S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
XML | ATOM

skin by なるほ堂
ABOUT CONTACT BLOG LINK
タグ:盛岡ローカル ( 71 ) タグの人気記事
| ▲ TOP
ガチ映画『ウィンターズ・ボーン』
(記/minaco.)

ウィンターズ・ボーン スペシャル・エディション [DVD]

Happinet(SB)(D)



これは正しくガチ映画でした。米国アパラチア山脈のミズーリ州オザーク地方を舞台にした、『ウィンターズ・ボーン』(2010)。

主人公はそこに暮らす17歳の女の子で、父は失踪中、残された病気の母親と幼い弟妹の世話を一身に背負ってる。ある日、犯罪者の父を法廷に出頭させないと住む家を奪われるという窮地に陥り、過酷な父親探しが始まるのであった…。

観る前に多少アパラチア文化についての情報を入れておいたので、この物語の根底にあるメンタリティの重要さを納得できた。映画と共に、アパラチア文化やその風土に興味が沸くし、それ無くしては解りづらい面もあるかと思う。もしかしたら、全く別の観点から見ると、これを「スローライフってステキ!」「生きるって素晴らしい!」って映画にも出来ると思うんだ。「大草原の小さな家」みたいに、自然と共に生きる少女の成長譚とか、家族の強い絆や田舎暮らしの魅力みたいな。

でも、そんな夢想など粉々に打ち砕きかねないほど現実に則して、むしろ逃げ出したくなるような土着的カルマに焦点を当てた映画なのだった。過酷な環境で暮らす一族の掟、女たちの掟、男たちの掟、生き抜くための掟。ガチだ。ガチすぎる。アパラチア怖ええええ…と震え上がります。


実は、この映画を観る前日にたまたま『タイマグラばあちゃん』というドキュメンタリー映画を観たんである。2つに共通するのは、開拓民であること、山奥の厳しい自然環境、現代社会から取り残されたような暮らしぶり。

岩手県川井村タイマグラは、早池峰山麓の奥深くに位置し、日本で最後(昭和63年)に電気が通った地区。かつて入植した世帯も、ドキュメンタリー制作当時には通称「タイマグラばあちゃん」の1軒を残すのみ。新たに若い世代が移住してきたものの、生活はほぼ自給自足のまま。畑で大豆を育て、味噌や豆腐を作り、薪を割る。冬に保存食の味噌玉や凍みジャガイモをこしらえたりする様子が、淡々と映像に収められている。

当たり前の営みとしてそれを続ける、山の民独特の気質や誇り。そりゃあ勿論、アパラチアの場合は人口も全然違うし、全く違う意味での「生きる知恵」がある。それこそ「スローライフ裏表」ってくらいに。

恐らく『ウィンターズ・ボーン』に出てくるのはアイルランド系移民の一族で、バンジョーでヒルビリー音楽を奏でて歌い、馬を飼い狩猟をし、粗野な男達はドラッグ密造で生計を立て、うら若い娘も志願入隊するくらいしか村を出る選択肢はない。地元エキストラも含まれるんだろうけど、登場する人々は他の映画ではお目にかかれないような顔つきをしてる。タフで眼光鋭くて、でも疲れ果てたような、枯れきった冬の山肌のような。

否応なく容赦ない村の掟に立ち向かう17歳の女子も、やがてそんな村人の1人になるに違いない。まるで不幸なように見えて、でも同時に長く続く血脈を受け継ぐ者でもある。彼女が「あたしも一族の女だから」と言い放つ言葉に、紛れもなくガチな血が流れてる。ただ、いつかは弟妹世代が、叔父譲りのバンジョーで新しい音楽を奏でるようになるのかもしれない…。

しかしこの闘争心、失われないプライド。そして犬。ガチなアイルランド人をルーツに持つアパラチアの山の民もガチな訳で。むしろ、より一層閉ざされた環境故にガチ純度も高い訳で。つまり、キーンさんを更に10倍濃縮したくらいの、ガチさなのであった。ひいいい。
[PR]
by tototitta | 2012-03-13 00:15 | 映画 | ▲ TOP
new year
(記/minaco.)

d0031385_19391857.gif


とりあえず元気で、希望のある年でありますように。

[PR]
by tototitta | 2012-01-01 19:41 | 日々日常 | ▲ TOP
東北人魂
(記&画/minaco.)


d0031385_19271866.gif



先日のチャリティマッチにJリーグ選抜として出場した満男。早い段階で自ら三陸沿岸の被災地を訪れていた彼が、その試合でTシャツに書いたメッセージは「東 北 人 魂」だった。余白一杯にデカデカとあの「みつお体」の筆跡で。避難所の小さなTVに集まった人々にもきっと読めるくらい、これでもかと大きく。

シンプルで力強く、何よりも我々東北人にとって確かにダイレクトに伝わる言葉。正直「がんぼろうニッポン」というスローガンよりも、ワタシが本当に必要としてたメッセージはこれに尽きる。


そもそも、地震から数日振りに電気が復旧してTVやネットの情報に触れた時、ワタシは「日本は~日本人は~」的な捉え方の表現にいささか戸惑った。事の重大さという意味ではそうかもしれないし、支援の気持ちは有り難いけれど、まず当事者である東北人のメンタリティを尊重してくれないかな、って。

「東北人魂」とは何か。一般に東北人というと、寡黙で朴訥としたイメージがあるかもしれない。でも恐らく、何故そうなのか、はあまり知られていない。端的な例として、小笠原満男は岩手県民を象徴する気質の1つだと思うけど、当ブログの検索ワードで「小笠原 性格」が度々上位に来るように、世間一般にとっては未だ謎めいているらしい。

