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イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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幼馴染が語る「俺のダチ、ルート」
(記/minaco.)

2人は1976年にGeffenのKapelstraatという場所──デン・ボッシュとオスの間にある住民4,500人の小さな村で生まれた。7ヶ月前、小学校の同窓会で彼らは再会した。2人はお互い変わってないと言う。1人はマンチェスター・ユナイテッドのストライカー、もう1人はペンキ屋で、方や1年で稼ぐ金額を一方は1週間で稼ぐ。ルート・ファン・ニステルローイとアルド・ファン・フリンスフェンが彼らの名前。ルートの人生は既に知られているが、友人アルドについてはどうだろう?

(中略)
キッチンで彼の母親が珈琲を淹れる間、アルドは煙草に火を付けながら自分の人生が幸せだと語る。
    「俺は誰かと替わろうとは思わない。ルートとは違うんだ。最近、ルートの親父さんのTinyに会った時、笑いながら言われたよ。“お前はパブの方を選んだ”って。その通りだ。俺は野心的でも狂信的でもなかった」

    「小学校出た後、俺はLTSで終わった。初めはオスで、その後デン・ボッシュで。勉強する事も出来たけど、俺は怠け者だったんだ。本を読むのも嫌いでね。ルートは違う。あいつは他より頭が良かった」

少年時代のルートとの思い出を尋ねれば、彼は誇らしげに輝く。
    「ルートと俺はよくお互いの所で過ごして、いつも同じ趣味があった。フットボールさ。俺達はNooit Gedachtの同じチームでプレイしたし、俺の親父がルートの最初のコーチでもあった。英国のプレスは早速それを知ってね、あいつがユナイテッドと契約した時、いきなり英国からマスコミがこの辺に集まったんだ。すっかり驚いちまった。で、誰か英語話せる人いないかって言うんで、ああ俺は少し話せるよって事になってさ」

    「ルートにはRonとAnnekeって弟と妹が居た。Ronはレベルは高くはないけどアマチュアでプレイしてて、Annekeはkorfbal(バスケに似たオランダ発祥の競技)をやってる。昔、Ronは時々TVにも出た。彼らはマンチェスターに行く時ついてったけど、俺自身はまだ行った事ない。数ヶ月前に機会があったんだけど仕事が重なって。まあいいさ。いつか行けるだろ」

    「思い出すと、ルートはずっとファナティックな少年だったよ。熱血漢で狂信的。いつも勝ちたがってた。路上フットボールでも他のゲームでもね。ゲームって言えば、スプーンで卵を運ぶ競争で卵を落としたら、あいつ怒り狂ってたなあ

新たな煙草、新たな逸話。
    「80年代半ば、ドイツの国際試合ってしか覚えてないんだけど。ルンメニゲが居たのは覚えてる。凄く寒くて道が凍ってた。俺はスケートしに行って、ルートは試合を観る為家に居た。俺達は賭けをしたんだ。俺の予想はドイツがPKで勝つ、ルンメニゲが最後にPKを決める。ルートは違う予想だった。スケートの後で戻って、それで?とルートに聞いたら凹んでたよ。あいつの予想が外れて、俺のが当たってたから」

アルドの母:「ルートは怒る事もあったけど、良い子だったわね。凄く良い子。決して悪い事はしなかった」
    「物静かだったな。俺は問題起こすのも好きだったし、悪さも沢山した。共通のフットボール・キャリアで一度チャンピオンになった事があったんだ。そりゃあ最高だったよ。今でもそれを思う事がある。小学校卒業した後ルートはNooit Gedachtを去って、Margrietへ行ったんだ。次にDen Boschへ、後は知ってるだろ。俺はNooit Gedachtに残った。今は4番目のクラブでプレイしてる。まだルートの親父さんとは連絡取ってるよ。お袋さんとはないな。彼女は離婚してGeffenを離れたから」

昨年9月、彼は再びルートと会った。
    「小学校のホールで再会したよ。ルートは最後に入って来て、皆には殆ど認められてた。俺と同じようにクラスメイトから話を聞かされてたっけ。凄く大人しくて、他と特別な事もなくて、あいつは俺達より何も優れててるとは思ってなかった。横柄な奴じゃない、本当にそうさ。正直で、俺達がどうしてるか気に掛けてた。パートナーや子供がいるかもって。(イングランドでの事は)いいや、あいつがどうしてるか新聞で皆知ってるから、煩わせるような事はしなかったよ」
アルド母:「この子はルートを必死で応援してる。ユナイテッドの試合が放送されると、TVの前でじっと座って見入ってるのよ。その間、私達は静かにしてなきゃないの」
    「ルートの事はよく思い出すよ。あいつは俺が誇る男だ。月曜の仕事先ではまずユナイテッドとルートの事を詳しく話すんだ。また得点したとか、どんだけ凄かったか、あいつがTVで何を言ってたか」
アルド母:「ルートがやったぞ!ってね」
    「ユナイテッドはあいつにとって申し分ないチームだな。あそこで成長できる。俺が恐れてるのは怪我、敏感になってるんだ。あいつの膝にはまだリスクがある。だから俺はイタリアには行って欲しくないんだよ。連中はあいつの膝を蹴って駄目にするからね」
アルド母:「ルートは賢い子よ。自分で行こうとはしないわ。どこでプレイするか自分で決めるわよ」
    「そりゃそうだよ!あいつは強い人間だ。ずっと前から強い意志を持ってた。俺も強い意志を持ってる。何があろうとルートは世界最高の選手になるんだって。俺はGeffenのペンキ屋だけど、両方とも幸せだと思ってるよ。お互い自分の道がある。そして誰だって何であろうと幸せだし、満足できるもんなんだよ」
(2003年 オランダ紙)

