アン・リー監督の3D映画
『ライフ・オブ・パイ』 (2012)を観た時のこと。
平日午後の劇場は、比較的年齢層高めである。後の席には60代前後と思われる夫婦連れが居た。そして、ワタシから3席ほど離れた席にも妙齢とおぼしき女性が現れた。ヒョウ柄かトラ柄かアニマルな毛皮っぽいコート姿で、スーパーで買った大きなレジ袋など大荷物を抱えている。
おいおい、生鮮食料品とかこんな暖かい所で置きっぱなしにして大丈夫か、と気にしていると、その女性は暗くなった劇場内でガサゴソと大きな音を立てながらレジ袋を足元に置く。どう見てもこの映画を観たくて来た様子ではない、明らかに場違いさが漂う。モリオカの冬はこれからが本番だというのに、一足早い春の訪れを告げる人だろうか。
映画館ではそういう巡り合わせもあるものだ。見知らぬ誰かと暗闇を共有する場所なのだ。だが、ワタシは3Dだからっていつもの席より後列を選んだ事を少し後悔した。昨今、劇場内で銃を乱射する事件だってあるのだし。まあそんな物騒とは思わないが、その女性客が何やら独り言を発するのが聞こえてくると、いささか居心地悪く、次にどんな行動を取るか予測がつかず緊張も走るというもの。
予告編の頃、彼女はおもむろに席を立って行ったが、やがて戻ってきた。3Dメガネをマイメガネの上に掛け、本編が始まっても近くの気配を感じる。レジ袋のガサガサ音も響く。それは映画と同じく、猛獣の気配のようでつい身構えてしまう。
「トラと漂流した227日」を観に来たはずが、いつしか
「トラと観る127分」になっている。何だこの臨場感溢れるシンクロは。
ワタシの傍らに存在するトラは、足元のレジ袋から何か取り出し、どうやら食べているらしい。暗闇なので、手元が狂って何度か袋ごと落としたりもしている。その度に独り言も。明らかに映画を観る気なさそうなのに、ナゼ敢えて、3D料金まで払ってコレを選んだのか謎だ。ケモノの匂いが呼んだのだろうか、3Dメガネは掛けてるのだろうか、そこまでは確認できない。
勿論、映画の素晴らしい映像美に目を見張りつつ、ワタシは“トラ”の気配にも気を抜けなかった。もしかしたらいつ襲ってくるかも解らない。救命ボートという閉鎖空間、映画館という閉鎖空間。トラの縄張りとワタシの縄張りには、そう距離はない。しかも、横のトラは3Dどころか4Dで存在してる。
映画がクライマックスを迎える頃、トラがまた動き出した。立ち上がると毛皮っぽいコートを着込み、またガサゴソとレジ袋の大きな音を立て、何か言いながら退席しようとしている。ひょっとして、トラの最後を見届けて満足したのだろうか。トラはトラの目にどう映ったのであろうか。横目で見るまでもなく、気配が遠のいてゆく。振り返りもせず、トラは立ち去っていった。後にはレジ袋の残骸と、何か食べものの匂いを残して。
ワタシは作り話をしてる訳じゃない。比喩はしてるけど。パイもそうだ。
映画で語られる2つのパイの体験。映画を観る自分の体験。虚構と現実が何重にもシンクロする…それこそが『ライフ・オブ・パイ』であった。もしかしたら、こっちのトラも神様が遣わしたんでしょうか…。