「東北人魂」の中には多分、「じょっぱり魂@岩手」が含まれている。それは“江戸時代に最も百姓一揆が多かった南部藩領民の「抵抗者」の遺伝子”か。それとも、“みちのく(=道の奥)辺境の虐げられし民の歴史”から来る岩手県民特有の「業」なのか。または、山の民やマタギのような「狩猟採集民族としての血」も関係するかもしれない。

勿論、これは岩手県民にとっての考察であり、すべての東北人に当てはまる訳じゃない。仙台藩、会津藩、それ以外もそれぞれの文化があるし、広い岩手県内でも内陸と沿岸では地理的にもやや離れ、違いがあるはず。ただ、東北人魂は遠い異国のアイルランドやスコットランド、ウェールズ、そして北欧のどこかなど、似たような自然だったり歴史観だったり気質を擁する場所にも通じるものがあるような気がする。

中央目線の歴史文化観では殆ど顧られない東北人の在り方については、これまでなるほ堂が何度も書いてきた。例えばこんな事も。

スマートでなく映る彼らの様なプレーは「激しさ、荒々しさ」と称される事が一般だが、僕は彼らのプレーにこそ「美しさ」を見る。決して飾らず、言葉少なく、しかし山に生きた者の末裔としての体幹の強さと、目前の獲物を屠るが為に妥協無く挑む様は、同じ山河に囲まれて生きてきた同郷の一人として強く心揺さぶられる。その後、我ら東北の民は北の蛮族とされ、武力にて否応なく「農耕文化圏」に組み込まれ、寒冷で稲作に不適な地であったにも関わらずそれを強いられた結果、幾度も飢饉に襲われてきた。その祖先の虐げられっぷりは、岩手の百姓の血筋としてはバイブルである『カムイ伝』をお読み下されば御理解いただけると思うが、そのような中でも生き続けた山人の精神と、また更に培われた反骨精神に由来するプレーが、今こうして世の人々を畏怖させている事は感慨に堪えない。
(2008年 03月21日「満男はいいよ」より抜粋・再掲)


震災発生から1ヶ月。未だ余震の恐怖に怯え、被災地の現状もローカル情報で知るたび無力感が募る日々だけど、せめて心にはいつも東北人魂を。
[PR]
by tototitta | 2011-04-12 19:28 | 日々日常 | ▲ TOP
自宅復旧作業中
(記/minaco.)


地震から10日、散乱した自宅の中を片付け始めて2日目です。8Fの部屋の中はブラウン管TVもデスクトップPCも吹っ飛び、机や棚が移動し、足の踏み場もないくらいゴチャゴチャになっちゃったのですが、何とか少しずつ復旧中。
皆さんにご連絡が遅くなってしまい、申し訳ありません。



かずさん、友さん、Tor2011さんへ。

ご心配いただきありがとうございます。そして温かい励ましをありがとうございます。
三陸沿岸や他地域に比べ盛岡はそれほどの被害でもないので、ご安心下さいませ。
落ち着いたらまた、よろしくお願いします!
[PR]
by tototitta | 2011-03-21 00:00 | 日々日常 | ▲ TOP
ご心配おかけしております

沢山の方々にご心配いただき、ありがとうございます。

しばらくの間ネットが使えない実家に自主避難してたので、ご連絡が遅くなってしまいました。申し訳ございません。

盛岡はライフラインや交通など一部でまだ不自由な所もありますが、ほぼ平常通りですし、我々も平静に過ごしております。どうかご心配なく。

皆様もどうぞご無事でお過ごし下さいませ。取り急ぎ、ご報告まで。

なるほ堂&minaco.
[PR]
by tototitta | 2011-03-15 13:48 | 業務連絡 | ▲ TOP
クリスマス☆キャロル
(記&画/minaco.)


d0031385_21454875.gif


雪がもすもす降り続け、何もかも真っ白けなモリオカからメリークリスマスです。ただいま-6℃。

とゆう訳で、デコ氏(2006年)、ホワイトソルトクリスマス・ロン(2007年)、ラファエル・マルケス(2008年)、あなたのディミタール(2009年)と続きまして、今年の「フットボール界(自薦)男前シリーズ」はこの方。やはり2010年大ブレイク中、イングランドにも若くて正統派男前がいるのよ!と自信を持って押し出したいのは、ニューカッスルのアンディ・キャロル君でございます。お嬢さん、火傷するぜ(まじで)。

まあ一般女子にすれば、「元カノを殴ってしょっ引かれたヤツでしょ」「保護観察でノーラン家に居候してるダメ男でしょ」などと(真っ当に)非難の声も聞こえてきそうですが、それもまた味わい深いではないですか。ヴィエリを思わせる左足のテクニック&パワー、イングランド代表にやっと現れたルーたんに相応しいパートナー。長身ロングヘアでシュッとした面持ちは、かつて世界最高の男前選手パウロ・ソウザ様を思い出しませんか。しませんか。ゲイにも人気ありそうだけどなー。如何でしょうカペッロ。

まあ素行が悪いのもご愛嬌、とゆうか、フットボール選手は何かタガが外れてる方が魅力的だと思うので。正直言って、ユナイテッドにぴったりのキャラ&ネタとゆう気もしないでもなく…。

では、愉しいクリスマスをお過ごし下さい。ああ年賀状はこれから描くお…。
[PR]
by tototitta | 2010-12-24 21:46 | 小ネタ | ▲ TOP
小◯3 『文化財・桜山界隈商店街』の研究(下)
(記/なるほ堂)