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実はルートが地元クラブNooit Gedachtから隣町のクラブへ移籍した時、同級生やチームメイトからは「裏切り者」扱いだったという。彼らはOssの中学校へ通学する自転車にルート少年を乗せようとせず、仲間外れにしたのだった。小さな田舎では往々にしてそうゆうものである。地元クラブの秘書には「お前は自分だけ巧いとでも思ってるのか」と非難され、仲間達からはプチいぢめに遭い、それでもめげず我を通したルート少年であった。

勿論、今ではそんな村人達も「おらほのルート」と自慢にしてる。誰もがまるで自分の親戚のように。
ルートがプレイし続ける限り、村人達に何かをいつも望まれる事を事実として生きていかなければならない。プレス、スポンサー、ファン…Geffenはルートのおかげでよく知られていた。村はこれ以上の大使を望む事は出来ない。昨年、チャットセッションで彼はこう質問された。
「最も美しい場所はどこですか?マンチェスター?アイントホーフェン?」
彼は答えた。
「俺の出身地、Geffenさ」
(2003年)

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by tototitta | 2011-02-23 00:43 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
ガチとは決して後悔しないこと
(記/minaco.)


ルートの契約は今季終了までなんだが、HSVから延長のオファーは未だ無いらしい。多分それもむべなるかな。メディアで知る所に拠れば、会長含む現体制は色々ゴタゴタしててマグマ状態らしく、新体制も監督も先行き不明なのに来季契約が決まる訳もなく。そうしてるうちに、先日耳に入ってきた冬のマーケットの噂。


ソースは何故かL’Equipe。何でもPSVがHSVからローン移籍中のマーカス・ベルグくんと交換に、ルートを連れ戻そうとの話であった。別に驚きはしない。PSVはポールさんで言うオールダムみたいな、永遠の故郷である。最近も帰る可能性は「限りなく低い」と語ったばかりだけど、もし噂が本当でPSVからオファーが届けば無きにしも非ず…。むしろ、良い話かもしれない。本人とその家族にとって。

何しろアイントホーフェンはホームなのだ。ユナイテッド時代には近郊の小さな町に家を買って、オフも怪我の治療の際もそこで過ごした。以前「最後はPSVに恩返ししたい」と繰り返してきたし、OBとして度々帰省してるし、何より実家から通える程の距離、弟や地元の友人も住んでいるというアイントホーフェン。ずっと「おらほのRuudje」としてPSVファンに愛されてきた彼が帰ってくるなら、ブラバントの人々も夢が叶う。そんな場所でイングランド、スペインドイツと巡ってきた旅の軌跡が閉じるのは、ハッピーエンドに相応しい帰結じゃないかな。まだ気が早いけど、そう思う。

だけど、どっこいワタシにとっては簡単じゃない。非常にキツい。
PSVの試合なんてどこで観られるのか。
蘭語難しいし。スペイン語も独語も出来ないけど、蘭語なんてマイナー言語よりはマシ。
PSVも今はマグマらしい。来季CLに出られるかも?なんて一瞬期待したが、まず無理っぽい。


…などと頭を抱えたのだけど、程なくしてBild紙にルートのインタビュウが出たんだった。
曰く、
2010年は俺にとってもクラブにとっても凄く残念な年だった。加入した当時はすべてが素晴らしく見えたよ。俺達は4位に居て、CL出場権を掴む良いチャンスだったんだ。結果的には何も獲れずに終わったけど。ヘンな話、俺が来て──成功は潰えた。このクラブを助けたかったのに、不運にもそうはならなかった。
(移籍を後悔するか?)いいや。ここでプレイする決断はちっとも間違いじゃない。俺はまだ何も成し遂げてない。それが俺を悲しくさせるんだよ。
(冬の移籍については)普通なら夏までここでプレイする。俺はそのつもりだよ。移籍話なんか何も聞いてない。

ああ──それもそうだった。途中で投げ出すような人じゃない。自分で決めてここへ来たし、まだ何も結果を残してないし、このまま逃げるように出て行くなんて真っ平だろう。“ガチとは決して後悔しないこと”──ガチはいつだってやるしかない。逃げ場なんかない。

インタビュウの続き…。
Q:フットボール選手は大抵どんな事も経験済みだけど、でもきっとサウナで一晩明かす人はいないのでは?
「ああ。(BMG戦の後)Gladbachから帰るには遠すぎて、何時間も運転するよりは良かったんだよ。だからストレッチ部屋からゴムマットを調達してきて、サウナの中に敷いて寝たんだ」

Q:それで──良い夢を?
「そう。そりゃあ快適じゃないけど、でも俺は今もっと豊かな経験に囲まれてるからね」

……何それwwいくら寒い中運転して帰るのが面倒だからって、まさかのサウナ泊。どこの忘年会で呑み過ぎて終電逃したサラリーマンかと!つ、つまり、どこでも寝られる問題は環境じゃない、って事なんでしょう。恵まれたビッグクラブでなくても、その気があれば何でも受け入れるのがガチなんですな!

