S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
XML | ATOM

skin by なるほ堂
ABOUT CONTACT BLOG LINK
タグ:フィギュアスケート ( 11 ) タグの人気記事
| ▲ TOP
ダブリンの街角でジョン&玲奈
(記/minaco.)

『once~ダブリンの街角で』('06)を観た。物凄くシンプルな映画だ。
何でも小規模作品が口コミで評判を呼び世界的ヒット、なんだそうな。確かに、観た後誰かに話したくなるような珠玉作って感じ。

ダブリンの街角で弾き語りする男と、チェコから移民してきた女が出会い、音楽を奏でる。俳優は出ていない。演じてるのはミュージシャンだ。大きな事件がある訳でもない、悪い人など出てこない、ただの普遍的なボーイ・ミーツ・ガールのお話(エンドクレジットにて、主人公は“guy”と“girl”とだけ記されている)。
そして、まるで『世界街歩き』のようにダブリンの街と海を映しながら、PVみたいに物語とシンクロする音楽。

それはちょっとColdplay(あまり知らないけど)を思わせるような楽曲で、さすがアイルランド人はヨーロッパの黒人(by『コミットメンツ』)、とてもエモーショナルでソウルフルな歌声。歌ってる顔とかこぶしとか、どうも演歌に通じるものがあり、耳に残る。
それにしてもアイルランドでバンドを組むと、必ずキャラの宝庫となるのかしら。デモテープ作りに集められたバンド・メンバー、特にドラマーの子がイイ!


ところで、髭を蓄えたデビッド・モースみたいな、冴えない風貌をした主役の男。一目観て、ワタシはあのジョンを重ねてしまった。アイルランドでジョンと言っても、おシェイではない。
──ジョン・ボルドウィンである。(彼についてはこのエントリ内「おまけ:今日のガチ」を参照されたし)

ああ、全くジョンとしか思えない。見るからにジョンの匂いがプンプンする。こうなるともう、この映画はジョン目線でしか観られない!

──才能も努力もあるもののどこか押しの弱い男。ワケあって故郷を後にし、異国の地で家族を養いながら逞しく生きる女性。2人が出会い、コンビを組む。頼りなげな男は気丈で健気な女性のリードで、新しい世界へと踏み出す──

…って、もはやこの映画は「ダブリンのジョン&玲奈」の物語。
いや、ジョンという名の「尽くす男」、「イイ人だけど、恋人としては物足りないのよね」なんて言われてしまいそうな、ちょっぴり臆病で今イチ押し出しの弱い、情熱はあるけど気持ちばかり先走る、そんな情けなくも愛すべき男の物語。
しかし、こんなヤツが誇り高き彼女に相応しいのか…。ナニやってんだよ~というその成り行きを、「が、がんばれジョン!ヽ(´A`)ノ」と見守るワタシであった…。

実は当初、この主役にキリアン・マーフィを予定してたんだとか。そうだったらこれはジョンの物語ではなく、全く別の映画になってしまうし、アカデミー歌曲賞(♪”Falling Slowly”)は獲れなかっただろう。授賞式では髭も剃りコザッパリしてて驚いたけど、初々しい姿が良かったよ、ジョン(じゃないってば)。

あ、そういえば。ジョンの部屋の中に“レッド・デビル”のヌイグルミがあったのを、ワタシは見逃しませんでしたよ!
[PR]
by tototitta | 2008-02-28 22:39 | 映画 | ▲ TOP
鹿あれこれ、主に背番号6について
(記/なるほ堂)

●篤姫

昨夜のボスニア・ヘルツェゴビナ戦──初めて鹿のピッチにて内田篤人を見た時の思いを、恐らく代表サポの方々にも感じていただけたのでは? 
「今後10年、右サイドバックは彼の時代」
と。緒戦では曖昧だった背後のカバーも、中澤が埋めるという約束事が見て取れた。他の攻撃陣も臨機応変に敵の隙を突いてゴールを奪い取り、まあかなり相手に恵まれた感もあったにせよ、現状では評価できる試合だったと思う。皆様同様に、これが今日本で一番強いチームとは思わないけどね。ともあれ予選までもうすぐ。当分は岡田サッカーを知る山瀬に引っ張って欲しいなあ。



●背番号6のゆくえ

さて、新しい「鹿ユニフォーム」が発表されてから、もう欲しくて欲しくてたまらぬ日々。横縞は着ると太って見えるらしいが、何を今更。されど、その発売日を待ちわびる最中にも問題が。
「背番号は何番を買い求めるべきか?」
先日、ようやくその答えとなる、今季の満男の背番号の発表があった。
満男は予てよりの報道(本田を継ぎ「6」襲名)とは違い、昨季の「40」そのまま。プリント料金、「二桁背番号は割高……」というのも所詮はこちらの懐事情。正直彼には「8」以外は全く似合わないので、それならば過去に誰も思い当たらぬ「40」の継続はむしろ嬉しい。まあ小橋建太曰く、「男は40から」との事だし(意味が違う……)。
ちなみに期待の笠井は「27」。満男入団時の、つまり出世番号。

で、それはそれで良いのだけれど、当初満男が背負うとされた「6」が「欠員」になっているのが気になるところ。一応「準永久欠番」とされているから当然とも言えるが、一度は満男がつけるという流れになっていたので、にも関わらず引き続き欠番となった事には疑問が残る。何やら、アドバイザー本田の意思も及ばぬ「事情」があるのか? 

つまり……、現在某スイスのクラブ所属選手の背番号「6」の為なのか?



新背番号と共に発表された、今季の鹿の補強選手。しかし、それにはまだ「続き」がある。
澤は3月以降に、そして「もう一人」がスイスから──つまり「プロレスリングNoahの大森隆男」「ユナイテッドのベッカム」と並ぶ「世界三大・“男前”裏切り者」の一人が、夏前辺りには鹿に帰って来る(らしい)。当時彼がマルセイユへ「脱出」する為に代理人と結託し、鹿に対して何をしたか。また、それ故に残された満男たちがどれほどの重圧を背負う事になったか──それらを思うと僕は未だに釈然としない。

まあ、彼は満男よりも「愛され易いタイプ」だろうから、今回の事、つまり「放蕩息子が何喰わぬ顔で帰ってくる事」にも、斯様に抵抗を感じる鹿ファンの方が少ないのかもしれない。僕にとっては全く理解不能だが、満男のあの時期のイタリア移籍&帰国の方が、むしろ「許されざる事」と思われている方も居るとか。まあ、そんな事を聞くが故に、一層腑に落ちないってのもあるんだけどね。

さりとて僕としても、もしもその時期に鹿島が苦境にあったなら、彼の帰還を歓迎してしまう怖れもある(……情けない)。だから、今のうちに考えておこう。彼をどう迎えるか。



自分の思いが上手くまとまらない時は、柳沢移籍の折の様に「歌」に頼るか、もしくは街に救いを求めるかだ。その道すがら、相応しい答えを見つける事が「できるか、否か」を考えていると、何処からか力強く届く──
「できる。」
の言葉。ハッと驚いて四方を見渡すと、古い家屋の壁から僕に対して刺す様な視線が。
d0031385_15285949.jpg
……深い意味は無い。
が、必然的に吸い寄せられる様にその壁を見遣る。
すると、そこには当ブログ恒例の「キリスト看板」が。
d0031385_15282495.jpg
駆け急いで近づくと、そこにはこう書かれてある。
d0031385_15323380.jpg
なるほど。思えば未だ鹿サポの一部には彼を「ユダ」と呼ぶ声もあるが、それに倣って、例え彼が裏切り者のユダであるとしても、