小◯3 『文化財・桜山界隈商店街』の研究(上)より続く】

■文化財保護法の近年の推移と精神

昭和50年、文化財保護法の改正によって「伝統的建造物群保存地区」の指定制度が発足し、京都の「伊根の舟屋」に代表されるような、
周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群(文化財保護法第二条第1項第六号)

つまり歴史的な集落や町並みもまた、「保存価値のある文化財」と認定された。

更に平成17年、同法改正によって「重要文化的景観」の選定制度が発足し、徳島の「樫原の棚田」や本県の「一関本寺の農村景観」のような、
地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第二条第1項第五号)

もまた、文化財の一つに加えられた。

前者は「伝統的な建造物」、後者は「風土により形成された景観地」と、桜山商店街は直接的にそれらの範疇には無いが、しかし上記の推移を見れば、近年の文化財保護がその対象を積極的に拡大している現状が窺える。歴史上のモニュメント的な建築物のみならず、住民生活に即した住民文化の保全へと。

また、その建築年代も然り。前述の「登録有形文化財」に関し、平成17年の文部科学省告示では、その登録基準を近代にまで拡げて「原則として建設後50年を経過」とし、ならばその点に於いて桜山商店街は有資格である。

つまり、桜山界隈商店街の建造物を文化財に推す行動は、これら文化財保護法の近年の推移、精神に適うと映るのである。





■その他の保存認定(市指定保存建造物)

この桜山問題に際し、同様に保存建造物認定を唱える中で、他方では、

領民の明日食う米さえ取り上げた盛岡城址が史跡文化財ならば、戦後の貧しい食料事情下にあって、肉味噌うどんに胡瓜を乗せて庶民の胃袋を満たし、戦後の復興の一躍を担ったじゃじゃ麺の元祖『白龍』一帯は、「国宝、世界遺産」こそが相応しい

──との声も聞く。つまり市指定有形文化財では、その価値に見合わないと。

真意に於いては自分も同感である。当地区は某浄土以上に世界遺産に相応しく、チータンタンに於いて卵を溶く技術は正に人類の無形文化財と、個人的には考える。その暗い路地界隈には、妖怪魍魎フォークシンガーといった絶滅危惧種、希少生物も住んでいる気がしてならない。

ともあれ、保存認定を受ける形態には上記の如く様々あり、中には「文化財」という認定を前提としないものもある。いわゆる「自治体指定の保存建造物」である。
盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例
第1条 この条例は、自然環境及び歴史的環境(以下「自然環境等」という。)の保全等に関し必要な措置を講ずることにより、現在及び将来にわたり、すぐれた自然環境と永い伝統にはぐくまれた歴史的環境とが調和する個性豊かな都市環境を保全し、かつ、創出することを目的とする。

上記条例第8条では、その保存建造物を「由緒、由来のある建造物又は都市景観上保存することが必要な歴史的建造物」と規定し、一部に文化財を対象としながら、市内の旧石井県令邸、徳清、茣蓙九、浜藤の酒蔵などを、独自に「盛岡市指定保存建造物」として、保存の対象にしている。

しかし、この「盛岡市指定保存建造物」指定が、桜山商店街の保護に有効かと言えば、そこには疑問がある。道路拡幅工事を念頭に、「徳清」はその一部が、「浜藤私邸」はその全てが指定解除され、取り壊された(盛岡タイムス)。その例を考えると、単純にこの指定が市の積極的な保全活動を担保するものとは思えない。

また、この盛岡市指定保存建造物の選定を所管するのは、盛岡市環境審議会の意見を受けた「市長」自身である点も、留意するべき処と考える。





■何処でボタンを掛け違えたのか

平成15年、政府は「美しい国づくり政策大綱」を策定し、翌16年には「景観法」を公布、それを受けて盛岡市でも、平成21年に「盛岡市景観計画」「景観条例」の全面施行に至った。

その経緯の中で、一面的な「美しい国」は、一面的な「美しい街」という概念を産んだ。何処でボタンを掛け違えたのか、自分はそもそもの始まりを、そこと考える。

盛岡市景観計画にて、盛岡城跡公園とその周辺を規定している部分を、以下に抜き出す。
盛岡市景観計画 第3章 盛岡らしい景観を守り、創り、育てる
〜良好な景観の形成のための行為の制限に関する事項〜
3-6 歴史景観地域 3-6-1 盛岡城跡公園とその周辺ゾーン
盛岡城跡公園は、盛岡の象徴的存在であり、お城を中心とした城下町としての成り立ちを大切にするため、周囲の建築物等に対し、配置や色彩及び高さの景観的誘導により、城跡の石垣や緑が醸し出す落ち着きと風格に調和した景観の形成を目指します。(青字筆者)

先ずはここから再定義するべきでは無いか。

盛岡城跡エリアの景観に於いて「大切にする」べき点は、その歴史的な「城下町としての成り立ち」だけだろうか。往時の城は、飢饉や苛政で落命した何万もの人々の怨嗟の対象であり、それ故に現在も他所と違い、市井には所謂「旧主君の城」としての顕彰の念など更々である。ならばむしろ真に大切にするべき景観は、過去の圧政者が目指した姿──言わば「負の歴史的景観」では無く、そこに市民たちが自力で築いた「正の文化的景観」の方では無かろうか。

廃城、石垣、引揚者、闇市、バラック、じゃじゃ麺、桜山商店街──江戸の封建文化の上に、昭和の庶民文化が積層する盛岡城跡エリアは、今もその特異な歴史を現在進行形で刻み続けている。即ちその「ハイブリット景観」こそが「盛岡らしい景観」の肝であり、今なおそこに生活の息吹あるからこそ、盛岡城跡は、今なお「盛岡の象徴的存在」なのだ。