それはそれでシンドイけど(ワタシが)、本人が契約満了まで約束を果たすと言うのならそれで良い。他に理想郷があるでもなし、高望みは出来ないけど、このグダグダなチームに付き合いましょう。但し、クラブ次第では何があるかまだ解らないかもしれない。延長オファーがされないのは確かみたいだし。ああ、モヤモヤと現実逃避のタイムトラベルは年をまたいで続くんであった。
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by tototitta | 2010-12-27 00:55 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
シンタクラースがやって来る
(記/minaco.)


ホームでの第14節シュトゥットガルト戦もまた、リードしても危うい試合運びのHSV。4-2で勝てたけど、ルートの4点目がなかったらどうなってたか。

そのゴールは、59分に途中出場してから僅か88秒後の事だった。ロングボールを落としペトリッチが浮き球を送ると、そのままフリーになったルートが容易くループでゴールへ放り込む。そこまでほんの2タッチ。煮詰まってグダグダな試合も、シンプルなプレイであっさりと打開してしまう。哀しい事に、HSVでそんな選手は他に見当たらない。


さて、オランダでは今年もシンタクラース(≠サンタクロース)の時期である。国内を周った後、白馬に乗ったシンタクラースさんは各家を訪れる。12月5日、きっとドイツのファン・ニステルローイ家でも子供達に詩を書いて贈る事でしょう。
いつも家族がシンタクラースの為にだけ、わざわざオランダからやって来るんだ。うちはまだシンタクラースのお祝いをしてる。子供なんて誰もいないのにさ。イングランドでは、いくら主張してもシンタクラースなんか知られてないんだ。家族を招待するには良いきっかけだよ。俺達にとってクリスマスはパーティじゃなくて、教会にも行かない。違った形で聖職者が俺達の所に来るんだよ。
俺はカトリックだけど、何かの習慣はないね。ノルマとか価値観や信条は魅力的だし、それが俺の信念だ。俺の伝えたい事も同じ。古臭く聞こえるかもしれないけど、でも社会にはノルマや価値観が必要だと思うし、それがどこから来るものでも構わないんだ。俺は信じる者をリスペクトする。社会にそれが必要とされる限りはね。
(ルート、シンタクラースを語る / 2006年 Voetbal International)

オランダでも主に北部はプロテスタント、南部はカトリックが多いらしい。メヒコ人と違って試合前に祈りを捧げたりしないし、「神の力より、人間の理想の力を信じる」とゆうルートだけれど、ゴールすると十字を切って天にキスを贈る事が時々ある。そういえば2005年の今頃、ジョージ・ベスト追悼セレモニー後の試合でもそうしてた。あの時はきっとベストへ捧げるゴールだったのだと思う。


ところで、シンタクラースさんはスペインから船でオランダへやって来る事になっている。何でオランダの行事がスペイン?とゆう話は、こちらGroeten vanuit Utrechtのサイトで紹介されていたので、以下抜粋。
    【なぜスペインから来るのか?
    周囲のオランダ人をつかまえて色々聞いた話によると、プロテスタントが誕生するまではキリスト教と言えばカトリックがメインでした。もともと聖ニコラスはカトリックの聖人でした。しかしオランダはスペインの支配を受け、カトリックのスペインに反抗する形でプロテスタントを支持。アムステルダムでは16世紀、カトリック信仰が禁止されたくらいでした。オランダ国歌の歌詞にまでスペインへの抵抗がちらりと顔を覗かせます。なので、その頃の親達の脅し文句が、「悪い子はスペインに連れてかれちゃうぞ」だったそうで。】

なるほど。「悪い子はスペインに連れてかれちゃうぞ」……とゆう訳で、かつてオランダ人はスペインへ旅立ったのですな。
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by tototitta | 2010-12-05 00:46 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
ガチのルーツ
(記/minaco.)

キャリアの最後はオランダへ帰るのかって随分訊かれたよ。でも今のところそれはないな。フットボール界じゃ物事がどれだけ早く過ぎてくか解ってる。だからあまり先の事を考えても意味ないんだ。一旦自分のブーツを壁に掛けたら、もう引き返す事はない。とはいえ、あと何年か先だけど。
もしHSVが延長オファーをくれるなら、当然考える。怪我の後でまだ俺に信頼を置いてくれるクラブは多くない。でもHSVはそうしてくれた。その恩は忘れない。
(HamburgerAbendblatt)

今シーズン後に契約満了する件について。怪我の後で誰も自分を信じてくれる人がいないって時に、チャンスを与えてくれたのがHSVだから、HSVを最優先するつもりだと言う。故郷に帰る可能性も全くあり得なくはないけど、現時点でそのチャンスはごく僅かだそうな。ユナイテッド時代には、最後は古巣PSVへ帰って恩返ししたいと常に話してた。当時はマンチェスターかアイントホーフェンしか無かったけれど、あれから移籍や2度目の膝の手術もあり、何もかも激動した4年間。

バイエルン戦での負傷から練習復帰したところ、すぐまたハムストリングを痛めてしまったルートである。大黒柱欠場以来チームは1勝3敗。怪我人続出のHSVはパッとしないまま、いつしか9位まで転落…。でも思ったより怪我は軽かったようで、本日再びチーム練習に復帰したところ。よかった!