「その“罪”が清められさえすれば、
その折には我らも“これ幸い”として彼を赦すべきである」

──それが神のみ言葉だ。曲解か。
ともあれ僕としても誰かを永久に憎む気もないので、「彼次第」では再び家族として迎えようという腹づもりもある。この看板の下、もう一枚にもこうある。
d0031385_1529393.jpg
そう。平和が一番だ、殊に仲間内の争い事は嫌いだ。
思えば今年の神社のおみくじにも「争事──勝つ静かにせよ」とあった。ならば、静かにしていようではないか。一体自分が何教徒なんだか良く分からないが(一応、唯一絶対神=ジーコ)、それでいいじゃないか。



とはいえ、彼の罪が清められたか否かを何で計ればいいのだろう? 勿論、それを彼の鹿での「活躍具合」に拠るつもりは無い。ならば……それは満男に委ねようと思う。恐らく、我らの図り知らぬ「裏事情」も、満男は知っているだろう。その上で満男は、僕と同じ「容易には物事に納得しない岩手県民、盛岡人の目」にて彼を「観察」するだろう。いざ彼をピッチで迎えた折、その満男が彼を赦すのなら、僕も赦そう。

その上で、
本気で彼が再び、僕らと家族として戦うつもりなら……もうそれでいい。
本気ならいい。本気ならイーオン。それに免じる。



おまけ:「今日のガチ」(折を見て今後、世の「ガチ」をこうして紹介する事に)

先日行われたフィギュアスケート全米選手権。2位に終わった井上怜奈&ジョン・ボルドウィン組のフリー演技“終了後”の1こまをどうしても紹介したく。映像をご覧いただく前に、アメリカ選手として活躍する井上怜奈選手の「これまで」をご存じない方用に、Wikipediaより抜粋させていただくと──
……長野オリンピックのシーズン始め、当時40歳代半ばの父を肺癌により失い、日本代表選考争いにも敗れ、一時はスケートを辞めていた時期もあった。スケートを再開し、ペアを求めて渡米した後も苦難は続き、レッスン代と生活費捻出の為、土産品店でアルバイトをしていた。充分な衣装代も無く、自身の裁縫による衣装で出場した大会もある。渡米後、肺癌に罹患するが、幸いにも抗がん剤治療をもって完治する。この治療も入院することなく通院で済ませ、抗がん剤の副作用に耐えながらアルバイトとレッスンを続けた。この通院治療中のレッスン中、誤って落下し頭蓋骨を骨折。一時は意識不明、前歯をほとんどなくすという大ケガをし、後遺症で心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされ、更には卵巣を片方破裂させて卵巣摘出する事態となり、辛い闘病生活を送っている。しかし、井上は終始一貫病気などを一切言い訳にせず、練習・競技に打ち込んだ。そんな井上を理解し共に競技生活を歩んできたのが、現ペアのボルドウィンである。
(太字:なるほ堂)


では、全米選手権の映像をどうぞ。
<動画>
(途中に入る会場内実況がイカしてる。曰く、She said “YES”!)

Inoue said. “At first I was just so shocked. I didn’t know what was going on here.”
Said Baldwin, “We’ve talked about marriage for a long time, and I always told Rena, ‘Well, you can ask me.’ She said that’s not the way it’s done.... I told her she’s the person I want to spend the rest of my life with, how much respect I have for her and that everything I’ve accomplished in my career and on the ice is because of her.”(公式サイトより)


なんか映像を見てガッツポーズしてしまった。当事者でもないのに。で、それから暫く泣いた、泣いた。正直、氷上ではいつもジョンが怜奈の足を引っ張ってる感もあったけど、彼が怜奈にとって「最高のパートナー」である事はみーんな知っていた。それ故に、このペアには独自の魅力があって、彼女をスローイングする時の、心配そうなジョンの表情がいつもたまらない。

そんな、ちょっと頼りない……恐らくアメリカでも「ダメ男」に分類される様なジョンと、海の向こうからやって来た、どんな時も「強い心」を崩さない怜奈。本来は競技に過度の「裏話」、殊に病気怪我などの「苦労話」を重ねるのは「競技のアイデンティティ、素晴らしさを曇らすもの」とも思う方だけれど、ことフィギュアスケートに関しては、むしろそういう見方……つまり「演技の(表面的な)美しさよりも、人としての美しさ」的視点こそが正しい気もするので、以下の様に申す事をお許しいただきたい。

ジョンが何度転倒しようとも、ジョンが何度投げ損なおうとも、ジョンが(……割愛)、ともあれ彼らは“最高のペアスケーター”だ。今までも、そしてこれからも。

アメリカではこういう時、何という言葉を贈るのかは判らない。できる事ならばA4の紙にマジックで「10.0」と書き2人に捧げたい所だが、それも時代が違うよね。ならばここは一つ、日本男児としてこう言おう──ジョン、でかした。お前は男だ。
[PR]
by tototitta | 2008-01-31 16:26 | 鹿島アントラーズ | ▲ TOP
世界フィギュア〜安藤美姫とマリー・アントワネット
(記/なるほ堂)

昨夜のエキシビジョン。
「(また絢香)来たか…」は兎も角、安藤美姫選手

鳴り止まぬ観客のアンコールに応える際、先ず行ったのが四方への礼。その堂々とした頭を垂れる様に、思わず零れた言葉──
「マリー・アントワネット…」

威厳溢れる氷上の彼女に、かつて王宮のバルコニーにて暴徒の前に立ったマリー・アントワネットを見た。
「お菓子を食べればいいじゃない──」
そんな無邪気さゆえに大衆の怒りを買った少女が、フランス女王になった瞬間。
そして、
「五輪を楽しめました──」
という言葉他沢山で反感を買った少女が、しかし一年後、銀盤の女王になった瞬間。
演技以上に、凄いものを観た。

あまりに飾られた環境が「持たざる者たち」の不満を生み、そのスケープゴートにされ、云われなき風評にも晒された自身の境遇。しかし、それに怒るでも無く、抗うでも無く、示したのは凛とした強さ
シチュエーションは違えども、その“礼”の神々しさに心奪われた。

++++++

誰が一番だったかはさておき、女王に“相応しかった”のは安藤だけ──
終わってみれば、やはりそう思った。真央、ヨナ、キミーには無く、しかし安藤には人を惹き付けて止まないものがあった。
ボイン? 尻?……いやいやそれは置いといて(失礼)、やはり挫折と、そしてそこから這い上がろうとする姿。

近年、ここまでドン底を味わった選手は居なかっただろう。どの競技に於いても。
トリノ五輪を目前とした時期、不調に陥るやいなや吹き始めた逆風──それは、メディアや協会による過剰プッシュの「裏返し」だったと思う。確かにあれはウザかった。ちなみに、今の真央プッシュはあれ以上にアレだが。
(真央自体は…言及を避けるが、他人の飼い犬なんて可愛いなんて思わないだろう、普通。)

