管してるのさ。もしそれをからかう奴がいたら、容赦しねえな」

Q:ポジションを得るにはどうしたら良いですか?(スタメン志望・男性)
「俺だって若い頃はなかなかレギュラーに定着できなかったもんだ。CBをやった事もある。ギグシーは17歳でもうスタメンだったのにな。ポールだってFWもしたし、ベックスの奴はセンターでやりたがったもんだが、監督の言う通り何でもこなしたもんだよ。まあ、クラブに我が身を捧げる気持ちさえあれば、スタメンだろうがベンチだろうが関係ねえ」

Q:他のクラブに移籍しようと思った事は?(トップチーム志望・男性)
「ある訳ねえだろ。そんな奴はとっとと出てけば良い。弟や…ベックスはやむを得ずそうなったが、あればっかりは仕方あるめえ。ベックスはちょっとばかし女の趣味が悪かっただけだ。誰でも欠点ってモンがある。
そりゃあな、俺だっていつかは終わりが来る。クラブが自分を必要としなくなって、自分もそれを受け入れたらな。覚悟はあるさ。まあ今のところまだ先だし、シーズンには俺ら三十路過ぎの経験ってのが必ず必要になるだろ。
何せ、最近グダグダな試合が多くて観ちゃおれん。お前らクラブの伝統ってモンを解ってんのか?その重みを背負ってんのか?シティなんぞに先越されたら恥じゃねえのか?お前ら心の底からシティが憎いか?いいか、まず聞け。我がユナイテッドはだな…

(以下フェイド・アウト、早送りのエンディング・クレジット…)
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by tototitta | 2010-10-05 22:35 | Manchester United | Comments(12) | ▲ TOP
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