どうにも近世近代現代とを区切った、言わば「縦割り史学」の視点で計るから、おかしなことになる。交雑した文化を蔑む者らは「破壊的文化浄化」を唱え、結局真の文化を殺してしまう。その意味でも、先ずは

「じゃじゃ麺を食え」

と言いたい。

麺は石垣、味噌は城、そこにラー油やニンニクを携えた一揆勢が攻め込む事により、じゃじゃ麺はその景観を為す。しかし、じゃじゃ麺の歴史はそれで終わりでは無い。城滅びし後、同じ皿の上に民衆自ら「卵」を溶く事により、新たにチータンの歴史が花開く。麺、スープという二つの食文化のリレーが、一つのじゃじゃ麺文化を為すのだ。正に盛岡城址一帯の歴史文化そのものである。

市は桜山界隈商店街を、あたかも「美しい街もりおか」の恥部としてきた過去を改め、その文化的価値の再認識を以て、改めて「お城を中心とした街づくり」という計画全般を、より広い見地に立った現実に即したものへと練り直すべきである。その上で、市自らが文化財としての保護を──。





■まとめ

勿論、文化財としての保護が、全てに於いてバラ色であるわけでは無い。メリットに於いては以下が挙げられる。

 ・新たな管理保存計画の下で耐震工事などが施され、現状を基本に整備が図られる
 ・晴れて市のお墨付きを得て、今以上の観光アピールが可能になる
 ・地権者は税制優遇を、住人らは管理修繕費用の公的補助を受ける権利が発生する

しかし、逆の部分もまた当然ある。いや、関係当事者にとってはデメリットの方が大きいかもしれない。

 ・市役所は現行の街づくりの改訂を迫られ、既に決まっているであろう工事業者にも御
  免なさいしなければならない。
 ・市以外の地権者は、再開発に際しての土地の買い上げを受けられない。
 ・商店主は、文化財である建築物利用に、ある程度の制約を受け、またこれを機に立ち
  退き料
で心機一転というのも叶わなくなる。

これらを思えば、かの「鞆の浦()」の様に、文化財保護という当案もまた、新たな「保護という名の暴力」として地域を蝕む危険を孕み、むしろ住民の方から反対の声が上がる事すら予想される。

だが、上記の様に「三方一両損」だからこそ、関係者各位は歩み寄れるのでは無いだろうか。自分はそこに一縷の望みを抱くのだ。

当方の案は、言わば張りボテの、荒唐無稽の類である事は理解している。現状で「今のままの風情の商店街の維持」という民意、我が意が向かうべき道筋が宙に浮いている事への危惧から、その方法論の研究を試みたもので、せいぜい今後の論議の「呼び水」程度にでもなれば報われる程度のモノだ。

また、市民運動に於いては民意の先鋭化こそが重要と考え、その研究に於いては「民意の受け皿となり得るか」を重視し、また「専門家の検証に耐え得るか」は、意図的に軽視した部分もある。よって、上記案を積極的に推すべきと訴える気は毛頭ない。拙速な代案づくりを促す気も無い。

しかし、市側に「ゼロベースでの協議」を受ける様子が一向に窺えず、邪な懐柔や強権を以て、彼らが計画を成し遂げようとしている現状は鑑みねばならない。例えば「関係者間で合意案が形成されるまでは、現状を追認させる」というのも「無駄な時間稼ぎ」として受け付けないだろう。

ならば、やがては住民の総意としての「具体的な代案」を提出せざるを得ない状況が予想される。その折は、どうか「何処ぞの門前町風に整備」の様な妥協案では無く、あくまでも「今のまま」を大前提とした対抗案の提起を望みたい。今、民意はそこにある。ならば商店街が目指すべき道はその中にあり、そしてその道筋は必ずあると信じる。


【了】
[PR]
by tototitta | 2010-11-04 18:14 | 日々日常 | ▲ TOP
小◯3 『文化財・桜山界隈商店街』の研究(上)
(記/なるほ堂)

■水は低い方へ流れる

まずは現在の署名活動を受けて、晴れて現桜山界隈商店街地区を「商業用地指定」に変更いただき、その後桜山神社との借地契約が切れる2014年までに、将来的な計画、つまり「どのような形で商店街を残していくのか」を、当事者同士で話し合っていただく、それが自分の希望する今後の道筋だった。

何だかそうも言っていられないらしい。

現在1年ごとに契約している市所有地部分の賃借について、市は翌年度の更新に難色らしく、また背後に市長が控える桜山神社も、2014年以降の契約延長を呑む目は無いだろうとのこと。

新たに協議機関の設置を提案し、一見して軟化に映る市側だが、しかし商店街の生殺与奪権を持つ彼らは、とうにその「余命」を定めている。例え今の公園案が「白紙」になっても、彼らは賃借の「停止」だけで商店街を殺せるのだ。

商店街側が協議という市の秋波を、現時点で撥ね付けたのは賢明だった。一部ではトーンダウンとも評される市側であるが、しかしそれは勘定所風建物といった類について。

「史跡は史跡らしい姿に整備する」

という計画案を堅持し、その余命をカウントダウンし乍ら、

「現案を叩き台とした修正案」

以外は話し合いの余地なしという態度は揺らいでいない。

予め死を定めた上での協議会は、協議会では無く、言わば住民招待の「お墓の選定会」である。住民の望みを一同に集め、同時にその一つ一つを「無理」と書いたハンマーでモグラ叩きし、ようやく皆が静まったところで、各種「現行案を叩き台とした墓」を揃えたパンフレットを示し、さっさと彼らの「道理」を通すセレモニー。