*        *

そんな状況ですが、そういえば離脱前にはドイツのTV"Sportclub"(スポーツ選手のインタビュウ番組)に出演してたんであった(動画有り)。スタジオに登場したルートは番組サイト曰く、「物静かで思慮深く、ワールドスターのオーラ無し」とのこと。そりゃまあ確かに、スタジアムの観客数にも満たない人口の田舎で生まれた農耕馬ですから。
    「出身はGeffenっていう小さな村なんだ。のどかに暮らす人ばかりで、俺達はあんまり馬鹿げた事はしないね」
などと故郷を語ると、番組は何と地元取材までしてあって、当時のコーチや関係者のコメントまで流す用意の良さ!「実はトレーニングで上手く行かないといつも泣いてたらしい」なんて、ルートも子供の頃の思い出を懐かしそうに回想する。その度ママは「失敗は不可能を可能にする」と励ましてくれたそうだが、パパはもっと現実的なアドバイスをしたのだとか。
    「親父は“Geffenからプロフットボール選手になった人なんかいない”って言うんだよ。本気でフットボール選手になる夢を追う俺を心配してたんだろうな」

どうやらルートはパパよりもママの家系に似たらしい、と思う。母方の祖父はかつて村のアマチュア選手であり、試合で敵を殴り長期出場停止を喰らったとゆう逸話もあった(当時手製だったユニを破かれた事に激怒したとか…)。ママも女子チームでプレイした経験があると聞く。一方、父方の祖父は牧場を持ち、ずっと酪農一筋。フットボールのルールすら知らないそう。そんな爺ちゃんは以前ファーギーとの確執が新聞に取り沙汰された時も、「お金はもう充分あるんだから喧嘩なんかするもんじゃない」と孫をたしなめたとか。爺ちゃんw

そんな訳で、どうもガチのルーツは母方の血にあるように思われる(のほほんとした感じの弟はパパ似かも)。パパの言う通り、北ブラバントの片隅はオランダフットボール界でも決してメジャーな土地ではなかった。けれど、例えばかのゴッホにしろヒエロニムス・ボッシュにしろ、何か強くファナティックな人間が少なくないらしい。夢を叶えたルートは言う。
    「俺は今、プロとして17年目。時々まだそれが信じられないんだ」

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by tototitta | 2010-11-16 22:24 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
元気ならば儲けもの
(記/minaco.)


長い怪我の間、考えてたんだ。“ルート、お前は33歳だぞ。1年半もプレイしてないぞ。それでもまだやりたいか?”って。俺はただ止めたくなかった。挑戦した結果、達成したんだ。だから来る一瞬一秒を満喫する事は、俺にとってボーナスさ。(Bildにて)

どうにも毎度年齢や、キャリアの最後についてばかり話題にされるのも如何かと思うけど(まるで後が痞えてるから早く場所を開けろとでも?)、先週のバイエルン戦でラームの踵落しを膝に喰らった時には、本当にゾッととしたんであった。70分頃交代し、その後のドイツカップとケルン戦を欠場(どちらも負け)。

そういや先頃は、ベン・アルファへのタックル事件で代表を外れたデ・ヨンクの事を心配してたルートである。「マスコミがまるで犯罪者扱いで騒ぎ過ぎるのはどうよ」とか、「あいつ1人に背負わせるにゃ酷だ」などとコメントしたり、どうやら直接電話してやってまたお節介してみたり。

世論的にも選手としても削られた方に同情するものなのに、ルートは「自分がデ・ヨンクの立場なら言い訳しない」と何故か削った側を我が身に置き換えるんであった。まあ確かに、FWなのによくユナイテッド仕込みのハードタックルかますけど(マインツ戦でもやってた)。でも自分が怪我しちゃ皮肉とゆうか、とりあえず大事には至らなかったようだけど…。

ユーロ予選モルドバ戦はウォームアップしてても出番が無かった。スウェーデン戦では4−1の大勝とはいえ怪我人も続出して、やっと最後に大歓声と共にルートの出番。7分程の出場で1度しかボールに触れられなかったが、ただ座ってる為に代表にいる訳じゃない。
オランニェ復帰を誇りにしてる。俺にとっては成功なんだ。どうしてきたかって?ずっと普通に暮らしてきてそのお蔭でプレイしてこられた。ユーロ?それ訊かれすぎだよ。この仕事じゃプランは難しい。ただ---俺はまだ満足してない。まだまだ自分のキャリアにはやれる事が沢山ある。

彼は常々、監督やコーチ稼業には興味がないと言ってきた。現役を辞めたらフットボール界からスッパリ離れたいと言った事もある。
今のところ、コーチ業なんて考えてない。今のうちにそう言う他の選手達も知ってるが。でも決して解らないもんだな。俺の元同僚のスタムは絶対コーチにはならないつもりだったのに、この前話した時にゃオランダの2ndディヴィジョンでアシスタントコーチやってたんだから。

