(記/minaco.)
新ウェンブリーの屋根の高さは、ショーン・ライト・フィリップス× 80.1人分なんだそうな。
この日はシュマイケル、デニス・ロー、デニス・ワイズやデサイーなど両クラブのレジェンドも駆け付け、ラーションも招待されていたはず(姿が見られなくて残念)。
蔵前国技館から移った新両国国技館での初の賜杯を受けたのは千代の富士だったけど、ユナイテッドは新ウェンブリー初代FAカップ王者とはいかなかった。
残念ながら、フットボールでチェルシーに及ばなかった。どちらが勝ってもおかしくはなかったものの、ユナイテッドの方が疲弊してたし、戦術的にも余裕がなかった。
ギグスの無理矢理押し込んだボールは確かにラインを割ってるように見えたけど、アレはファウルでしょうなあ。スミシー、おシェイ、オーレの奇跡要員も不発。
ルーたんには課題が一杯だけど、一人前になるのはあと数年後だと思ってるので仕方ない。4バックスとスコールズはよく頑張ってくれました。お疲れさま。
リオ姐さんは泣かなかった。ロンも泣きベソかくのを堪えた(みたい)。
シーズンを負けて終わるのは寂しいものですが、まあ何たってリーグタイトルに勝るものなし!ですワ。
ところで、愛犬を守る為逮捕されたモウリーニョ。この人はやはり、大きなモノに対して抵抗したいのだな、と妙に納得した。
大きな権力、権威に対しての反骨心がモチベーションである、という、ギミックなのか本心なのか解らないけど、少なくともそういうアングルを望んでるようだ。
審判や相手ビッグクラブに対する憎まれ口と、味方をとことん守ろうとするパフォーマンスは、つまり「敵は大きい、我々は小さい。だが我々は決して屈しない!」とのアジテーションかと。
フットボールのスタイルまで小さいのは、敵をより大きく見せたいが為でもあるんじゃないかとすら思える。徹底してる。油モビッチももはや格好の「巨敵」だ。
ユナイテッドは世界的人気クラブだが、その分アンチも相当多い。ファーギーも各方面に敵がいるし、冷酷で非情だと恨みも買っている。
でも悪魔は愛されたいとは思わない。勝ちたいだけだ。
ファーギーの鉄火面に比べ、モウリーニョの場合「我々は小さい」という自虐的前提で同情やシンパシーを集められるのは確かだ。だが今季、チェルシーに翳りが見えた時、叩かれるより愛されるというのは、ヒールの末期を見るようで忍びない。
延長戦に臨む前に選手と円陣を組む姿は、美しくもあり、いじらしくもあり、そして弱々しくも見えるんである。
一体何がモウリーニョをそういうアングルにさせるのか。コンプレックスなのか、愛とファミリーへの憧れなのか、さっぱり解らないけど。
同じポルトガル人のロンは、リアル・ヒールに転向したおかげで大胆に成長した。モウリーニョのギミックはどこへ向かって収拾されるんだろう。
思えば03/04CLでポルトと対戦した時、スコールズのゴールがオフサイドでなければ、今頃フットボールの歴史は違っていたはずだ(断言)。
この年ポルトが優勝しなければモウリーニョがチェルシーに招かれる事もなかっただろうし、すると今のチェルシーもなかった事になる。イタリア人による華はあるけど勝てないチェルシーのままだったかもしれないし、逆にエンターテイメントな銀河系になってたかもしれない。その他モロモロ、すべての勢力図が違ってくる。
まさかあのスコールズのオフサイドが歴史を変えるとは・・・・何と因果な。
いやいや、「たられば」は禁句ですけどね。溜息。