(記/minaco.)
先日、東京へ行って参りました。
暖かい。こちらとは風の冷たさが違う。ウン十年ぶりに裏原宿、竹下通りを歩きましたよ。ファッションは変われど、日本のファンシーとヤンキー文化を担う場所である事には変わらないのですな。胸に「萌え」と縦書きされたTシャツ姿の外国人男子とすれ違ったけど、それはあまりに予定調和すぎるのではありますまいか(仕込みかと思っちゃうよ)。脱力。
所用が済んだ後、せっかくだから何か見てこようと思って、立ち寄ったのが東京都庭園美術館。
前日にネットで催し物など探したら、ここでやってる展覧会にガチの匂いを感じ、引き寄せられたのです。原宿から行きやすかったし、東京で静かに庭園を散策するのも春らしくていいかなと。
70歳頃から絵を描き始めたというアルフレッド・ウォリス氏(1855 -1942) の作品展、
『だれも知らなかったアルフレッド・ウォリス〜ある絵描きの物語〜。
コーンウォルに住み、漁夫や様々な仕事を経験し、年老いて妻に先立たれ、絵筆を取ったら、その絵が偶然著名な画家の目に留まり、いきなり画壇デビュウ、というお伽話のようなお方です。
以前どこかで「私のおばあちゃんの絵」というサイトを見たことがあるんですが、70を過ぎた素人の描く絵はインパクトあります。ある意味、目に映る世界が違う訳だし、人に見られる事を前提にしてない場合も多い。擬似老化体験みたいな、ショッキングな世界でもある。中には美術の知識がないのに関わらず、天才じゃないか!と思える素人もいる。
ウォリス爺さんもそんな1人なんでしょう。正直、絵描きのくせに私にも美術の素養がないので、巧い下手は解りません。子供の絵みたい、と言ってしまえばそれまでかもしれないし、熊谷守一に通じるものもあるかもしれません。
実物を見て気付くのは、その絵が段ボール紙というか、その辺にある厚紙の裏(何かが入ってた箱のフタみたいな)に描かれてる事。端はぞんざいにちぎられ、平気で折り目や指紋が付いてる。キャンバスもあるけど、釘が堂々と絵に出たまま。他にも家にあった壷や木箱、余白があれば手当たり次第って感じ。
日頃の暮らしぶりが伝わります。実はそのリアルな生活感の方が興味深かったのです。
題材は殆どがかつて乗り込んだ漁船か、コーンウォルのご近所風景。70を過ぎると、モノがシンプルに見えてくるのかもしれません。コレが帆船、コレが灯台、コレが漁師、コレが港、コレが神・・・。技術も遠近法も関係ないです。勿論、その色使いや構図は見る人が見れば「凄い」のでしょうが、そんな事はおそらく問題じゃありません。
見えるのはやはり、ウォレス爺さんの暮らしぶりなのです。
帆船の傾き加減によって解る波の大きさ。船を飲み込む海の天候。そこにあるのは爺さんの体験であり、思い出日記を見るようなものです。
どうにも私には絵として評価するよりも、「ああ大変な思いだったんだねえ」とか、「コーンウォルってそんな町なんだねえ」とか、爺さんの昔話を聞いた気分にしかなれないのです。
それで充分だとも思います。
爺さんが彼を見出した画家と交流した際の書簡も展示されてたんですが、便箋の罫いっぱいに大きな文字で(スペルミスも多いみたい)
「80過ぎてこの年で、先日自転車に轢かれました。悲しかたです」
なんて書かれてる日にゃ、もう絵なんてどうでもいい気がしましたよ。この手紙を見れただけで充分。
ウォレス爺さんのお墓には、爺さんが度々モチーフにしてた灯台へと入ってゆく後姿が、かのバーナード・リーチ氏によって刻まれています。
こうして市井の平凡な(しかし純然たる生活者の)爺さんが、はるばる日本にまで紹介される画家になった訳です。そこにイイも悪いもないでしょう。
ところで、東京都庭園美術館は歴史あるアールデコ様式の洋館であり、その庭園にも期待してました。実際に入ってみると、盛岡にある最も古い洋館、旧石井県令私邸と基本的には同じ造り。盛岡のは明治20年頃の建築で、保存状態はえらい違いですが、屋根裏部屋や地下室(ボロボロだけど)に入れた旧石井県令私邸の方が面白かった。
そして庭園も(季節が中途半端だったのかもしれないけど)、同じく近所の南昌荘の庭園を大きくしてヌコ(豹か)のオブジェを置いたくらいに思えてしまいました。うーん、ミもフタもなくてすいません。