ギャリーやギグスやオーレのように、監督志望の選手は現役中からコーチ修行を始めるものだけど、ルートは何も準備して来なかった。そもそもこんだけ監督と喧嘩してきた人に、そんな仕事が向く筈もない訳で。それは多少自覚もしてるようで。まあ先の事は解らないけど、そんなオファーが来るとも思えないお…。

ならば限られたフットボール人生だもの、最後の最後まで味わい尽くさなきゃ勿体無い。太く長く濃く。例えばファン・バステンは長引く怪我のせいでキャリアをフェードアウトしたし、クライファートは出だしが華やかでも人知れず去っていった。もしも真っ白な灰になるまで燃え続ける事が叶うなら、それは幸せだと思う。

フットボールは俺にとって最も素晴らしいものの一つ。毎日トレーニングしてるのが特別な事。俺は毎朝、フットボールシューズの紐を結ぶ度に感じるよ。”ツイてる!”って。(Bildにて)

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by tototitta | 2010-10-31 22:11 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
ガチ校長によるガチ・プロジェクト始動
(記/minaco.)



先日ちょこっと触れたけど、ガチ校長による“RvN Academy”がいよいよ開校となりまして、地元OssのMargriet(幼い頃通ったフットボールクラブ)にてプレゼンが行われたんであります。勿論ルート直々に出席し、ご挨拶やセレモニーをこなしてた。

ワタシが勘違いしてフットボール・スクールと書いたけど、実はそうではなかった。曰く、フットボールに限らず音楽でもダンスでも絵でも文学でも、或いはパイを焼いたりでも何でも良いから、子供達それぞれの才能を見つけて伸ばしてあげよう、チャンスを与えよう、とゆう趣旨のプロジェクトなのだった。そりゃまた大きく出たな!

まずは9〜14歳まで15、6名のクラスを4つ設け、週1回Ossとアイントホーフェンにてスタート。とりあえず地元でちゃんと軌道に乗せたいとの事。各分野の専門スタッフが子供達を支え、例え環境に恵まれなくとも夢を持って叶えられるようにと、ルートはそんなプランを熱く語っている。
俺は裕福な家庭に育った訳じゃないが、チャンスを得た。そして、そんなチャンスを得られる子供達がすべてじゃないとも知っている。
俺の両親はどこに居ようと、音楽でもダンスでもフットボールでも── フットボールがしたいと俺が望めば一緒にやってくれた。Ossにある少年チームにはコーチが居た。彼は俺のプレイを40分見た後、こう言ってくれた。「お前は私の選手だ」「本当に良い選手だよ」と。更に「この調子で続ける事だ」とも。コーチが自分を認めてくれてるんだ、だからきっと…と思った。彼は俺の為にしてくれたのだ。雨でトレーニングに自転車で行けない時は車で拾ってくれたり、フットボールシューズだって買ってくれた。その時は小さな事だけど、振り返れば彼らの存在は大きい。それはフットボールシューズを買ってくれたから…いや、彼がこう言ってくれたから。「お前を信じる。フットボール選手としても人としても」
物凄いインパクトだった。それはまるで天から差す光のような…。
俺はRvN Academyが、僅かなチャンスしかない所に暮らす子供達へ、その光を持って来られる事を願う。彼らがその夢を果たせると信じる事もまた、Academyを通じて与えたい。
何故なら、子供達が夢を信じれば、それを叶える事も出来るかもしれないのだから。

(ルートよりご挨拶)


彼は2年前から着々と準備を進めていたそうである。つまり、怪我してる間に暇が充分あったんだろう。念願叶ってスタッフとスポンサー(ラボバンク!)も集まり、こんな立派な形になっちゃってビックリ。やるなあ。本人が度々帰省する訳にもいかないが、「今はネットやスカイプもあるから大丈夫」と言いつつ、「でも行ける時は行くよ。引退した後はより多く時間を割ける」と…ああ、やっぱり。

とはいえ、フットボール選手としての経験をこのプロジェクトに生かす為、ルートがした事といえば、いきなりガチなぶっちゃけ話だったそうな(!)。
例えば、アレックス・ファーガソンやマルコ・ファン・バステンと俺が直面した関係とかを包み隠さず話した。彼らとはかつて問題があって、そこから学んだ事、彼らが俺をどう扱ったかを。当時は自分が正に半分に引き裂かれて、その経験から俺の基本が確立されたんだ。それが学習メソッドに生かされる。
ファーガソンやファン・バステンと揉めて、アドフォカートとも以前やらかして、その時はチェコ戦で外された。アカデミーを始めるに当たって、俺は何で自分がそうなったか話したんだ。監督がどう反応したか、その後俺達の関係にどう影響したか。でもまあその典型は多分、ファン・バステンだな。

どうやら経験上、自分は欠点ばかり非難されたけど、このアカデミーは子供達の才能や可能性を最大限見つけてやるのがモットーらしい……って、反面教師かい!校長自ら失敗例を曝してどうするwみんなドン引くよ!

