イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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2010年 10月 11日 ( 2 )
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小◯ 桜山問題によせて(後編)
(記/なるほ堂)

【前編より続く】

3-1

さて、一昨日この桜山問題に動きがあった。

『勘定所構想を後押し? 盛岡市が市民アンケート公表』

盛岡市内丸の桜山神社参道地区に勘定所などの復元構想が持ち上がっている問題で、市は8日、同地区の将来像について7月に行った市民アンケート結果を公表した。「新しい商店街として改装すべき」との回答が52・4%と半数を超え、現状維持を望む声は約40%と市構想を後押しするような結果。13日に予定する地元関係者との会合を前にした突然の公表に、地元からは「意図的な誘導だ」と反発も出ている。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/09 岩手日報】

市民の声という桜山商店街維持存続派の「後ろ盾」を挫くべく、何やら謀った感のある盛岡市役所。そのアンケート結果の正当性に対する評価は後述するとして、先ずはこの「岩手日報の数字のミスリード」に言及したい。

一体、この数字の何処が、日報の言う「勘定所構想を後押し?」「市構想を後押しするような結果」なのか。リンク先の記事の後段にも、

ただ、「改装」を選んだ人への「自分が考える商店街は」との問い(複数回答)では、「城跡周辺にふさわしい統一感のある街並み」が77・2%と圧倒的。今回の市構想のような「歴史的建物がある商店街」(32・7%)、「土産の販売所がある商店街」(23・5%)は少なかった。

とある。

つまり今回の市構想に対しては、複数回答内にてそれぞれ「17・1%(52・4×32・7%)「12・3%(52・4×23・5%)の支持があるだけであり、「現状維持」を求めた約40%の意見には全く及ばない。これを以て「市構想を後押し」というのは、全く出鱈目である。

もしや例の「さんさ数式」宜しく、私には見えない100万人が「市構想を後押しする側」に加算されているのだろうか。それとも、穿った見方ではあるが、

「土塁・勘定所云々は単なる名目。市構想とは『とにかく現桜山商店街を撤去改装したい』というのが本音であり、改装支持が維持を上回ったので、市構想は支持されたと看做す」

というのが、岩手日報の言わんとする所なのだろうか。

それはあまりにも、市の「本心」を汲み取り過ぎではないか。


3-2

岩手日報には、このような記事もある。

『盛岡市長「土産販売機能を」 桜山勘定所構想』

盛岡市の谷藤裕明市長は5日の定例会見で、同市内丸の桜山神社参道地区の勘定所復元構想について「(来年7月にできる)歴史文化館には飲食部門がないので、盛岡の土産販売や飲食など、近場で団体客に対応できる機能を持たせたい」と新施設と連動した整備案を示した。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/06 岩手日報】


私が思うに、斯くも岩手日報が「数字のミスリード」、即ち、あたかも「市構想を後押しするような市民アンケートの結果」が存在するかの様に装ってまで役所側に立ち、よしんば「勘定所構想を後押し」したいのならば、いっそこの桜山商店街の真隣にあって、同じく旧盛岡城の史跡上に建つ建物、つまり「岩手日報社の社屋」の下層階を市に譲り渡し、そこを市長念願の「土産販売所、団体客向け飲食所」として貰っては如何か。夕刊も無くなった事だし。

なんならば現社屋を完全撤去し、そこに勘定所を再現するのもありだ。多少位置は違うが、平成元年の街路事業による道路拡幅に伴って、「彦御蔵(ひこおくら)を盛岡城跡南側石垣下の現在地に、約100mほど移転させた前例もある。

で、その後は盛岡市役所の広報課に机でも借りて、ついでに「岩手広報」と名を変えたらどうか。今以上にあうんの呼吸で、「市役所が発信したい情報」をお伝え出来るに違いない。


3-3

話戻って、今回市が前倒し的に公表した市民アンケート結果について。

一見すると改装案への支持が上回っている風に映るアンケート結果ではある。だがこの中では、例えば一応は改装を支持し乍らも、しかし「土産販売所風な商店街になるなら、むしろ現状維持を」と考える層すら、「先ずは何にせよ改装ありき」的な、あたかも「現状維持派」に対立する「改装推進派」へと換算されている。