しかし、それを拒否したとしても、市は計画遂行への手順が一つ増えるだけに過ぎない。市は、住人から借地権を取り上げ、彼らを不法占拠者に変える事も可能なのだ。商店街が自らまな板に上るのを拒むなら、現在の「良き死神」の風情から「無慈悲な死神」へと変貌し、地権という生殺与奪権を以て、商店街を解体せしめるだけのこと。

例え水を塞き止めても、濁流はそれを越え、結局は低い方へ流れる。

ならば、「別の水路」を用意する必要がある。

死では無い、生に向かって伸びる水路を。





■別の水路

勿論、当事者の頭越しに「代案」を提起する事には憚りはある。何を以てこの桜山問題に於ける勝利とするかは、住民たちが決定すべきこと。生活者である彼らの選択に、無遠慮に口を挟む立場には無い。

そこに至るプロセスも然り。下手に現段階で二者択一を迫るよりも、先ずは市に「史跡は史跡らしい姿に整備する」という考えを撤回させ、全てをゼロベースとした上での協議の中で、商店街維持に適う具体的な計画案を、市と協調して見出そうというのも、一つの賢明なやり方である。

しかしその一方で、既に署名に参加した人の多くが望み、先のアンケートでも盛岡市民の40%が望んだ「今のままの風情の商店街の維持」という「希望」が、一向に肉付けされた「代案」として見えてこない事への忸怩(じくじ)たる思いは拭えない。例え現計画案を白紙撤回したとしても、その代わりの計画案が見えない現状、それは現在の市側の硬直的態度の一因でもある。

本当に「今のまま」を望むなら、如何なる計画案を以てそれを為すのか。
その計画案を見出すことは、実際に可能なのか。

よって、商店街の意向はそれはそれとし乍らも、一方で「今のまま」を叶える為の代案、即ち要求の試案を研究考察する事は無為ではないと考える。

例えば、史跡も公園も解除が難しいなら、また更に構造物に「文化財」という制約を被せてしまおうという、まア端的に言えば、

桜山界隈商店街を、『地方公共団体指定の有形文化財』

──というのは、如何なのかと。





■地方公共団体指定の有形文化財

各種保存建造物に於いて、いわゆる「◯◯文化財」には、以下の3つの形態がある。簡潔に紹介すると、
重要文化財(文化財保護法・第27条第1項)
有形文化財の内、文部科学大臣が重要として指定する文化財。

例:啄木・賢治青春館(盛岡市中ノ橋通)
登録有形文化財(同・第57条)
文部科学大臣により、文化財登録原簿に登録された有形の文化財。国レベルで厳選する重文指定制度のみでは不十分であるとして、一歩引いて届け出を「登録」するという形で、より幅広い保護を図るべく設けられた制度。主に近代の建造物が登録される。

例:米内浄水場水道記念館(〃上米内)
有形文化財(同・第182条第2項)
『地方公共団体は、条例の定めるところにより、重要文化財、重要無形文化財、重要有形民俗文化財、重要無形民俗文化財及び史跡名勝天然記念物以外の文化財で当該地方公共団体の区域内に存するもののうち重要なものを指定して、その保存及び活用のため必要な措置を講ずることができる』
──という条文に則り、地方公共団体が指定した有形の文化財。

例:木津屋池野籐兵衛家住宅(〃南大通り/岩手県指定有形文化財)
  啄木新婚の家(〃中央通/盛岡市指定有形文化財)

上記の3番目、つまり現在の「盛岡市文化財保護条例(リンク参照)」に基づいて、現在桜山参道地区に群立する商店街の建造物を「盛岡市指定有形文化財」に認定し、それを以て商店街の現状維持を図るよう市に要求する、そのような要求を「現状維持派」の旗印とする──それが今回記すところである。

ちなみに「桜山商店街は既に史跡盛岡城址の範疇であり、重複した文化財指定は不可能では無いか」と言う問いに対しては、

 ・昭和12年に史跡に指定された際には、これら上物(うわもの)は存在しなかった
 ・名古屋城の様に城跡一帯は史跡とし乍らも、その上に立つ建造物は重要文化財と、
  各々の性質によって個別に文化財指定している例がある

などの点から、現状で商店街建造物は史跡指定の範疇には無いというのが当方の見解である。また、先に文化庁はこれらの建造物を「史跡を構成する主要な要件以外の物」とした上で、文化庁の許可無くとも現状変更可能としている事からも、必要ならば再調整の上、「これら建造物は、史跡に含まれない」という確認を得るのは可能と考える。





■なぜ、盛岡市指定有形文化財か

数ある文化財形態の中で、なぜ「盛岡市指定有形文化財」に着目したのか。しかしその前に、そもそも「桜山界隈商店街は文化財に相当するのか」への見解を示す必要がある。そもそも「文化財」とは何か、「文化財保護法」より以下を抜粋する。
文化財保護法 第2条第1項第1号
第二条  この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。
1 建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)

つまり、桜山商店街の建造物を、大戦後に日本中に発生した簡易店舗から始まり、昭和の佇まいを今に伝える「我が国にとつて歴史上価値の高いもの」と考え、その周辺群を「これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」と考えるならば、桜山界隈商店街を文化財相当としても差し支えないというのが、当方の考えである。