── そんな訳で、大きな理想とガチズムを掲げるガチなアカデミーが彼のライフワークとなりそうです。
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by tototitta | 2010-10-08 10:33 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
ボーナス、或いはご馳走
(記/minaco.)



本当に、嬉しくて嬉しくて堪らない様子なんである。
2年ぶりにオランニェの練習場へ姿を現した時拍手で迎えてもらったルートだが、照れ臭かったのか、彼は一緒に居たブラルーズの方を「どうぞどうぞ」と担ぎ出すとゆうボケをかまして笑いを取ってた。つ、掴みはオッケーw

オランダメディアに対しても、嬉々として色々ぶっちゃけるのだった。曰く、
「これはボーナスみたいなもんだな。怪我した後の2年間へのご褒美、旨いご馳走って感じ」
とまあ、またしても食い物に例えて喜びを表現。「もう年なんだから無理すんな」とか「2年後のユーロ本番には36歳でしょ」などと周囲はツッ込むが、ルートは
「でも何があるか解んないだろ。願わくばこのまま代表に留まりたい。可笑しいかよ」
と反論する。

そしてユーロ2012予選、サンマリノの地で遂に待ち望んだ瞬間が訪れたんだった。既に4-0とした後半67分、デ・ヨングと代わってピッチに入る。背番号は18。90分にただいまの挨拶代わりにゴールを決め、これによりオランニェ歴代通算得点記録でクライフと並ぶ4位となった。
ここまでの道のりは長かったよ…。そりゃあサンマリノの人は悲しそうだったし、試合内容も一方的だったけど、俺には別の意味で素晴らしい夜だった。国歌が流れてる間、怪我してからここまでの事すべてが頭の中を駆け巡って感慨に浸ったんだ。

まさか再びオレンジのユニを着て再びウィルヘルムソンを聴く事になろうとは、本人も予想してなかったという。2年前の手術からオランニェへ戻る為マドリーを出てHSVへ移籍して、そこでまた大暴れして今ここに居るまでがどれほど困難な道程だったか、勝敗よりもどんなに特別な事か。それはワタシにとっても同じ。どんなに頑張ってもユナイテッドには帰れないけど、頑張ればオランニェに帰れるんだね。


これは監督の決断のおかげ、と強調しつつも、それでもやはりルートはワールドカップに連れて行ってもらえなかった件が心残りらしい。
俺はまだ、W杯でチームの為に何か出来たんじゃないかって気がする。そりゃその時は100%じゃなかったとは認めるし、今の方がフィットしてるけど。

俺が居たら世界チャンピオンになれたかなんて、それは決して解らない。今の連中が悪いって訳じゃないんだ。彼らの準優勝を祝福したよ。
(自宅でTV観戦しながら)オランニェのパフォーマンスがこんなに良くて、多少なりともショックだった。最初は何で俺がここに居ないんだ?って思ってたんだ。でも、やがてそう思うのは止めた。家族や友達が決勝戦観ながら言うんだ。もっとシュートしろやロッベン!とかさ。でも外野の連中は好きな事言うからね。もしあそこに居たらそれがどんなに難しいか、俺なら解るよ。

やっぱり観てたんだ。ワタシなんか更々観る気なかった。そりゃショックに違いないが、ルートは自分を哀れむのを止めた。多分オランニェグッズを纏った人々がTVに向かってあーだこーだ罵倒しながら騒いでる中で、ふと気付いちゃったんだろう。結局、南アフリカに居なくてもルートはオランニェの一員のつもりだった。自分なりに闘ってた。


続くユーロ予選、ロッテルダムでのフィンランド戦では82分に出場。
ドン引くフィンランド相手に全くつまらない展開で、観客はブーブー不満を叫ぶ。後半更につまらない試合運びに対し、サポは繰り返し繰り返し何度も何度も「ルートを出せ!」とコールし続けた。アップをするだけで歓声、やがてコーチが交代を告げに行くとサポの盛り上がりは最高潮に達する。2点を挙げたフンちゃんと代わってルートが入ると、待ってましたの大喝采。ここはアイントホーフェンかと思うほどだった。

この先またチャンスがあるのか、これが最初で最後になるのか、解らないけれど、何にせよとても清々しい気持ちなんである。ルートは言う。

何たって、子供達は俺が代表でやるのを初めて観たからね。“パパ、オレンジ!パパ、オレンジ!”ってリアムが言うんだよ。

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by tototitta | 2010-09-10 21:35 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
何とまさかのオランニェ復帰!
(記/minaco.)

