Tante Auguri,Azzuri!!
正直ブラジルを破って優勝したかった。我が家の因縁&トラウマに決着を付けるチャンスだったのに(忘れもしないアメリカW杯決勝、なるほ堂はブラジルと共に歓喜に沸き、私はバッジョと共に深くうなだれたのであった。優勝と準優勝の間には深くて暗い川がある…)。
個人的にはユナイテッド選手もいないし(汁はベンチだしサハは出場停止・・涙)、後半からはフットボール的にもどうかって試合だけど、人間ドラマ的には見所の多いパンチの効いた決勝だった。率直な気持ちは、
「私もカップを掲げてみたい!!」 (どうすれば?)。
しかしこの試合のあらゆるアングルに絡むマテラッツィ兄貴は、プロレスラーなら間違いなくレジェンドだな。凄い。
ジダンは余程腹に据えかねたのだろう。こんな事を言うと顰蹙かもしれないが、私はレッドカードの場面でちょっと嬉しくなった。イタリアを応援していたからではない。
大会後引退するジダンの存在は、この大会の
アングルを作ってきた。「ジダンのプレイが一試合でも長く観れるように」とか「有終の美を飾るために」とか、予想外にフランスが勝ち上がったもののその試合内容がしょっぱいせいか、ジダン・アングルで盛り上げる。ジダン最後の勇姿・・・どっちに転んでもジダン・アングルは予定調和に終わるはずだった。なのに、とんでもない結末。
W杯に特別にエモーショナルな何かを期待して観る私は、何かとんでもないシーンを期待してたともいえる。最後にそれが起こった。
黒ジダンである。
収まりのいいアングルを飛び出した、ジダンのエモーション。引退を宣言し、残り試合は悟りの境地でフットボールを楽しむかに見えたジダンだが、やはり最後の試合まで彼は100%現役だったのだ。
もはやペレやマラドーナと並ぶレジェンドの域に達していたジダンは、博物館に展示される寸前で未だ生身である事を示した。これまで通りのジダン。それがちょっと嬉しかった。そう捉えると今更選手としての評価が変わるものでもない。むしろやっとカントナに並んだ。移民の象徴でも、神でもない。それでいいんじゃないかな。
イタリアは今更怖いものなし、の気概を感じた。トラウマのPKも恐れなかった。今大会最も個々の戦闘能力が高いチームだったと思う。一人のエースは要らない、救世主は日替わりでいい、センターFWが点を獲らなくてもいい。勝ちにこだわり、勝つ為の仕事をすればいい。余計な事はしない。そういう時代なのかな。ちょっと寂しい気もするけれど。
でも結局、特別なエモーションを引き起こす起爆剤を持っていたのもイタリアだった。データには表せない武器、それが
マテ兄貴とガットゥーゾだ。
さて、ついでに今大会のしょっぱさを更に高めた「ダイヴ」や「シュミレーション」の多さについて。
正直いって、フットボールにその行為自体は「有り」だと思う。そもそも正義とは何か、そんな事は定義出来ない。選手それぞれに「ルールを利用した」行為がある。
だからこそ、ファウル行為も選手のセンスが問われると思う(同時にレフリーのセンスも)。南米の選手の多くはそのセンスに秀でている。そしてそれなりの覚悟と代償も引き受ける。でもロンやロッベンのしょっぱいシュミは、例えレフリーに認められたとてファンのブーイングや失笑を買うだけだ。共感は得られない。ファンがそれを見極めるのだ。
ルートも「ルールを利用する」のにやぶさかではない(一流のFWは大抵そうだ)。以前「ゴール前でいつも汚れ仕事に身体を張るのはキツくないか?」と聞かれた時、「それが心配だとでも?」と笑って机を叩くおまじないをした後「DFとの駆け引き、怪我をしないようにする本能、それは
シックスセンス のおかげ」と話していた。シックスセンスがあるか否か、選手にはそれが重要だ。
要するに反則行為がフットボールを汚す、のではなく、金の力や大国の都合によってその基準が変わるのが問題なのだ。ピッチ上で起こるカオスは、それが人間のエモーションによるものである限り、私はそれを許容する。でもファンを蔑ろにした、ビジネスや大国の都合に左右されるのは勘弁して欲しい。個人的にはそういう事である。
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試合後ちまちまと映像を見返しながら描いてきた「TV桟敷画報」もやっと終わります。期間中利き手がだるくなりつつ、夏風邪をひきつつ、もっと描きたいシーンはあるのだけど時間がない!ので描ききれず、ボツにしたものもありました。あえてゴールシーンやスーパープレイよりも、どうでもいいようなディティールを描き留めたつもりです。読んで下さって有難うございました。皆さんのW杯の思い出の隙間を埋めるイラストであれば幸いです。
(記&絵/minaco.)