その上で、なぜ「盛岡市指定有形文化財」を選んだのか。

理由は、その指定判断を所管する組織にある。「重要文化財、登録有形文化財」の場合、その所管は市の外部(文化庁)であるのに対し、盛岡市文化財保護条例に基づく「盛岡市指定有形文化財」の場合、所管は盛岡市教育委員会盛岡市文化財保護審議会である。

つまり、標的(まと)は小さく、見えるところに、そしてハードルは低く。

何より、この問題で現状維持派の最大の武器となりうるのは、それを推す「市民の声」である。ぶっちゃけ、建築物の客観的価値ではない。じゃじゃ麺の味の様に、簡単に外部の人間がその文化的価値を理解するとは期待し難い。

ならば、例えば「伊賀市庁舎の保存運動()」の様に、文化庁への「登録有形文化財申請」を市に要求する戦法、即ち市外戦や空中戦に持ち込むよりも、いたずらに戦場を拡大せず、「市民の声」が最大限生かされる「市内戦」を選んだ方が吉との考えである。



『文化財・桜山界隈商店街』の研究(下)へ続く】
[PR]
by tototitta | 2010-11-04 18:06 | 日々日常 | ▲ TOP
続々小◯ 盛岡市に於ける「史跡指定」解除の先例
(記/なるほ堂)

【※追記あり(10月23日)】

1
桜山問題、即ち「桜山界隈商店街」有する桜山神社参道地区の「勘定所復元構想(※)について続報。(※実際は、観光案内所や物産品販売の機能を持つ「勘定所風の建物」を建設する構想)

昨日10月29日、市役所内にて行われた「史跡盛岡城跡保存管理計画に伴う説明会」に併せ、同地区にある東大通商業振興会より、署名に拠る反対活動を開始する旨が発表がされた。署名の要旨は以下。

 ・盛岡市策定の「桜山神社参道地区の将来像について」および「勘定所・
  土塁・門・堀」計画案を白紙撤回すること

 ・桜山参道地区を公園緑地化することをやめ、都市計画を現状に即した商
  業地域指定に変更すること


注目すべきは二点目。単に「現在の市構想に反対」という名目だけでは、例え数は集まっても、次なる市役所お手盛りの「代案」「新案」に対しては、効力の無い署名になりかねないとの危惧があった。それ故、ある意味リスク承知で「都市計画を現状に即した商業地域指定に変更」という点に踏み込んだ勇気に、どうか皆様も拍手を送っていただきたい。

【署名用紙はこちらからDL出来ます】

この点について、しかし市都市整備部の新沼正博部長は「文化庁からの指導」という名目を上げ、昨日の説明会でも過去の発言の立場

「史跡である以上、(桜山商店街が存在する)現状のままいうわけにはいかない」
「史跡を構成する主要な要素以外のものは史跡以外に移転を図るとの方針は維持する」

に変化の無い旨を述べた。だが──

果たして、この市側の言い分に「大義」はあるのだろうか?


2

「桜山商店街は残って欲しいけど、でも文化庁指定の国の史跡だから…」

商店街存続を希望する方々の中からも、このような声を聞く。

しかし、国の史跡指定は決して「動かせざるもの」では無い。他所に過去の例を探すまでもない。この桜山商店街に隣接する「東大通商店街」は、昭和二十八年、国の史跡であった盛岡城址内の「亀ヶ池」を埋め立てて建設された。

勿論、正規の「史跡指定の解除」を経て。

以下、『盛岡の今と昔』(発行:盛岡市公民館/昭和三十九年発行)より。


d0031385_11205344.jpg
【写真1】埋め立て前の盛岡城の内堀「亀ヶ池」
(桜山神社側からサンビル方向をのぞんだもの/写真点線内が現在の東大通)


d0031385_11213537.jpg
【写真2】亀ヶ池の埋め立てと、それに伴う史跡解除を伝える当時の新聞ほか
東大通りの開通

昭和二十八年、文部省指定史蹟盛岡城址の亀ヶ池の一部を埋め立てて新道路を建設した。

この問題について、当時市議会ではその是非について公聴会を開き遂に史蹟解除を申請、街路を造成することに決定した。

更に、『盛岡の今と昔』より引用する。
大通り地区の発展

戦後の二十八年、大通商店街の経済効果発展の面目躍如たる亀ヶ池埋め立てによる新市街、東大通りの誕生は盛岡駅から肴町方面に至る河南・河北を結ぶ最短幹線道路として急激な利用の増加に伴なう近代的商店街・歓楽街の発展を約束させた画期的なものであった。


つまり、我が盛岡の先人らは、市民生活の利便性向上と、市街地発展のために奔走し、公聴会などを経て、遂に史跡改変の前提となる「史跡指定の解除」を勝ち取ったのだ。極めて健全で、賢明な市政が、かつてこの盛岡に存在した。市役所は、決して国の出先機関ではなかった。

しかし現在はどうだ。

現盛岡市都市整備部は、史跡指定の妥当性(【追記】参照)を問う公聴会などをすることもなく、文化庁に言われるままに「国の史跡指定」に盲従し、半世紀以上も昔の都市計画に於ける約定を以て、現に今生きている人々、我々市民の生活を破壊しようとしている。

それは、今日の盛岡市の発展につながった先人の尽力さえも蔑ろにする行為と言えよう。

─────────────────────────────

【追記】(10月23日)
亀ヶ池の折は公共用地(道路)を目的とした史跡解除であったが、民間の店舗用地を目的とした史跡解除は難しく、依て史跡解除に向けては、この「第四種地区(桜山参道界隈)」の史跡指定の妥当性そのものを問う事になるだろう。