【#2 / Eintracht Frankfurt × HSV 1-3】

今季ドイツカップを含めた3試合で5点、そして今節アウェイでフランクフルトに逆転ゴールを決め6点目、なんである。出場したすべての試合で得点し、うち2試合はマン・オブ・ザ・マッチ、ブンデス開幕戦はマン・オブ・ザ・ウィークでもあった。これって凄いこと。

ドイツでは英雄扱いでルートの故郷を紹介したり、あのFKは「HSVの秘密兵器」だの、「オズ(Oss)の魔法使い」と呼ばれたりして大変なインパクトを与えてる様子。ちなみにチーム内では何故か「ルディ」と呼ばれてるんだって(ドイツで最も有名なオランダ芸能人に因んでとの説も)。ルディ……

気が早いけど4カ国得点王、いや早くもなるほ堂は「次はイタリアに…」とまで言い出す始末。まだ始まったばかりですけどね。でもこうなると、オランダメディアも「すわ代表復帰は?」と色めき立ったりして。勿論、そんな甘くはないけれど。方やカペッロからイングランド代表復帰を懇願されるポールさん(35)と違って、ルート(34)は自分がオランニェに戻りたいだけですから。しかも不甲斐無く敗退したイングランドならともかく、オランニェは準優勝だもの。

……などと思いきや。何とナントの難破船!(@ハドック船長)

まさかまさかのオランニェ復帰が叶ってしまいました!!

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【ここまでのあらすじ】

ワールドカップ代表から外された事を「怪我から完全に復活してないから」と収まりの良い理由で説明されたルートだけど、これっぽっちも納得なんぞしてなかったであろう。むしろ、それだけは言われたくなかったに違いない。なら怪我が治れば呼ぶのかよ?!って。今月、Hamburger Morgen Post紙にて彼はまだ代表を諦めてない事を明かし、冗談めかして語った。
ファン・マルワイク監督は、俺がオランダ人だって事知ってるんだろうな。
じゃあ、俺の怪我が完治したって事も知ってるだろ。

これは、ルートが叩き付けた挑戦状と思われる。よりによってオランニェ監督へ皮肉を言い、挑発してるじゃないか。ああ、これまで何人もの監督を敵に回したのを見て来てるのでもう慣れた。それでこそ、ガチ完全復活!

すると早速、ファン・マルワイク監督からリアクションが届く。
ポジティヴだな。ルートはまだ希望に溢れた少年だ。彼がフィットしたのなら、ちゃんと追い続けるよ。私はいつだって実力で選ぶ。

おっと、やり返されてしまった。さすがW杯準優勝監督。皮肉には皮肉を、挑発には挑発を…どうやらファン・マルワイクは面の皮が厚そう。さすがW杯準優勝監督。現時点では向こうの方が有利に立ち、ちょっとやそっとじゃ倒せない難敵と見た。さすがファン・ボメルの義理の父、さすがW杯準優勝監督!(←これ皮肉)

やがて、シーズン開幕後のこの暴れ馬ぶり。ファン・マルワイクはHSV視察を終え、「彼をまだ除外したりしないし、追い続ける。ルートは34歳で2年後には36歳だが、我々はもし状況が求めれば彼を呼ぶだろう」とか何とか真意のよく解らないコメントを。まあ確かに現在はともあれ2012年のユーロとは先が長いけど、それを言われちゃあねえ。

しかし、早くも状況が求める時が来た。ファン・ペルシーの怪我により、代わりにユーロ予選へ召集されたのがルートだった。月曜の夜、監督から電話をもらったルートは、躊躇わず喜んでそれを受けたという。曰く、
    「復帰要請が来て嬉しかった。迷いなんかない」


そんな訳で、ガチは再び新たな闘いへ臨む。チームや選手が好きで応援するのは、彼らが闘ってるからこそ。対戦相手だったりポジション争いだったり年齢だったり、代表だったり、勝ち負け以前に闘う者を応援出来るのが喜び。また闘うガチを応援できるのが嬉しい。
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by tototitta | 2010-08-31 18:10 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
“Van The Man” <其の6>
(記/minaco.)
プレミア開幕しましたが、もうちょっと続きます。

06
1年後、ルートはPSVへ移籍した。

    【ルート、語る。】
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「ほんとはPSVに行く前に、もっと長くヘーレンフェーンでやるべきだった。基本を身に付けてトップに行くべきだった。そう、トップレヴェルに辿り着いた時ちゃんと出来るようにね」

──でも、彼らは君をPSVに行かせた。史上最高額で。
「とりあえず行かせたんだ」

──10万ギルダー(当時)で。
「うん、馬鹿げてるよな。でも正直言って、金の事なんか本当に考えなかった。俺にとっちゃそれ以上に、“俺はPSVでプレイできるんだ!ジーサス…なら、勿論!”って」

──全然考えなかったの?
「ああ。PSVでプレイできるって事の方がもっと重要だったんだ。もっと強くなれる、自信を与えてくれる。彼ら(PSV)は本当に良く面倒を見てくれた。俺はトップレヴェルへ行こうとしてる、だから多分、そうなれる…」
    【PSV時代の試合映像が流れる。】
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アイントホーフェンでは厳しいスタートの後、ルートは良いストライカーとなるスタートを切った。性格、情熱、ファイティング・スピリットが彼の最大のモットーとなる。彼は更に得点し続け、更に磨かれていった。やがて彼は、代表チームに適う能力を身に付けた。
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◆          ◆
母親によると、ルートの最も美しいゴールはアヤックス戦、アムステルダム・アレーナだった。
    【ママは語る。】
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「私には上手くいかない時期だったの。手術を受けなくちゃならなかった。日曜日、ルートはアヤックス戦があった。同じ日、私は手術して、あまり見込みが良くなかった…」

