(記/なるほ堂)
満男が鹿島に入る前から、僕は鹿島ファンだった。だってジーコが神だもの。
だからもし満男が鹿を去っても、何ら変わりなく鹿と鹿選手たちを応援し、その勝敗に一喜一憂するはず、と思ってた。
でも今の鹿の試合を見ていると、何よりもその喪失感に苛まれてしまう。
鹿を応援していない訳では無い。愛情は変わらない。でも、心に空いた穴のせいで、今までの様にただただ無心に声援を送れない自分が居る。もしかしたらあの頃の柳沢のファンも同じだったのかな? 聞いてみたいもの。そしてそこから抜け出したきっかけも。
今のところは多分、その「きっかけ」はメッシーナのユニフォームを着てプレイする満男を見る事だと思う。minacoも銀河帝国でプレイするルートを観てからは、ユナイテッドのゲームをリラックスして観ているようだ。
でも、、、満男の出番は無し。前節の「いいアピール」も甲斐無し。しかも、放送も、、、無し。
“これ以上、何をアピールすれば、出場は許されるの?
どれほどスカパーを待ったならば もういちど満男に会える?
One more time...記憶に足を取られて
One more chance...心の「向かうべき先」が選べない”
そんな思いのままで、鹿の試合を観ていると、悲しい。
“いつでも捜しているよ ピッチに満男の姿を...
鹿島のホーム DF裏のスペース こんなとこに居るはずもないのに...”
満男の居なくなった鹿島の強さ、それもまた切ない。
本当なら
“奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい 新しい鹿 これからの鹿 言えなかった「10冠」という言葉も”
と唄いたいよ。
でも、、、切なくて唄えない。誰よりも「10冠」にこだわっていた満男が、そこには居ない。
切なさに加えて、辛さも覚える。
今の鹿の好調は同時に、長くサッカーを見過ぎたせいで変に目が肥えてしまっている僕(自意識過剰、ご容赦)には、「満男の不在」こそがその要因って判ってしまうから。いや、内心判っていた辛い事実を眼前で示されたというべきか。
鹿の勝利が嬉しくないわけじゃない。でもその度に、ここ最近の鹿島が停滞していた原因の「答え」を、僕は受け入れなくちゃならない。(決して満男が悪いのでは無く、その存在の大きさが時にチームの足かせになっていた)
ユナイテッドもカントナが去った翌年にトレブル(三冠)を達成したけど、あの時と同じ。
今はただ一日でも早く、満男のプレイする姿を観る事。それだけが治療薬。
願いがもしも叶うなら 今すぐシチリアの街へ。
それまでは満男の影を探すだけ。
──白龍の街 桜山通り こんなとこに居るはずもないのに。