我が家のお気に入り&要重点巡回ブログ、mercedesさんによる
『Mercedes's Diary』に“男の子の憧れ”というタイトルで映画『セント オブ ウーマン』の話題が出ています。
僕もminacoも好きな作品なんで、ちょっと触れようかと---。
タチの悪いナナメ読み映画ファンな僕が最初に本作を見た時、実は一番気に止まったのはクリス・オドネルの同級生役、
パタリロ似の金持ちデブ君でした。クライマックスのパチーノ説法にひとしきり泣いたあと、minacoに、
「こういうマヌケな役を、手を抜かずしっかりと、なおかつ自然に演じられる俳優がいるのがハリウッドの凄いところだよな〜。ギャグ一歩手前のマヌケで留めてるこの無名の俳優さん、多分この役を与えられてからアホっぽい目線の流し方とかを凄く訓練したんだろうね」
なーんて言ってたのを思い出します。今考えると、偉そうでハズカシイな。
その後、このデブ君がフィリップ・シーモア・ホフマンという俳優と知り、しかもみるみる出世しちゃったんでビックリ&嬉しかったですね。やっぱり、上にいく人はココロザシが違うんだな〜。
さて、この作品でのダンスシーンとパチーノ説法の素晴らしさは誰もが触れているんで、僕的なツボとして触れたいのは最後の運転手とのやり取り。本当はこの別れの場面ってセオリー的(?)にはパチーノとクリス以外には物語に入ってきてはいけないはずなのに、敢えて第三者の運転手(この人の立ち姿がキレイなんだわ)の言葉を織り込むところが上手いなあーと感心した記憶があります。うろ覚えだけど。 やっぱりいい映画には、いい役者+いい台詞はもちろんですが、さりげない脇役のエッセンスが不可欠です。
他にも、この映画には見事な演出が沢山あるのですが、総じて言えるのは、
「パチーノの“喋り芸”に対して、“顔芸”で返している」という点。
他キャストがパチーノ喋りの土俵に乗らず、言われっぱなしながら“いい表情”で受け返すので、結果パチーノに殺される事無く、またパチーノも一層引き立つ。この動と静のバランス演出が出来てない映画でのパチーノって、余計むきになっちゃうから映画が壊れちゃうんですよね。 (そういうヤンチャな所もまた見物なんですが・・・)
ほら、
パチーノって悪く言えば共演者クラッシャーじゃ無いですか。特に野心的な若手と組んだ時って「生ハンカな役者は目立たせんぞ。喰うぞ!」って感じな。
そう、 例えるなら高田純次。あの人も段取り無視で、落とし所も考えずに人をけむに捲くような事言って周りをオロオロさせる困った人。そういえば顔もそっくりだ。
こういうパチーノのような役者は、ハナから「お好きにどうぞ。誰も刃向かいませんから」って感じで使うのが一番---だからこそ、ややもすればも鼻持ちならない彼の暴れん坊演技を、しっかりと“静のオーラ”で包んでいるこの作品が、皆の心に残る名作となったのでは?なーんて思ってます。
『セント オブ ウーマン』をもう何度も見たという方も、よろしかったら今度はパチーノだけでは無く、その後方や挿入的に映る
“その喋りを聞かされている役者の表情”なんかも追ってみては? 受けの演技の見本だと思いますよ。
PS/ホームページに『アビエーター』のシネマスケッチをアップしました。興味ある方はどうぞ。
(絵/minaco・記/なるほ堂)