「あれは素晴らしい瞬間だったわ。後で新聞を見たら、こう書いてあったの。
“おお、彼を見てごらん。あの感情を…”
私はベッドで横になって、思ったの。“知ってたのね…”
でも、その瞬間はとても素晴らしいものだった」
    * どうやら訳あって息子に手術の事を隠していたらしい。ママは今も新聞に載った写真を傍らに飾ってある。
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◆          ◆

    【再び、フットボール日記を読むルート。】

「どうやったら“真の”良い選手になれるか…国際大会のトップ、代表チーム、そして……」

──どういう意味?
「もしかしたら次のクラブ…。この“……”は、ヨーロッパのトップクラブの事かな。うーん…。PSVよりもっと大きなクラブへ移籍する姿勢。
“自信、強さ、今日は止められない”
それがもっと大きなクラブとしての選手の振舞い方。俺は金とか、違う見せかけなんかはいらなかった。でも、他人は自分の事を違う風に見てるんだって感じてた。そして同時に、俺はある種の理想を求めてたんだと思うし、そういうものを信じてたんだと思う。自然じゃないって、そう思ってた」
<フットボール日記より>
“ポジティヴ。努力し続ける事。エール、ルール、ヘルプ。止められない姿勢を持て。誰も今日の俺を止められない。自信。クール。シャープ。タフ。意味。だから、そうしなくちゃない…”
「ハハ、凄く甘いね。思い出せないなコレ…。アハハ、珍しい…。俺、こんな事どうやって考えてたんだ?」

──君が書いたんだよ。
「うん、解ってる。ああ…」
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〜続く〜

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by tototitta | 2010-08-15 21:45 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
“Van The Man” <其の5>
(記/minaco.)
お盆真っ只中ですがしつこく続きます。

05
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ルートの最も美しい写真の一つ。17歳の時、母が撮ってくれた。FCデン・ボッシュ(当時は2部)でのセミプロ時代だ。真新しい白のユニフォーム。広告も入っていない。それはまるで、若きストライカーが誕生するかのように見える。

    【デン・ボッシュ時代の試合の映像が流れる。】
ここは、彼がプロとして初めてゴールした場所。FCデン・ボッシュでのゴールは、17歳の時だった。彼はスペースを探し、ボールは彼の元へ。そして素晴らしいゴールを決めた。ルートはパスをくれた仲間と一緒にセレヴレイションをしようとした。だが、その仲間は彼なんて眼中になかった。
「Ruud van Nistelrooijって誰?」
彼のコーチ、Kees Zwambornはルートを開眼させた。

    【ルートは語る。】
「彼は俺に多くの事を考えさせてくれた1人だよ。
“君はファースト・ディヴィジョンでプレイできる。ファースト・ディヴィジョンに行かなきゃダメだ”って言ってくれたんだ。“どうすれば上達できるか、君自身のために書いておきなさい”って。それまで俺はそんな事全然思ってなかった」
だが、彼はその時からそうしたのだった。ノートを作り、書き貯めた。

    【「フットボール日記」を読むルート。*日記の内容はコチラ 参照。】
「ハハ…1997年か…(溜息)。選手としてもっと巧くなるように準備してたんだな。上達する為に出来る事を書いておいた。そんな選手になりたければどうするか。で、こういう事をその時書いてたんだ…。これを読むと、可笑しいね」

◆          ◆

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彼の祖父Hasje van Niftrikは、永遠にインスピレイションの源だ。
“Don't be afraid of The Devil ”
祖父がよく話していた事だ。そしてルートの求めたものでもあった。祖父は、孫がヘーレンフェーンAbe Lenstra'sでプレイするまで存命だった。そして、そこがルートの試練の始まりだった。

    【自宅、生活感丸出しの狭いキッチンにて、ルート語る。】
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「フォッペ(・デ・ハーン)監督が言ったんだ。“ニステルローデくん、話があるから私のオフィスへ来たまえ”。ハハ…」

──ファン・ニステルローデ…?
「そう、そう言ったよ。”行き詰ってるようだが…違うか?”って。だから俺はこう答えた。
“いや、順調っすよ。正直言って”
“いいや、ここ数試合お前は良いプレイをしてない。レヴェル以下だ。少々たるんで楽してるぞ”

チェッ…俺は全然そうは思ってなかったのに。

それから最初のホームゲームが来て、NAC戦の時だ。ある日、試合前に出場メンバーのラインナップが渡された。でも、そこには10人しかいなかったんだ。ストライカーのポジションがまだ空いてる…。その頃ルーマニアから来たGusatoっていう仲間もいて、そこでプレイしてたんだよ。で、監督が言った。
“これがチームだ。ストライカーのポジションは私が明日決める。まだそれについては未確定だ”

ってことは、俺になるか、Gusatoになるか…うわ、やべえ。家に帰って、夕方も夜もずっとそれを考えてたら止まらなかったよ。俺がそこでプレイするか、それともしないか…いやそれともするか…それとも…。
そして、俺はプレイした。その時から、俺は本当に成長することになったんだ」

    【ヘーレンフェーン時代のプレイ映像に、ルートのフットボール日記がシンクロする。】
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〜続く〜

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by tototitta | 2010-08-14 21:30 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
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