でも、
ならば責められるべきは彼女を「道具」や「玩具」にしていた周囲の大人のはず。
当の選手、しかも未だ10代の女の子を責めるなんてお門違いでしょ。
風評こそが情報だったフランス革命当時のパリなら兎も角。

にも関わらず、よくもまあ人を叩く為のアイディアは枯れないもんですな。
怪我を隠せば「嘘つき」の声、公表すれば「言い訳」との言葉。
果てには、「飛ぶ飛ぶ詐欺」とか。(純粋に語呂はオモロイけど)

++++++

夢や目標、自身のこだわりを口にして、それをメディアに「公約」の様に伝えられ、果たせなかったら「詐欺師」呼ばわりなんて……それじゃあスポーツ選手はみ〜んな詐欺師ですよ。
鹿島なんて、もう何年も十冠詐欺ですよ...涙。

体調管理が出来ない、自覚が足りない──そんな声も。
故障の影響(痛み止めの副作用)とか、殊に安藤の場合は見るからに急激な骨格の変化とか、
人それぞれに置かれた状況が違うにも関わらず、そんなことはお構い無し。

肉体だけじゃない。「世界一」「視聴率」「広告塔」「アイドル」という4つの使命、四重苦を同時に背負わされるという、未だほんの子供乍ら、過去に類を見ない周囲からの異常なプレッシャー……それらに拠る「苦しみ」を他者は計る事など出来ないはずなのに。

スケートファンとしては「村主派(=スグリスト)」の僕も、そんな何でもかんでもな安藤へのバッシングには腹が立った。化粧が安っぽいのは唯一正論だけど、色が黒いのは仕方ないじゃない! 黒いんだもの!

++++++

トリノでの失敗。
それに対する「それ見た事か」の声。そして前述の「楽しめました」発言に対する魔女狩り的な雰囲気。かつての「メダル気違い(©千葉すず)」の伝統後継者、「我々の税金を使っておきながら…」が口癖の「税金廚(とか言うらしい)」も参戦しての、まるで彼女が自殺でもしないと気が済まない勢い。

勿論安藤自身も認める様に「甘さ」はあったと思う。
それに対する「厳しい声」もあって然るべき。
けれど、それを言うのは最低限の思いやりがあってこそ、だ。まだ10代の女の子に、そこまでの責務を強いる事自体の「異常さ」も、併せて考えるべきなはず。

この年代の女の子が心に弱さを持っている事は「当たり前」であって、罪ではない。
アスリートとしての「自覚」など、むしろ無い方が当たり前だ。

巷の子役やアイドル歌手を見てもそう思う。
「甘えてもいい時期」を奪われ、大人たちに「金を産む機械」にされ、その上責任や自覚までを背負わせた子供らを見ると胸が痛む。そんな大人の期待に応えようと、またそれを失うまいと、必死に「大人が望む自分」に人格すら作り替えていく子供たちの痛々しさ。どうせ「使い捨て」にされる運命と悟り乍らも、それに抗う様に。
虐待とも言っていいと思う。

そこから逃げ出したくなる気持ちは当然。
そこで、安藤の様に「人としての弱さ」を晒すのも当然。
海外サッカー界では近年、天才少年らのメディア露出を制限して、その将来を見据えて保護するケースを目にするが、この国にはそういう責任ある行動をとる大人が少なすぎる。

++++++

川で溺れてどうすればいいか判らない子犬。それを助けるでも無く、川に放り捨てた人への批判もそこそこに、当の犬に向かって「今までいい餌食ってた報いだ」「助けて欲しけりゃ、もっと殊勝に弱々しく吠えろ」と言い乍ら石を投げる・・・一体、何なんでしょうね。

勿論、応援を強いる気もないし、同情しろとか、甘やかすべきとも言わない。
道理が通るならば叩くのもアリでしょう、メディアの捏造する「美談」にまんまと踊らされるよりは。だけど、メディアの洗脳に対する「抵抗」として自分を逆洗脳しちゃったら、結局「まんまと踊らされている」事には変わりないんだよ。逆の意味で。

あの「楽しめました」という言葉は、
「無念さや悔しさに押しつぶされまいとする、精一杯の抵抗としての言葉」
に聞こえた。僕には。
例えそれが正しくない過剰な考察としても、少なくともあの時の安藤の表情を見て、彼女が「本当に楽しんでいた」と思える人はどうかしていると思う。表面的な「言葉」だけしか読みとらない人たちって居るんだなあ、と。

いや、
単に「生理的に嫌いなだけ」「その衝動に抗えないだけ」という自身への後ろめたさから「理由付け」を求め、さも正論を装う為に「言葉」に飛びついているだけなのかもしれない。人は感情としての「〜が嫌い」を良しと出来ぬが故に、「〜が悪い」に転化したがる。僕も含めて(…反省)。

けれど例えば世の中には、「何も無い春♪」という歌詞にすら、
「襟裳岬の春には何も無んだ」
と思う人もいるらしいしなぁ。判らん。。。

ともあれ、
そんな逆境を経て迎えた、この大会だったわけだ。
某所の「嫌いなスポーツ選手(女子部門)」では第一位。
梯子を掛けた協会から、強化指定選手も一旦は外さた。
大会スポンサーはTOYOTAじゃなくて日産。
提供のネスレも、応援しているのは真央だけ。
(「ネスレは浅田真央選手“を”応援しています」って提供ナレーションはイヤらしすぎるだろ)

だけど、安藤は勝った。

++++++

安藤は逃げなかった。
誰も彼女を潰せなかった。
非情な批判者たちに気恥ずかしさを与えるほどの、俗人には及ばぬ立派な佇まいを以て。

モロゾフは後述するとして、先ず語るべきは荒川静香
安藤をマリー・アントワネットに例えるならば、荒川はマリア・テレジア。女帝にして、アントワネットの母。彼女は安藤にもう一度立ち上がる勇気と、強化指定選手の座(自身の引退と引き換えに)、そしてモロゾフコーチを与えてくれた。

荒川が安藤に手を差し伸べた理由、それはそこが自分も通って来た道だからこそ、とも思う。
彼女も長野五輪の後はどん底だった。しかし、彼女の美しさはトリノまでの道程に於いて、世俗におもねる事無く常に凛としていた。

この大会は女王の座を継ぐセレモニーだったのかもしれない。
断頭台の上の如きこの世界フィギュアにて、安藤は荒川を継ぐ者として相応しく、選ばれし者のみが持つ品格を決して失わなかった。かつてアントワネットがマリア・テレジアの娘として、そうであったように。
ならば我らは平伏すのみ。安藤美姫は、美しい姫から美しい女王へ。
女王の座は見事に継承された。


続いてヨナ
フィギュアファンとしては、やはり彼女のスケートの美しさにこそ惚れ惚れする。二回転んでも、その分は僕が芸術点を上げるからなんとかならないか。ダメか。
日本の金メダルを願う皆様には申し訳ないけど、勿論僕もその一人だけど、でも今回の中では一番好きな選手。
しかも僕とは晴れて腰痛メイツ同士。どうか僕の様にゴートゥヘル(ヘルニアになる)前に、養生して下さい。

