(記&絵/minaco.)
50年後、太陽が失われつつある未来。人類最後の希望と核爆弾をを背負って、太陽へ向かった宇宙船イカロス2号7人の乗組員・・・というお話は、まるで『宇宙戦艦ヤマト』か『さよならジュピター』を思わせるんだった。
乗組員のうち3人がアジア系という設定が珍しい(ついでに宇宙にて中華を箸で食べるシーンも、この映画が初めてかと思う)。
けど真田広之は主演じゃありませんから。さりげなく日本版ポスターでは、真田広之がキャストのド真ん中に立ってるけど。予告編でもナレーションしてるけど(本当はキリアン)。まー大胆。
確かに彼は堂々船長である。しかし『たそがれ清兵衛』を観てキャスティングしたというだけあって、英語は流暢だったけど、やっぱり真田広之はサムライとしてたそがれてたような(単に「たそがれ→太陽」という連想なのかしらん)。そんな感じで、乗組員のキャラは何となくそれぞれの国民性イメージを反映してた気がする。アメリカ人、任務遂行にかけてはガチ。
ヤマトなら地球にコスモクリーナーを持ち帰らねば意味がないけど、イカロス号は帰る事よりとにかく太陽に目一杯近付く事が使命となってゆく。「行き」だけで「帰り」は二の次。
名前の通り、太陽に手を伸ばそうとして神の怒りを買い、燃え尽きてしまうイカロスの翼をモチーフにしてるのだろうけど、とりあえず難しい話は置いておく。
単純に言えば、太陽はとにかく熱い。映画では超熱い、超凍える、の危機が交互に襲う。もうちょっとセーフティに行こうよ!と乗組員たちの任務遂行ぶりには思うのだが、そもそも人類を背負うには皆頼りない風貌だ。
キリアンはアイリッシュ・ブルーの暗い瞳がSFに似合う。こんな人と宇宙の閉鎖空間で一緒に居たくないものだ。てっきりそんな展開かと思ったら、瞳孔開いてヒーヒーうろたえまくりのキリアンが可笑しい。
ともかく、前半と後半で評価が分かれる映画ではある。私は中盤、行方不明のイカロス1号とドッキングした辺りで挟まれるサブリミナル映像(?)がかなり怖かった。クライマックスの映像の揺らぎは訳わかんなくて面白かったけど。
古今の宇宙船映画を彷彿させつつ、結局コレは新しいのか古いのか、トンデモ映画なのか、ま、いっかーとエンドロールが流れ始めた時、すべてが腑に落ちた。
全然違った映画だけど、『アルマゲドン』のエンド・ロールを思い出した。ジャッキー・チェンのエンド・ロールも頭をよぎった(まさか)。エンド・ロールが美味しい、
”オマケ付き映画”。またも新ジャンル発見か。
哀歌、と書いてエレジー。
SFと思うから釈然としないのであって、ダニー・ボイルは旅路の哀れを撮ってたんじゃないかと結局思う。何度も乗組員の陽気な集合スナップを挟んだのも、それを象徴するためかと。
死体を見つけて右往左往(『シャロウ・グレイブ 』)、ハイになって右往左往(『トレインスポッティング』)、金持ちを誘拐して右往左往(『普通じゃない』)、楽園のビーチを見つけて右往左往(『ザ・ビーチ』)、ゾンビに追いかけられて右往左往(『28日後…』)、大金拾って右往左往(『ミリオンズ』)。ダニー・ボイルの映画は、どれも何となく不条理な状況に追い込まれ、人間が試されるお話だ。
神がどうこうといっても『2001年宇宙の旅』程インテリジェンスは感じない。
ツブシの効かない(一応地球ではその分野のエキスパートだけど)乗組員達。
ミッションはつらいよ、孤独だよ。ぶっつけ本番だし、こんな任務は荷が重すぎるよ。あーしようがない、もう行くとこまで行っちゃえ。
…ああ、英国特有の悲哀よ(と、言って良いものか)。宇宙残酷物語よ。
そんな気分が最後に染みた。という訳で、「乗組員の皆さん、ご苦労様でした」って感じ(ミもフタもない)。
それとも、ひょっとしてこれもサブリミナル効果のせいだろうか?