この問題にて比較検討するべきは、個々の将来的なビジョンである。決して「現状維持か、新規改装か」ではないのだ。

また、市公園みどり課の今野孝一課長は、これを「地元関係者以外の市民全体の意見」と胸を張るが、そもそも市は「民意の抽出」について、如何に捉えているのか。

例えば選挙に於いては、先ずは候補者各自のビジョン提示が有りきであり、それを受けた民の投票を経て、初めてそこで「民意」と認められる数字が得られる。しかし今回のアンケートでは、「現状維持」を除いた選択肢の示す「桜山商店街の将来ビジョン」は、一様に曖昧ではないか。

例とすれば、「現状維持」と同じく約40%(52・4×77・2%)の支持を得たとされる「新しい商店街として改装すべき→城跡周辺にふさわしい統一感のある街並み」も、果たして実際にどのような商店街を想定したものか、恐らくそう答えた人たちとて意見が分かれるところだろう。

つまり、このアンケートから「市民の望む桜山商店街の将来ビジョン」が具体的に何であるかを汲み取るのは不可能であり、敢えてここから抽出し得る「市民全体の意見」があるとすれば、即ちこのアンケート内にて唯一明白な選択肢である「現状維持」を支持した市民が、その約40%を占めたという、ただその一点である。


3-4

そもそも、「一つの商店街」の在り方を考える場面にも関わらず、改装案の詳細意見を求める段にて「複数回答可能」な選択肢を用意するというのは、甚だお粗末というものだ。

また、この桜山問題への市民の関心も認識も薄い時期に行われたアンケートを、あたかも「この問題に対する民意」と評価しようとしても、そこには一片の説得力すら存在しない。

現盛岡市政には、アンケートを弄しての「前科」がある。

2006年、市民にとっては降って湧いたような「岩手公園の名称変更問題(その後に「愛称設定」へと後退)」の最中、市は「盛岡城跡公園」と「盛岡お城跡公園」の二者択一アンケートを行い、結果前者を賛成多数として採用した。

現実はこの100年間親しまれてきた名称、宮澤賢治の作品名にも存在する「岩手公園」の存続を支持する声こそが多かったにも関わらず。

トリック的に「数字の建前」を得ようと目論んだ所で、しかしそれは所詮トリックである。

我々にはそれに惑わされぬ目と頭がある。



─────────────────────────────


4-1

さて、締めが近づいたに当たり、この「桜山問題」のもう一つの側面について。

暫らくお仕事第一と筆を休めてきた自分が、この長文に取り組んでしまった理由を省みれば、端的に申せば現市政のやり口に対する反感と、南部藩に虫ケラの如く扱われてきた先祖に由来する、一種の怨念が主であったと思う。

だがその一方、現在市井のあちこちより零れ聞こえる「桜山商店街の現状維持を求める意見」を丸々肯定するにも、いささか逡巡の念を覚えるのも事実だ。

戦後、言わば地権者(桜山神社)や盛岡市による特別な配慮で、「やがて将来的には明け渡す」という「条件付き」の下に存在を許されてきた桜山商店街である。果たしてそこに、この一等地にて、いつまでも現状のままで存続を求める「大義」はあるのだろうか。

実際これまでも市は、桜山商店街の永続的に営業可能な場所への転地を検討してきた。ややもすれば今回の「史跡整備計画」も、それは県や国から予算を引き出す為の「名目」こそが主で、その予算を以て市の全面的支援の下、桜山商店街の移転再構築を図るのが根底やも知れぬ。かつての契約がある以上、それはそれで一種の大義とも言えよう。

だが、例え「大義」を抜きにしても、しかし「正義」はこちらにある。

価値ある町並みは残さねばならない。多くの市民が憩い、心の拠り所とし、また既に多くの来盛者を呼び込む魅力を発信している、この活気あるストリートは守らねばならない。盛岡市民のソウルフード発祥地を消滅せしめる事は、即ち盛岡人としての魂を消滅せしめる事なのだ。