++++++

で、モロゾフ
そのがめつく点を取りにくる(様に見える)プログラムは実はあまり好きじゃないのだけれど、その人を活かす力には脱帽。昨今巷にはカウンセラーや占い師が溢れて居るけど、本物は違うなあ。

あの4回転回避も「安全策」としてではなかったらしい。
むしろ安藤を「一つのジャンプ」ではなく「演目全般」に集中させることで、結果より高得点を狙う為だったとか。唸る事しきり。
けれど、何より賞賛すべきは、失意の中に居た安藤をその気にさせた手腕こそ。
名前からして甘いモロゾフが発した、その魔法の言葉は「ミキはセクシー」とか。
やるなあ。一度も使った事は無いが試してみるかなあ。

思えばアテネ前、心も体格も変化した安藤に、しかし延々と同じイメージで踊らせ続けた事にこそ、あの失敗の原因があったと思う。代表選考レースに出遅れ、一発逆転に賭けざるを得なかった荒川が、結果そこで自分の演技を見つめ直す時間を得たのとは対照的。

勿論安藤には冒険に踏み切れない理由もあり、それをミスとは言わないが、夢見る頃を過ぎても「夢見る元気な女の子」を演じても、伝わってくるのは痛々しさだけ。今のモーニング娘。みたいなものだ。良く知らないけど。

ともあれ、今の彼女に相応しい演目を与えたモロゾフに感謝。
それに習って、モーニング娘。も別のプロデューサーに変えてやればいいのに。良く知らないけど。

++++++

最後に。
今回の安藤の復活、それを『灰かぶり姫(シンデレラ)』に例える事も出来る。
名前も「姫」だし、彼女に灰を投げつけた敵役にも事欠かないし。
悲劇的なアントワネットよりも、例えるならばこっちの方が相応しいのかもしれない。
王子様の詮索は止すとして。

けれど、今の安藤の滑りを魔法に例えるのは相応しくないだろう。
やっぱり『エースをねらえ』の方がいいか。リンクでは誰でも一人、一人きり。
狙うべきエースとは四回転ジャンプ。
肩を脱臼した選手に「GO!」と叫んだ鬼コーチ・モロゾフが宗方コーチ。
荒川静香がお蝶夫人。
藤堂さんは…止しましょう。

それに、中野も村主も挑戦しているシンデレラを、安藤が叶えちゃったとするのは気が引ける。
まるで二人が「ガラスの靴を履くのは私よ」としゃしゃり出た、悪いお姉さんみたいだし。

安藤の偉業を讃えつつも、しかし今僕は「一スグリスト」として、村主の『シンデレラ』をもう一度見たい。この大会だって、せめてエキシビジョンでも、、、どこからかあの「スグリ玉」を手にした彼女が乱入しないかと思っていた人は少なくないはず。
(…いや、僕だけか)

そんな思いを抱き乍ら、来期を待つ。
[PR]
by tototitta | 2007-03-27 00:10 | Other Sports | ▲ TOP
フィギュアスケートNHK杯
(記/なるほ堂)
d0031385_052847.gif
ホームページをリニューアル&YAHOO登録のお陰か、新しい仕事の話も舞い込み、ちょっと忙しくなりそうな年の瀬です。見たいスポーツも一杯なのに、、、でも、有り難いと思わなくては。

さて、書きそびれていたフィギュアスケート。
NHK杯は男女共に表彰台独占という日本勢には最高の結果だったけれど、裏を返せば今年は五輪後という事もあって大物選手の参戦は無し。少し寂しいラインナップゆえ、和製ランピエール(見た目だけ)こと小塚君の健闘を除けば、もう当たり前の結果なのだから、あんまり手放しに喜んでも、、、ね。

得点に関しても「自己記録更新!」の声を沢山聞いたけど、まあこれもNHK杯独自採点基準(?)と言った感じの大盤振る舞いの結果で。。。新採点システムも、結局は「操作」(というか「水増し」)が可能って事を露見した感も。

こんなことを書くと「選手たちの奮闘に水を差す」と思われるかもしれないけど、むしろ逆だと思う。
周りがやれ独占だ、記録だと飾らなくても、日本のスケーターたちの輝きは本物なのだから。歌謡ショーと抱き合わせで開催された世界バレーの女子MVPの件もそうだけど、選手が陰口を叩かれかねない状況を何でわざわざ作るかね。


それはさておき、選手たちの演技について。

村主ワールド、堪能させて頂きました。
彼女の演技に賭ける思いを言葉だけで見ると、まるで文化祭の演劇に情熱を燃やす中学生女子の言葉と変わらない感じもしてしまう。彼女を動かす「エネルギー」もまた「文化祭前夜の熱病」、あの「一夜限りの特異なハイテンション」に。
でも、そんな思春期のほんの一瞬であるはずの思いをそのまんまキープし続け(!)、結果ここまでの「芸術」にしてしまう彼女のガチっぷりは、やはり凄い。表現は悪いかもしれないけれど、彼女の演技にはみんな「バカ負け」してしまう。ええ、泣きましたとも。

でも、彼女の創る世界を見るにつれ、いつも思ってしまう。
「この村主ワールドには、彼女の他には誰も住んでいないんだよね」
ひとりぼっちの夢の国で踊るシンデレラ、それがまた切なく、哀しい。。。
(完全に見方、間違ってるね。僕)


もう一人のシンデレラ、大分作り笑顔も板について来た中野友加里ちゃん。
しかし、「虎の縞は洗っても落ちない」の喩え通り、演技以外の場面でうっかり画面に映り込んじゃった時の表情は、やはり虎の目をしている。
村主さんの演技の後、画面に見入っていた僕ら。そこに昨年優勝時の中野さんの泣き崩れる顔が。二人してのけぞって叫んでしまいましたよ。怖いよ、「ピン子メソッド」入ってるし。

、、、って、いつも乍らこう書いちゃうと、まるで中野さんを悪く思っている様に映るかもしれないけれど、決してそうでは無いのです。男なら誰しもが持つMっ気をここまでくすぐるキャラは居ない、そこを讃えたい訳なんだな。(って、フォローになってないな)。一部女性陣にも、彼女の醸す「虐げられた女の情念」といった部分は、何かしらのシンパシーを与えるみたいだし。
だから、もっとはっちゃけて、似合わないシンデレラじゃなくSAYURI路線を極めて欲しい。安藤さんが悪女(マダム?)キャラで吹っ切れた様に。


浅田真央さんについても触れるべきだと思うけれど、未だ彼女は僕の視界には入ってこない。
(まあ、こんな僕のマニアックな視界になど入らない方が良いのかもしれないけれど。)

大変失礼乍ら、彼女の滑りはまだ、云うなれば『象の絵』。
動物園の象に筆を持たせて描かせた絵、それを「素晴らしい抽象画」として芸術に加える事は出来ない。
画家個人の自我こそが芸術の拠り所なのだ。
来るべき時、浅田さんがアイスリンクの中で自我を発見し、そこに立ち向かう時を、今は楽しみに待ちたい。

織田信成君。
今の世界のスケーターの中で、彼ほど「天性」という言葉が相応しい選手は居ないと思う。
フォームは勿論だが、なんたって死の間際まで「人生五十年〜♪」って舞っていた人の末裔だもの。敵わんって。

