[鹿 0-0 大阪桜]
いきなり鹿の話からそれて申し訳ないが、最近のスポーツを眺めていて思う事から。
野球界で長年“競技の華”とされてきたホームラン。それを要せずに、起動力と守備力で勝つスタイルを“スモールベースボール”と呼ぶのだが、奇しくもこれを標榜する千葉ロッテ・マリーンズとシカゴ・ホワイトソックスが共に四タテで王者になった。今、野球という競技そのものの在り方が急激に変化しているようだ。
そして、それに類した“スモールフットボール”も、同様にサッカー界を席巻している。
野球でのホームランが「個人能力でゴールを陥れるプレー」、四番打者が「スーパースターの司令塔」と言えば分かりやすいだろうか。それらを必要としないサッカーが今、マンチェスターUやRマドリーらの古いサッカーを圧倒しているのだ。
スモールフットボールの代表、それがチェルシーである。
ボビー・バレンタインとモウリーニョ。どちらも低確率のビッグプレーに頼るよりも、高確率のスモールプレーの積み重ねで勝利を狙う監督だ。彼らは勝率を高める為には選手起用も固定しない。あえて彼らが頑に替えないのは、派手さは無いが欠点も無く、チームプレーに徹する選手。モウリーニョにとってはランパート、そしてボビーにおいては日替わり打順の中で終盤唯一四番に固定したサブロー。この二人の特性をみれば、両監督の思想の類似が良く判る。
だが、、、千葉の爽快さに比べて、チェルシーを見て覚える「やるせなさ」は何なのだろう。
それはやはりチェルシーが金持ちだからだろう。いや、ヒガミとかじゃ無くて。。。
日韓W杯でセネガルがフランスを葬ったのもスモールフットボールであったが、それは貧しく才能に恵まれない者たちの抵抗の手段として用いられたもの。だから痛快であり、皆に評価されたのだ。だが、あれを金持ちがやってはいけないのだ。
金持ちは金持ちらしく、優雅に、美しく、そして圧倒的に勝たねばならない。がめつくセコ〜い勝ち方で、貧乏人の夢を奪うのは人道に悖るのだ。
サッカー界の王者ブラジル代表は、全員四番打者のビッグフットボールであるからこそ愛される。
その代償として攻め入られる隙はたくさんあるが、才能ある者はその才能をピッチ上で発揮する義務があるのだ。そして、そのブラジルの流れを最も色濃く受けたJチーム、鹿島もまたビッグフットボールで勝たねばならない。それは義務だ。
スモールフットボールをいち早く、日本で実践してきたのがセレッソだと思う。だから鹿は分が悪かった。
昨年のチャンピオンズリーグでバルセロナはチェルシーに敗れたが、それと同様。ビッグはスモールに分が悪いのだ。
だが、この日鹿島は引き分けた、、、しかも鹿らしく闘った上で。これは凄い事だと思う(ラッキーはあったけど) 。
点は奪えなかったが、敵地に関わらず、時に数的不利となりながらも繋ぐサッカーで攻め続けた。ソガは勇敢だったし、岩政もあんなに頑丈とは思わなかった。時代がスモールフットボール全盛になろうと、鹿は今のままでいて欲しい、、、改めてそう思える試合だった。
スモールフットボールの利点の一つは絶えまないプレスで相手に考える隙を与えず、結果敵を追い詰める事だが、鹿はそういう「圧力」を運動量や効率性ではなく、自らのアイディアやサッカー技術で産み出す事の出来る日本唯一のチームだ(贔屓目もあるが)。そして、そういうチームこそが「王者」に相応しいはず。
決してスモールスタイルのチームを腐すつもりはないし、何よりあの不人気ロッテが生まれ変わって、旧態依然とした球界に新風を吹き込んだ事はとても素晴らしい事だ。
でもどこかでスモールスタイルは、やはり「突出した個」の居場所をなくしてしまう気がして、、、どうしても王者たるに相応しく思えない。特にチェルシーにはブラジル人がいないせいもあるが、やはり見ていてサッカーとしての驚きが無い。上手いなと思っても凄いなって場面が無いのだ。
サッカーがキングオブスポーツとして地上に君臨する以上、その王者盟主もキング然とした戦い方で無くてはならぬ。
つまり、、、長々と書いてきて自分でも何がなんだか良く判らないが、つまり言いたい事は鹿島が優勝しなくてはサッカー界は闇だと言う事だ。「何を大袈裟な」と言われようと、少なくとも僕にとってはそうなのだ。だからもうあと一歩、頼むよ。。。満男。
(記/なるほ堂)
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