(記&絵/minaco.)
テリー・ギリアム版「不思議の国のアリス」かと思って観たら、ヤラレた・・・。
観終わって何だかグッタリするんである。自分に自信が持てなくなる。そもそも持ってないけど。ギリアムの負のパワーにアテられてしまったんだろうか。
幼い少女ジュライザ・ローズ(今流行りのブライス人形に何となく似ている)は、今日もヤク中のパパ(=『ビッグ・リボウスキ』再び!のJ.ブリッジス)とママ(J.テイリー怖っ)の元でそれなりに元気に暮らしている。パパが「短い休暇」に出ると言えば、せっせと注射器を準備してトリップするのを優しく見守り、ベッドでママの脚を揉んでやる。でもママはオーバードーズでポックリあの世逝き。パパに連れられおばあちゃんのいるはずの土地へ引っ越すけど、そこは朽ちた家以外何にもない草原。そのうちパパも動かなくなっていた。
頭だけのバービー人形を友達にして1人遊びをするローズちゃん。そんな経験なら私にも思い当たる。前半のローズちゃんは、少女映画の健気なヒロインだ。だが、そこへ近所の住人である黒ずくめの魔女とその奇妙な弟が介入してくるにつれて、何となく妙な気分になってくる。
少女を取り巻く大人達は皆、異常だ。草原以外見えないこの土地も異常だ。マトモな人間は最後の最後にしか出てこない。
アリスが3月ウサギを追いかけ穴に落ちる所から不思議な国は始まるが、ローズちゃんの居る世界はそもそもが不自然である。
それは何故か。最後のシーンで気付く。異常なのはどっちなのか。狂った世界とマトモであるはずの世界が反転する。「不思議の国のアリス」というより、私は
『12モンキーズ』を思う。タイムトラベル囚人B.ウィリスが辿るメビウスの輪。表が裏で裏が表。ラストで弟の名を呼び探す魔女が白っぽい服を着ていた気がするのだが。
少女の空想世界、というドリーミーな世界観はまやかしだ。この寓話は恐ろしい。
ローズちゃんはウサギの穴に落ちたまま、帰って来ない。酷すぎる現実から逃避していると、そのまま戻って来られませんよ、と言われた気がする。
だから自信がない。あっち側を見ている自分が果たしてこっち側にいるのか、それは幻想なのか。境界線(タイドランド)はあるのか。
多分、映画の解釈としては正しくないと思う。でも私にはあっち側を描き続けるギリアムの自虐を含めて、マトモじゃない(かもしれない)自分の悪夢を見たような気になってしまうのだ。