桜山商店街を残す事は、即ち「正義」である。

一方、それを破壊する事は「悪」である。

訴求力に疑問符ばかりの観光開発など、悪に他ならない。既にこの問題は全国に伝播し、強引かつ暗愚な盛岡市政、更には観光地盛岡自体への「幻滅」という、逆のマイナス効果ばかりを生んでいる現実もある。

失うのは観光客ばかりではない。現在の盛岡の姿を愛する定住者、この盛岡の素晴らしさを伝えようと日々努める観光ボランティアたち、そんな街の魅力に惹かれた移住希望者、じゃじゃ麺の味忘れ難く盆暮れ問わず帰省する元盛岡市民、更には多くのふるさと納税者を失う事──それは即ち、「悪」である。

4-2

最後に。

もしも僕らが、この桜山商店街を失ってしまった時、それでも僕らは「この街が好き、この街が好き、We Love Morioka♪」とタラリラを歌えるだろうか。

僕は歌えない。それは「小◯(=困る)」。

桜山商店街は、今の姿であるが故に愛されている──それは既に地元に留まらず、広く知られつつある事実。だが、基本的に盛岡市民は盛岡市のガイドブックを読まない。レトロとカオスが同居し、地元民のみならず多くの日本人の郷愁を誘う桜山商店街への評価は、まだ深く知られているとは言い難い。

だからこそ、更なるアピールが必要だ。殊に、決して少なくない「城跡周辺にふさわしい統一感のある街並みに、新しく改装」という市民意見に対して。

今、固く拳を握り、その振り下ろす場所を探す同輩よ。今、必要なのは「怒り」では無く、「覚悟」だ。三閉伊一揆を勝利に導いたのは、苛政者への怒りでは無く、彼らの覚悟であった。

「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」
(畠山太助/第二次南部三閉伊一揆指導者)

そして、綿密な作戦も。三閉伊一揆の参加者たちは、やたら外聞を気にする南部藩の性質を見抜いて、仙台藩に越境して強訴した。現市政がそんな虚栄の伝承者たちならば、先ずは「情報」を越境させ、全国に広く訴えることこそが効果的だろう。周囲を白けさせるようなパフォーマンスなどいらないのだ。

また、時期外れの市民アンケート結果を持ち出して、「数字の建前」を弄する役所には、署名という「真の数字」を突きつける事も意義がある。

更には、ただ「マインド」を訴えるだけでは無く、具体的な「メリット」を提示する事も必要だろう。地権者、盛岡市が、現在の契約形態を将来的にも維持する事に意義を感じる様なメリット。

今現在でも、実際にどれ位の人々、観光客、ついでに市役所職員が、この桜山商店街に足を運んでいるのか。また、いつかここを訪れたいと感じている人たちが、全国にどれほど居るのか。

更に、将来的な潜在性も含めて、雇用や税収など、どれだけの「経済効果」を桜山商店街が有しているのか。市としてそれでも物足りないと言うならば、今後桜山商店街は一律に、厨房機具を「橋一」で購入すると宣言してやるも良し……案外それが一番効くかもしれん。

─────────────────────────────

「またいつか白龍──桜山で」

大志を抱いて盛岡を離れた人たちの残した言葉。ソウルフード発祥地は、そのまま盛岡人の魂の故郷である。例えいつか我々が地上を去っても、魂の住処、魂の故郷がそこであり続ける事は変わらない。またいつか、桜山で。

今ならば未だ間に合う。
僕らにはまだ、帰れる所があるんだ。

桜山商店街。
そこは変えるべき場所ではない。

帰るべき場所である。



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by tototitta | 2010-10-11 18:12 | 日々日常 | ▲ TOP
小◯ 桜山問題によせて(前編)
(記/なるほ堂)

「俺たちは殿様の私有物ではない」
──切牛弥五兵衛(一揆指導者)

1-1


「小◯」と書いて、「困る」と読む。

弘化四年(1847年)、南部藩政の改革を訴え、この岩手の地で起こった我が国最大級の一揆にして、日本近世史上唯一の「勝利の証文」を得た「南部三閉伊(さんへい)一揆」の参加者たちが掲げた「筵(むしろ)旗」に記した文字である。