高橋大輔君。
今時の女の子はこう云うのか判らないが「キャー、痺れる〜」って演技だった。
日本史上最高のフェロモンを検出した西城秀樹の粋に迫って来た感もある。情熱の嵐だ。
だが、敢えて言おう。西城秀樹クラスのフェロモン、それでは未だアジアレベルだ。
フリオ・イグレシアスに比べたら、まだまだ。


幸運な事に最近はYou tubeで、昔の偉大なスケーター、キャンディロロやクリモワ&ポノマレンコ組らの滑りを見る事が出来る。そこに書かれたコメントを読むと嬉しくなる。
新しいファンの「こんな凄い選手が居たんですね」。
十年以上も前の演技に「今だにこれを超える演技は無いよ」。

それが本当の「評価」だと思う。メダルの色なんかじゃない。
そういう本当の評価の世界で残っていける演技を、今の選手たちには追い求めて欲しい。
グランプリファイナルも、楽しみ。
[PR]
by tototitta | 2006-12-07 01:02 | Other Sports | ▲ TOP
シンデレラ
(記/なるほ堂)

追われていた仕事も、やっと一段落。。。
その内容、今は未だお伝え出来ませんが、少しこれまでとは違う形式だったもので、ちょっと苦戦しました。その内、皆様にご紹介したいと思います。ヒントはテレビ。

そのせいに加えて、早速風邪でダウン、、、こういう所だけは世の流行に遅れない(?)僕。よって、しばらくブログをサボってましたが今は回復、ようやく復帰第一戦です。

先ずは報告。
リニューアルした『イラストレーターMinacoのサイト』が、無事Yahooに登録されました。内容を含めて、「良いサイト」の一つのお墨付きみたいなものらしく、これで仕事の依頼が更に増える、、、事を祈りましょう。

スポーツの話題。
実はこの間、結構テレビをオンタイムで追えない状況だったもので、今更乍らですが少し触れておきます。

・フィギアスケート
グランプリシリーズ、あれこれ面白い展開になっていますが、なんといっても世の注目は中野さんと村主さんのシンデレラ対決でしょうね(違うか?)。正直、中野さんはショートの『SAYURI』路線の方が、彼女の魅力であるその修羅めいた本性(失礼)、、、言うならば「業」の様なものが現れていて宜しいと思うのですが、しかしシンデレラを巡る「対決アングル」も、シューター中野さんらしいといえば、らしい。

それにしても同じコーチの下で,同じ題目で、しかしそれぞれのアプローチで競う、、、以前日本女子フィギアスケート界を『ガラスの仮面』の世界に喩えたことがありましたが、ホントまんまですな。(minaco曰く「『たけくらべ』だ!」)

「トリノで魔法をかけられた」「その魔法はバンクーバーまで解けない」
──俗世を超えた世界に居られるガチ村主さん。彼女の世界には、マジで魔法とか王子様が存在するんでしょう。彼女は真顔でそう語り、そしていつも「届かない幸福」に向かって、憑かれたかのように踊る、、、それは僕の様な小心男には怖い。
一方の中野さんも、その滑りを拝見すると「シンデレラの悪いお姉さんの方か?」と思ってしまう。別種の意味で怖い。
『本当は怖いグリム童話』ならぬ、『本当は怖いフィギアスケート』。

どうせなら「グランプリファイナルで敗れた方がシンデレラを捨てる」的なアングル(「シンデレラは私だけで十分よ!」みたいな)で、もう一煽りどうか? 王子様は居ないけど殿様なら居るし。織田君。
──いやはや、悪ノリファンの妄想は尽きませぬな。失礼。

さてもう一方で、安藤さん。
以前のなんちゃってチアリーダー風な「作為感」が失せ、いい感じになってきましたね。安っぽい言葉ですが「魔性」こそが彼女の魅力。それを滑りに生かさない手はありません。やはりモロゾフコーチの手腕なのでしょうか。

モロゾフの凄いのは、選手の内面的な「表現欲」を競技という枠組みから解放させる所。五輪時、荒川さんの加点にならないイナバウアーを後押しした様に。

日本選手は口さがないメダルキ●ガイ(©すず)のせいで、とかく点数や順位の「囚人」になりがちですが、彼の存在が安藤さんが本来自身の求めていた世界へと解き放ってくれたのでは? その「解放」が成就したとき、、、どんな怖い女が現れるのか? 今から怖々&楽しみです。

しかし、これらの大会がテレビのゴールデンタイムで流れる様になったのは有り難いこと。
でも正直、「今のスピンはレベル4」とかって、どうでもいいのよね。ファンが魅せられるのは彼女たちの葛藤と達成。これはどのスポーツでもそうだけど。

それと今の放送形態。
選手個々に渾名をつけるやり口、何処にも顔を出す流行モノの太鼓持ちキャスター(誰とは言わない)、口当たり良く虚飾した嘘の誉め言葉、そういうパッケージ化された安直放送にはウンザリ。(男性アイドルの歌が無い分だけ、まだマシかもしれないが。)
そうやって競技や選手を持ち上げては「使い捨て」してきた歴史を、僕らはもう嫌というほど見てきたからね。

僕らはトリノの金メダルの形は忘れても(ドーナツ、覚えてる?)、でも加点にならないイナバウアーの美しさは忘れない。
そういう世界に、今の表層的な放送はすごく安っぽくて、そぐわないと思う。どうにもシラケる。

──以上、いつもの如く最後は毒づいて終わりますが、しまった、、、いろいろ書くつもりがスケートでこんなに割いてしまった。なので続きはまた後日。タイトルは『田代とダニーロ』で。
[PR]
by tototitta | 2006-11-23 23:10 | Other Sports | ▲ TOP
フィギアスケート世界選手権。

d0031385_20102149.gif

先日、ラジオで興味深い話を聞いた。最も美しくない踊り、それは「自意識が透けて見える踊り」だそうだ。
なるほど、
「私って美しいでしょ〜!」なんて陶酔している踊りは、醜い。どんなに技術に優れようとも。

それは荒川静香選手の滑りの美しさを理解するヒントになった。
彼女は、自分が美しい事を確信している。自惚れではない。葛藤の中で培ったものに対する、正当な評価だ。
だから、「私は美しいのよ、凄いでしょ」などと敢えていちいちアピールする必要が無い。
ただ、自分の内なる美を氷上に捧げるだけ、、、だから美しいのだと思う。

村主選手の美しさは、また別物。彼女の美は「外」にある。
彼女はいつも見果てぬ高みを目指して滑っている。「私はこうありたいの」という願い、、、その心根に、人は美しさを見る。

しかし、彼女の美しさは時に痛々しい。
自分の「外」にある理想を目指す代償として、彼女は現実とのギャップを背負い込まなくてはならないから。
日本人なのにフラメンコを踊るのは、西欧人にはどう映るんだろう? 彼女の「カルメン」への憧れは分かる。だが、どんなにフラメンコの舞いを纏っても、それは「日本の女の子が踊るフラメンコ」でしかない気がする。

勿論、そう言われるのは彼女も覚悟しているだろう。
でも、それでも「憧れ」を追うのは、ありのままの自分へのコンプレックスが何処かにあるからではなかろうか。それはまた、荒川静香の圧倒的な自然美へのコンプレックスかもしれない。