当地域は、かつて指定解除された折の亀ヶ池と違い、その地上部分の遺構は既に失われており、また当時の資料も殆ど残存していない。更に、城跡保存管理計画策定委員会も、地下遺構以外は、文化庁の許可無くとも工事着手可能と答申している。つまり、左程文化的価値に乏しい地域である。依て、改めて国の史跡指定を受ける要件に乏しいとして、見直しを求める事に無理は無いと考える。

─────────────────────────────

【補足】
自分としては史跡の保存はあくまで「地下に眠る史跡の保存」に留め、地上部分は東大通商業振興会が求める通り、「現状に即した商業地域指定」とするのが最良と考える。即ち、現状及んでいる「地上部分の史跡指定」の解除。ならば商業地域化が、結果大型店舗やマンション建設に繋がるという危惧も無くなる筈。それらの建設には地下部分の破損が伴うから。また、現状の町並みを保存には条例を制定すれば宜しい。



3

もう一つ、都市整備部が桜山商店街の解体の理由としてアナウンスしているのが、その

「老朽化に拠る危険性」

という点である。しかし、それに対しても今年、既に一定の回答が出ていることを紹介しておきたい。

今年7月、史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会より、現状の史跡指定下でも、

「桜山参道地区商店街の建物の内外装改修や、条件付きでの改築などを認める」
(参考サイト:盛岡タイムス

という要旨の保存管理基準案が示された。その際には文化庁の許可も不要だという。これは、これまで困難だった防火耐震工事などを可能にする、いわばお墨付きである。これを以て、既に市は「解体せねば危険」という論拠を失っているのである。

─────────────────────────────

最後に。

桜山界隈商店街を支援する署名運動、その目標数値は「5万人」に設定された。参考までに記せば──この活動は決して市政トップの打倒運動ではないが──これは現市長谷藤裕明氏が初当選した際の得票数(47,432票)を上回る数字である。決して楽な数字とは言えないが、是非とも叶えていかなくてはならない。

しかし、例え5万人の署名があったとしても、その先にも困難は続くだろう。思い出されるのは、同県釜石市の「橋上市場」である。

桜山同様に終戦後、自然発生的に形成された「橋上市場」は、その名の通り、世界でもこことイタリアのフィレンツェにしかない「橋上の商店街」であった。

だが、毎年のように水害に見舞われるフィレンツェにあって、しかし市民が14世紀から今日まで維持し、今や「世界遺産」の象徴として世界中から観光客を集める「ヴェッキオ橋」とは対照的に、釜石市の「橋上市場」は国の「河川法」に翻弄された挙げ句、

「危険な構造物、違法占拠」

とされ、2002年に姿を消した。その際、存続を求める署名は「釜石市人口の80%」を越えたが、その声は届かなかった。
(参考サイト:日本すきま漫遊記Internet Photo Magazine Japan

現在、それは代替として建設された『駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石』に名を残すが(駅前なのに橋上とはこれいかに)、無論そんな何処にでもある「箱モノ」に、かつての様な珍しい景観を求めて訪れる観光客の姿など無い。

つまり、数多くの声を以て「希少な景観、地域文化を破壊する代償は計り知れない」という至極当然のことを唱えても、どうにもならない馬鹿が居る、ってことだ。

それを踏まえて、馬鹿の壁、いや馬鹿の「土塁」か──を倒さなくちゃならない、僕らの願いは、その向こうにある。

You see things can change
Yes an' walls can come tumbling down!
──Paul Weller
youtube
[PR]
by tototitta | 2010-10-20 13:01 | 日々日常 | ▲ TOP
続・小◯ 桜山問題、その後の進展
(記/なるほ堂)

先ずは、今回の事業計画案に至った経緯を整理。

元々、盛岡市に存在していた複数の思惑──

  • 盛岡の「歴史を活かした街づくり」を推進したい市民団体
  • 盛岡への「観光客誘致」を促進したい市商工会議所
  • 市中心部の「空洞化対策」に、城址を「町づくりの拠点」としたい都市整備部
  • 借地契約がやがて切れる前に「桜山商店街の今後の在り方」を決めたい市担当課
  • 盛岡の「全国的注目度」を上げ、同時に「観光機能の向上」に意欲的な市長

などなど、それら複雑に絡み合う思惑を、文化庁から「史跡整備の為の予算」が舞い込んだのを好機として、拙速に役所がパッチワークしたら、

「現在の桜山商店街を新規改装し、盛岡城址の文化的価値の向上(勘定所の復元)及び、観光機能の向上(土産販売所、団体客対応の大型飲食施設の建設)を図る」

という事業計画案に至ったと。

で、所詮パッチワークだから、ある部分は各々の目的に合致し乍らも、しかし──

  • 歴史を活かす為に、歴史を壊す
  • 観光機能向上の為に、既存の観光資産を壊す

といった、「あからさまな矛盾」を抱えた、お些末な事業計画案に。

そういった経緯。



昨日の説明会(その模様はコチラを参照)では、市計画の杜撰さ(今計画遂行に拠る誘客効果、費用対効果の試算を全く行っていない事実が判明)や、桜山商店街側の意志(計画の白紙撤回及び、商店街の維持存続の要求)が明確になった。そこで、市井の一支持者としても「チータン食ってる場合じゃねえ(AA略)」という事で、以下、今後の商店街存続に向けて思った所を。

先ずは、皆も言うように「声明文」

今このような「桜山問題」が起きている現実、またそれに対する反対の声が沸き上がっている事実を、より広く市民に周知する為にも、「連名」を添えた声明文を広報しては如何かと。例えば、
戦後60年に渡って盛岡市民が育み、
また育まれてきた『桜山商店街』。
私たちは、その大切な価値を損なうような
現在の盛岡市の『観光開発計画』に反対します。
といったような。併せて、