何より、理想を追うことの残酷なのは、それがゴール無きものだから。
あんなに痩せてしまってまで、彼女は何を求めているのか、それは彼女に見えている物なのか。銀メダルを取ったことは嬉しいよ。でも、まるでカーペンターズを見ているようで辛いんだ。
誰か言ってやってくれよ。「素の村主さんも十分きれいだよ」って。

また、村主選手は結構な「お嬢様育ち」とも聞く。
すると、、、村主選手の美への飽くなき渇望は、実は逆に「底へ落ちる事への怯え」にも思える。
(以降、多少偏見めいた話になるかもしれないがご寛恕願いたい。)

『キャプテン翼』の翼君と日向君のように、漫画では裕福よりも苦労人の出の方が勝負への執着心に勝るように描かれるが、現実は結構逆だったりする。翼君のキャラによく例えられる小野伸二が、むしろ日向君の家庭環境に似ていたりするように。

苦労人はもとが0からスタート。だから例え躓いても明るい表情で「振り出しに戻っただけ」と開き直れる。
だが予め裕福な出の者は、時に失う事への恐怖が先に立ち、上昇し続けていないと不安にかられてしまう。現に、勝負の世界では「金持ちの方が貧乏性」ってのが、ままある。失う事が未知であるからこそ、怖れるのだ。(だからブラジルサッカーの強さの秘密に「貧困から這い上がろうとする勝負への執着心」と見るのは、いささか同意出来ない。アフリカはもっと貧しいが、彼らにカナリヤの闘争心は無い。)

村主には、いつもコップの水が半分「しか」無いのだ。それが見ている者には切ない。


惜しくも五位に終わった中野友加里。彼女の美が何処にあるのか、それは未だ分からない。途上なのだと思う。
ただ、あの大人しそうな表情の奥に、常に懐に磨いだ刃を隠し持っている雰囲気(ショートプログラムでの衣装が「くのいち」にしか見えん)を醸す中野、、、僕は彼女が何かトンでもない物を企てている気がする。それは荒川、村主とは違う美。人の背中を凍り付かせるような修羅の美かもしれない。

ちなみにminacoは、
「中野ちゃんって、『おしん』っぽい」と言う。
なるほど、小林綾子(少女編)と田中裕子(青春編)の間を埋めるミッシングリンクにも思える。となると、彼女の美を理解するキーワードは「辛抱」にあるのやも知れない。

今は辛抱し、市井の中に刃を潜めている中野が、いつかその阿修羅を解き放つ時、いったいそこにどんな美を見せてくれるのか、怖さ半分だが楽しみでならない。
(ぶっちゃけ、全部彼女のチャーミングな仏頂面に対する我々の妄想だが。)


恩田選手にも触れない訳にはいくまい。
彼女は子供の頃にその丈夫な骨格のおかげでトリプルを飛んじゃった勢いで、ここまで来た感がある。
でも彼女が天才少女とされた時代と,今では違う。当時、みんなは彼女にボナリーや伊藤みどりの可能性を見た。だが、採点法が変わってしまったのだ。
しかし庶民派スケーター恩田に悲壮感は無い。minacoは「友達にするならオンちゃん」と言う(ぶっちゃけ他がアレなのもあるが)。確かにスケート美という観点ではボナリー、伊藤というジャンパーたちへのオマージュ(?)である恩田の肉体に、それを求めることは難しい。
しかし、あのマッチョな肉体が「ヨッシャー!」とケレン味なく弾ける瞬間もまた,我々はフィギアスケートの美の一部と見るべきだろう。例え、演技終了後のガッツポーズは採点評価の対象外だとしても。


最後にアメリカのキミー。(コーエンについては,また別の機会に書く)
正直、アメリカ選手のフィギアは基本的に好きではない。可愛いけど。
彼女たちのチアリーダー的なキビキビとした所作は、どうにも面白みが無く、情緒に欠けて見えてしまう。なんかキミーのストレートステップではダチョウ倶楽部の「ヤー!」が入っているし。可愛いけど。

確かにあれはあれで素晴らしいとは思う。でも美しいとまで思えるのってアメリカ人だけなんじゃないかな〜(偏見ご容赦)。
何処か「私たち、一生懸命です!溌剌としています!」みたいなのが透ける、、、今日一番最初に書いた話に繋がるが、どうしてもそこに「自意識」が見えてしまうのだ。可愛いけど。

思えばこの世界選手権で,氷上の美を探求していたのは村主だけだったかもしれない。
東欧ロシア勢は壊滅っぽいし、アメリカは前述の通りお嬢様のクラブ活動発表会の風情。ジュニアの世界を見ても、なんか物凄くレベルの高いお遊戯って感じで、この先が思いやられる。(まあ僕のフィギアスケート観が狭すぎるゆえの,自業自得なんだろうけど)
唯一期待はこの大会6位に入ったスイスのサラ・マイヤーだろうか。スイスと言えばビールマンスピンの国、その流れを組むサラに期待しながら来シーズンの始まりを待つことにしよう。

(記/なるほ堂、絵/minaco)
[PR]
by tototitta | 2006-03-27 20:21 | Other Sports | ▲ TOP
トリノ五輪 その3

d0031385_20422034.gif


改めて女王・荒川ちゃんは闘ってたんだな、と思う。年端もいかぬ天才少女の出現にも、美しさを数字でしか計れない新採点方式にも。美を獲るか、点を獲るか、彼女はその矛盾をねじ伏せてみせた。求めるものが大きいほど勝ち方は尊大に見える。

フィギュアをプロレス的に見ていると、ライバル達は荒川ちゃんの仕掛けたシュートについて来れなかったのかもしれない。

荒川ちゃんの芸術的最高傑作は'04年世界選手権の『トゥーランドット』である。今回の荒川ちゃんは芸術家であり続けた村主ちゃんと違って、コダワリは残したまま職人として技を極めた。隙のない手仕事には潔い美しさがある。解らない人には解らなくてもいいけど、あたしの仕事はすべて一流よ、みたいなプライドが。自己満足と実用性、二兎を追ってその結果が金メダルとは。渡辺絵美の時代から観てる者にとって、まさか日本人がフィギュアを制す日が来るとは思いもしなかったよ…。

男子で期待の ウィアーくんもまた、尊大な美しさを見せつけた。勝負には負けたけど、エキシビジョンで演じた『マイ・ウェイ』を観ると、存在自体が芸術品。世の中には「マイ・ウェイ」を歌って(使って)いい人と悪い人がいる。例えば勝新、勿論シナトラ、「オレの道」なんて言ってもいいのは限られた人間だ。ウィアーくんも「オレの道」を究めて欲しい。彼を見た時、「上玉」なんて言葉が浮かんでしまう私はお下品でしょうか。金で買われてもオレはオレのもの、っていう扱いづらい色小姓・・もしくは天使の顔をした悪魔=黒鳥・・・。

ところで、今回の五輪ではオランダ人選手につい注目してしまう。オレンジと紺色のオランダ・カラー(=「ラボ・バンク」カラー)はよく目立つ。オランダ代表のW杯ユニもこのカラーリングにすればよかったのに(一応ストッキングは青ですが)。困った事にオランダが気になる。スピードスケートの女子メダリストが、オランダ代表GK(エドさんじゃないよね)と交際中、と知って驚いた。