  • 桜山商店街の新規改装は、その文化的、観光資源的価値に、大きなマイナスです
  • 観光機能向上の為の施設整備は、既存の建物も含めて周辺地域で賄えます
  • 殆ど資料の無い史跡を復元しても、盛岡城址の文化的価値の向上は見込めません

というメッセージも。

また、これまで市の諮問に参加する等、現在の「お城を中心にした街づくり」推進の一翼を担ってきた方々は、それら行為が意に反して、今回の商店街撤去計画の「大義」に利用されている事は理解されている筈。城跡保存管理計画策定委員会の方々なども、この事態に当惑しているとの話も聞くが、ならばその方々には是非とも「反対声明」に名を連ね、態度を明確にして欲しいところ。市側の一味として看做されぬ為にも。

─────────────────────────────

続いて、「桜山商店街の文化的価値」のアピール。

昨日の説明会に於ける反対派の猛抗議によって、「市構想はトーンダウン」と報じられている。だが、それは勘定所建設といった現計画案がトーンダウンしたに過ぎない。商店街の新規改装という方向性は、まだ堅持されたままだ。

よって、もっと多くの市民に「桜山商店街の文化的価値」を認識してもらう為に、斯様な文化に造詣の深い方々に寄稿を募り、発信していただく事も重要かと。言わば、お墨付きの付与。

中でも、この盛岡を舞台に「古いもの」を守る事の大切さを描いた『どんど晴れ』の脚本家さんに、今その様な「古いもの」を破壊して、再現とは名ばかりの、「新しい観光地づくり」を目指している盛岡市政を、どう思ってるのかご意見を給わりたいところ。

但し、過去の多くの市民運動、自然保護運動などが示すように、「貴重、大切」といった文化的な「抽象概念」は、本質的には非常に大切な事ではあるが、しかしそれを以て行政に対抗するのは難しい事も期しておくべきかと。

また、あくまでも文化人に助力を仰ぐのは、市民の理解を呼び込み、この反対運動に好意的な関心を呼び込むのが目的。誤ってオピニオンの先導を部外者に委ね、結果「市民不在の空中戦」の様相ともなれば、現実には今、市民の多くを占めるであろう

「このような騒動自体を嫌う人たち」

の嫌悪を招くだけで、そのような失敗事例は過去に枚挙の暇がない事も付記しておく。

─────────────────────────────

そして、「覚悟」

市役所は過去の市民アンケートの結果をメディアにリリースし、あたかも現商店街の撤去に「民意の後ろ盾」が存在するかの様にうそぶいている。

この問題に対する民意と看做すには、あまりにアンケートの実施が時期外れであるに加えて、新規改装(撤去)支持派の各論が不明瞭で、結果、現状維持を上回る具体的プランなど何処にも存在しないにも関わらず。

しかし、市民アンケートというのは、今後の桜山商店街の在り方を考える際に、避けては通れない道と考える。この問題を広く市民に関わるものとして、彼らの賛同を求めるならば、やはり「最終判断は市民の意志に委ねる」という覚悟を、敢えてこちらから示す必要があるのではないか。

勿論、安易なアンケートでは、「市民の様々なご意見を承った上で検討の結果、この様なプランに決めました」的に、市が後出しで好き勝手に事を為そうとするのは明白。更にヘンテコリンな箱モノを建てようとする危惧も。

依て、その様な蛮行を防ぐ為にも、市民の判断を仰ぐ際は、

  • 事前に市が一本化した「新規改装プラン」
  • 桜山商店街が提出する具体的な「現状維持プラン」

『二者択一の住民投票』とするよう、予め確約をとっておくというのは如何だろうか。その折は、盛岡市民は正しい判断をすると信じ、敢えて申し上げたい。

──以上、僭越乍ら。

─────────────────────────────

最後に、個人的な思いを。

亡き兄は生前、白龍のじゃじゃ麺をこよなく愛した。その魂は普段は九州の妻子と共にあるが、しかし時折はこの盛岡、桜山商店街に赴いているはずと感じている。子供の頃、学生時代、そして帰省の折、いつも足を運んでいた桜山商店街であるから。

桜山商店街は、そういう場所です。
あなたの街にもあるかもしれない、あったかもしれない場所。

そんな盛岡人の魂の故郷が、いつまでも故郷であり続けますよう、どうか皆様の御理解、ご助力をよろしくお願いします。
[PR]
by tototitta | 2010-10-14 15:05 | 日々日常 | ▲ TOP
LINKS
・ Mercedes's Diary
・ おかず横町
・ デジカメのいろいろ
・ 今さらながらの○○修行
・ 春巻雑記帳
・ 塔とゆりかご

映画
・ NAWOWOW
  NAWOKO KAWAMURA'S PORTFOLIO

 Football
 ・ CALCIO馬鹿のたわ言。
 ・ 【別館】Black Swan of Ukraine
 ・ ファーポコ
 ・ A.C.MILANを斜め読み

 鹿島アントラーズ
 ・ オフィシャルサイト
 ・ Red-Deer's Diary
 ・ My Soccer Diary
 ・ やわらかな風に包まれて
 ・ はいっ、おばさんは遠隔地鹿島サポです!

 レノヴェンスオガサFC
 ・ オフィシャルサイト


OTHER ROOMS
WEBSITE SPIN-OFF

・ ABOUT US
・ CONTACT