リュージュやバイアスロン、カーリングもじっくり観てみたかったが叶わず。スノーボード・ボーダークロスは面白かった。まるでカーレースや競艇みたい。クラッシュが見せ場か。つい「まくれー!」とか言いたくなる。しかしホッケーってのは良く解らない。基本はサッカーと同じだろうが、何でゴール裏にスペースがあるのか。反則を犯すと一時退場して反省室みたいな所で大人しくしてるのも笑える。なのに乱闘になってもレフリーは止めずにじっと見ている。サッカーのように紳士的基準を求めないのがホッケーか。

ふと思ったのだが、夏季五輪競技は殆どが「遊び」が原点だけど(かけっこしたり、泳いだり、ボールで遊んだり、格闘してみたり)、冬季競技は「生活」または「労働」だな。雪山や凍った池や川を移動したり、狩をしたり、生活に必要で身に付けた手段が進化したものではないか。実益を兼ねてる。だけど雪国にいるからといってスキーやスケートが得意な訳じゃない。寒すぎると極力家から出たくないもんね。だからどうってことはないけど、そんなトリノ五輪。

日本人選手がメダルを逃し続けるのを観てても、「敗者」という立場を思ってしまう。目指すものは人それぞれあるだろうから一概には言えない。他人の勝手な期待なんかに応える必要はないけれど、ただ自分の期待に応えられないのは辛いだろうと思う。

人生は思うようには行かない。それでも信じ続けられる人には次のチャンスは訪れるのだと思いたい。なんて、ちょっとキレイにまとめてしまいました。


<付記>
”フットボールに生きる大人たちに贈るライフマガジン” 『FootBall LIFE』 創刊号にて、ロナウジーニョ&ホルヘ・ミムーラさんのイラストを描かせていただきました(DVDも付いてお買得!)。

また、『TV Taro』にて「映画に学ぶ保険特集」のイラストを担当させていただきました。
どちらも現在発売中ですので、本屋さんでどうぞ!!


(記&絵/minaco.)
[PR]
by tototitta | 2006-02-28 20:45 | Other Sports | ▲ TOP
荒川静香、“下界”での三ヶ月。

d0031385_215631.gif


かつて荒川静香が世界選手権で優勝した時、見ていてボロボロと泣いてしまった。結果に、じゃない。演技そのものの美しさにヤラれてしまった。
あのときの荒川は神の領域で滑っていた。(興味のある方は、こちらをクリック。音が出ますのでご注意)

その後、フィギア界は神の居るべき場では無くなった。
点取りゲーム。そもそもが競技なのだから、このル−ル変更の善し悪しは一概には言えない。

だが今のフィギア界で荒川を滑らせるということは、則ちゴッホに美大の試験を受けさせるようなもの、あるいはパバロッティにカラオケ採点マシーンで歌わせるようなものだ。偉大な芸術に対する侮辱である。

しかし五輪直前、女神・荒川は敢えて我々俗物の棲む“下々の世界”へと降りた。昨年の12月、芸術家としての荒川を完成させたタラソワコーチの元を離れ、得点の採れる滑りを教えられるモロゾフコーチに師事。
そしてわずか三ヶ月、下界の採点方法に合わせた演技を練習しただけで金メダルである。彼女の顔には、
「どーよ。ざっと、こんなもんよ。」
と書いてあるようだった。
こんなにも強い芸術家を、他には知らない。

長野五輪から、ずっとフィギア界を「荒川×村主」のライバル・アングルで追ってきた。この二人の闘いはガチ(参照 )だ。(だから最近の「ミキティ×マオ」ギミックには今イチ乗れない)そして今日、二人の戦いが結実した瞬間を見た。
村主はメダルに届かなかった。会場のノリを見ても、やはりあの「情緒」みたいなものは世界には届かなかったのかもしれない。でも彼女無くては荒川の金メダルは絶対に無かった。それだけは言える。
キスクラで村主はいつも「アイ ラブ ユー×××!」と叫ぶ。僕に言っている訳でないのは承知だが、僕からも「アイ ラブ ユー!」を贈るぞ。

そして荒川。この日の演技は競技としてはパーフェクトだったけれど、彼女の芸術性の半分くらいしか感じなかった。やはり天上の人に、この下界は似つかわしくない。イナバウアーを評価しない世界になど、長居は無用。金メダルを胸に、どうか再び天上界にて神の滑りを。

安藤は残念だったけれど、彼女の背負ってきたものの重さと立派に戦ったと思う。
今回のトリノでの多くの日本人選手たちの敗因には、長野五輪以降の注目度の低下、そしてそれに伴う予算不足が上げられている。その中で日本フィギアは協会上げて「ミキティ=天才(美?)少女」アングルを組み、多くのTV露出、広告収入を得て強化に充てた。宮里藍や福原愛の例が示す通り、マイナー競技の「天才少女出現アングル」はもの凄く有効なのだ。
だが、その犠牲として彼女は「やっかみ」や、実力以上の期待を背負い込まされる羽目になった。天才少女アングルはフィギア界にとっては期待以上の効果をもたらしたが、安藤を幸せにはしてくれなかった。

今後、安藤が自分に何を求めるのかは分からない、でも、彼女が今後更に高い世界を目指して競技を続けていくのならば、もっと暖かいサポートが必要だと思う。協会も、フィギアファンも。
安藤を銀盤の生け贄で終わらせてはならない。

ともあれ、当初は散々煽ってたメディアが「メダルなんか関係ない。競技者がベストをつくせばそれでいいじゃないか」と、柄にも無く言い訳めいた、、、ぬる〜い慰めモードに入ってたところ(そんなのハナから当然のことでしょ! 負けたことの「言い訳」として使うべきものじゃない!)での、金メダル。痛快です。

やっぱり、金メダルはいいもの。メダルの可能性が僅かにでもある選手たちが、それを目指して戦っている以上、メダルレースを切り離して「努力」云々だけで語るのは不可能だ。敗者には慰めも、もちろん怒りもいらない。
ただただ「残念だったね、悔しいね」って、一緒に泣けばいいんだと思う。競技者に何かしらを託して見てしまう我々俗物にとっては難しいことだけど、その悲しみや苦しみを共有することこそが大切。
そして喜びもまた。

荒川の胸に下がった金メダルは、そういう彼女の周囲の人たちの思いがもたらした金メダルだと思う。
だからこそ、輝く。

でも、、、あれって観光地の売店にある、大判の五円玉チョコレート にしか見えないんだよね。どうしても。。。

(記/なるほ堂、絵/minaco)
[PR]
by tototitta | 2006-02-24 19:26 | Other Sports | ▲ TOP
トリノ五輪…というか、君はRohene Wardを見たか
いよいよ冬季トリノ・オリンピック開幕。
私が一番ワクワクするのは実は開会式だったりする。普段は閑散としたデッレ・アルピに、こんなに人がいるのを初めて観た気が。
イタリアだから音楽はエンリオ・モリコーネかと思いきや、国旗入場で流れたのはニーノ・ロータ 。いや、『8 1/2』のジンタと共に選手団が入場してきたら私泣くよ、と期待したが、入場テーマ音楽はディスコ・メドレー。やられた…(アテネ五輪の時はオランダ人カリスマDJのテクノ。あれはなかなかハマってた)。

そして各国選手団のファッションチェック、ソフィア・ローレンにオノ・ヨーコに何とピーガブの「イマジン」に、アンドレア・ボチェッリではなくパバロッティ、結局トンバは最終点火者じゃなかったのね、あれ?R・ベニーニは出てこないんだといった感じの開会式でした。しかし、デカいな聖火。
デザインと芸術のイタリアから期待するようなスペクタクルではなかったけど、だんだん演出に統一感を持たせるのが難しくなってるのかも。開会式はアルベールビル五輪の時のインパクトが今までで一番だった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ところで先日、フィギュアスケート米国代表選考の大会を観た。このトリノ出場を決めたジョニー・ウィアー くん目当てだったが、いやあ思いがけず米国の層の広さ にビックリ。
日頃フィギュアの世界にアフリカ系やヒスパニック系が進出すれば面白いのにと思っていたが、既にいるんですね。アフリカ系男子のあの身体でパワフルかつ優雅に踊られると、いくら高橋くんがイケメンでもこりゃ敵わねえと思っちゃう。女子はもうキャラの宝庫。ブルック・シールズ並みの美少女アリッサ・シズニーちゃんと同じリンクで、片やヒップ・ホップの振り付けで踊る者、森三中のルックスで笑いの神が降りてる者、全く眼が離せない世界が展開されていた。広いぜ米国。恐るべし、米国フィギュア界。

そんな中、遂に見つけたオレ好みのヒスパニック系男子。”氷上のホアキン・コルテス”(←勝手に名付けた)ことRohene Ward! d0031385_21553920.jpg

もう何なんでしょう、このフェロモンは。犯罪スレスレ。しかも長めのイイ顔 じゃないですか。胸を開けた黒のタイトなコスチュームでキメのポージングにあたしゃカックン。なるほ堂もギャフン。
ところが、何という事か、この大舞台で彼のジャンプはことごとく失敗。眼も当てられない。ジーサス!

終盤のストレートライン・ステップに行く前にはもう集中力も切れて、カメラに諦めの表情を向けてみせる。どうにか最後まで滑り終えたものの、とても五輪を狙うレヴェルとは言い難い出来。キス&クライですっかり落胆した彼はその後、息子の晴れ姿を観に駆け付けたママと甥っ子に御対面。ママに抱きついて涙する姿もラテン男らしくてまたイイわ!もう堪りませんっ。

実際の所どの程度の実力かは疑問だが、そんなことはどうでもいい。Roheneくんはスバラシイ。トリノでは叶わないけど、きっといつかは世界の檜舞台で会えるはずさ。っていうか、また彼を観るチャンスを!

フィギュアの新採点方式については、私はやっぱり疑問が残る。このシステムに変更後、プログラムがどうもせわしなくてかなわない。ジャンプのコンビネーションは何回、スピンは足を替えて何回転以上、など細かい基準を満たそうと必死で技を詰め込んでいるように見える。
公平さと言う意味ではこれでいいのだろうが、浅田真央を観てるとどうしても「お受験(に来た子供)」という言葉が浮かんでしまうし、逆にトリノ本番、あの「トゥーランドット」で自慢のスパイラルを見せる事を決断した荒川静香を天晴れと思うのだ。

所詮、美しさというものは数字では表せないというジレンマ。ならば別に金メダルなどどうでもいい。「ロボコン」なら優勝チームと同時にロボコン大賞が存在するように、そして大賞の方が実は栄誉であるように、採点以外の基準があるべきだ。真の王者を決めるのは観客なんである。

(記/minaco.)
[PR]
by tototitta | 2006-02-11 21:56 | Other Sports | ▲ TOP
年末年始のテレビ桟敷3/2005全日本フィギュア選手権
(記/なるほ堂)

【素晴らしきアングルの世界】
かつて日本三大ガチを小橋建太、ジョニー黒木、松岡修造とお伝えしたが、修造は近年塩気が目に余るので格下げ。新たに村主章枝にその称号を与えたい。

村主の高速スピンは、小橋建太のラリアートに通じる。
共に使い古された技。決して今風には決め技とはならない。しかし絶ゆまぬ努力によって高められたシンプルな技こそが、見る者を大いなる幻想に酔わせる。
大切なのは観衆に与える「説得力」なのだ。メダルの色にはたいした意味は無い。

それにしてもこの大会は、見事なアングルが入り交じった素晴らしい興行だった。ちょっとプロレス的な表現だが。
ガチを中心にネイチ、キング、ヤオ、ギミック、塩等、、、各自キャラがしっかり立った連中が織り成すアングルは、見る者を引き付けずにいられない。この大会が高視聴率だったのも頷ける。
しかし個人的に最も印象に残ったのは村主でも、業界のキングに君臨する女帝荒川でもなかった。中野友加里である。

スポーツ界における優れたアングルは、例えば北斗の拳、キャプテン翼、巨人の星、暴力大将、男組、、、それらイコンとされる人気漫画が編み出したそれと近い。そして奇しくも今のフィギア界も、かつて多くの作家が求めた「普遍的に魅力的な人間関係」が具象されているのだ。ま、平たく言えば「まるで面白い漫画を読んでいるみたい」って事。

自分の滑走番が廻ってきても、前の演者への拍手なり止まぬ様に見せた、中野の殺人鬼(ごめんなさい。そう見えたんです。。。)のような表情。
背筋が凍った。興奮して「おぉぉ! キター!!!」と叫んでしまった。
そしてminacoは言った。
「乙部のりえ。。。」
そう、今回のフィギアを例えるならば『ガラスの仮面』なのだ。

村主が北島マヤ。荒川が姫川亜弓。月影千草がタラソワコーチ(黒コートつながり。。。)である。
そして突然マヤの前に表れ、その座を虎視眈々と狙うの魔性の女こそが中野=乙部のりえ。
こういう優れたバイプレーヤーがいてこそストーリーは際立つ。僕的には中野株が急上昇である。リアルでは怖くて会いたくないが。

さて、では人気の安藤美姫は誰なのか?
minacoは、
「安藤は、岡ひろみである」
という。
本人の自覚の無いままに、その才能に先走った連中から「エースを狙え」と急かされているのだ。なるほど。

そして同時に今のフィギア界で彼女が浮いている原因が判る。
漫画が違うのだ。
[PR]
by tototitta | 2006-01-09 23:41 | Other Sports | ▲ TOP
LINKS
・ Mercedes's Diary
・ おかず横町
・ デジカメのいろいろ
・ 今さらながらの○○修行
・ 春巻雑記帳
・ 塔とゆりかご

映画
・ NAWOWOW
  NAWOKO KAWAMURA'S PORTFOLIO

 Football
 ・ CALCIO馬鹿のたわ言。
 ・ 【別館】Black Swan of Ukraine
 ・ ファーポコ
 ・ A.C.MILANを斜め読み

 鹿島アントラーズ
 ・ オフィシャルサイト
 ・ Red-Deer's Diary
 ・ My Soccer Diary
 ・ やわらかな風に包まれて
 ・ はいっ、おばさんは遠隔地鹿島サポです!

 レノヴェンスオガサFC
 ・ オフィシャルサイト


OTHER ROOMS
WEBSITE SPIN-OFF

・ ABOUT US
・ CONTACT