計133回──江戸時代に於ける一揆最多藩として名を残す南部藩。その原因を当地ならではの冷害・凶作に求め、一揆を以て「飢饉に窮した百姓らによる暴動」と一重に括る向きもあるが、それは些か見当が違う。

南部藩政下270年を通じて断続的に起こった飢饉と一揆、それらは時期としてリンクせず、そもそも古文書や絵図を一目すれば瞭然だが、餓死者が累々とする凄惨な飢饉下の農村に一揆を起こす余力など無い。飢饉を舐めちゃあいけない。

殊に、参加者1万6千人余の約半数を以て仙台藩に越境、強訴するという高度な戦略性、組織性を持った「南部三閉伊一揆」に於いては、その参加者は農民だけに留まらなかった。またその要求も、

「度重なる御用金や臨時税の撤廃、多すぎる役人の減員」
「三閉伊を幕府直轄地か、さもなくば仙台領に」


などといった、これは極めて政治的な「領主否定の市民革命」だったのである。


1-2

領民たちが命を賭して蜂起した背景、その根源には南部藩代々の苛政者による、長年の放漫財政にあった。

幕閣有力者への多額の付け届け(東北の雄・伊達への対抗心に由来する官位叙任工作)に始まり、1808年には「元・支族」と見下していた津軽氏の所領、隣接する弘前藩が「南部と同格の10万石に御加増」と聞くや、自領内の実収入を全く度外視して、南部藩は不相応にも石高20万石の大名へと「高直り」を断行。

その結果、藩の対外的な格式、例えば藩主が将軍に謁見する際の「控えの間」のランクなどは格上げされたが、当然その分の幕府への御用金や労役負担(参勤交代や蝦夷地出兵など)も「二倍増」となり、相変わらずの凶作続きによる不安定な年貢収入と、それに対して場当たり的に大量発行された藩札「七福神札」に拠るインフレも相まり、江戸末期に於いて南部藩の財政は破産寸前にまで追いやられた。

そんな「失政」のツケを払わされたのが、彼ら領民であった。

南部家の「見栄」に由来する負債を賄うため、彼らに課せられた重税、新税や御用金……連年の凶作対策も、これといって藩より為されぬがままに。


1-3

そもそも、その飢饉にしても藩の失政が招いた「人災」では無かったか。如何に米本位制の江戸時代とは言え、南部領は当時の「水稲北限地域外」である。にも関わらず、

「左様なる僻地が領地たる事は面目ならん」

とばかりに地域性を無視し、全国一律の水稲生産などを強制すれば、さすれば連年の凶作は自明であろう。

詰まる所、「コンプレックス」なのである。

京や江戸の文化に憧れる一方で、

「(辺境の蝦夷地である)御国を汚土の如くお嫌い遊ばれた」

という南部の殿様の劣等感。

だからこそ内を見ずして、内にある独自性やその価値を鑑みること無くして、ただただ他所様並み、他所様風にと「外っ面」を虚飾し、そのツケ払いを領民に強いてきたのだ。

そんな南部藩の亡霊が、再び現れた。

『市が勘定所の復元構想 昭和風情醸す盛岡・桜山地区』

昭和の風情を残す盛岡市内丸の桜山神社参道地区で、城跡のシンボルだった土塁や勘定所などの復元構想が持ち上がっている。市は策定を進めている史跡盛岡城跡保存管理計画に構想を盛り込む方針を表明。藩制時代の中心地区をアピールし、観光振興につなげることが目的だ。しかし、同地区は飲食店を中心に約100の店舗が立ち並んでおり、復元が実現すると、立ち退きを余儀なくされる店も出てくる。

……以下、リンク先を参照

【2010/10/03 岩手日報】

戦後より続くレトロな町並み、盛岡市民のソウルフードとしても名高い「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)発祥の店『白龍(パイロン)』擁する「桜山商店街」に、立ち退きを含む「再開発」を行い、拠りにもよって、かつての南部藩による数々の悪政の発信地であった「勘定所」を復元するという市の構想である。


─────────────────────────────


2-1

住民目線、住民の生活を蔑ろにし、観光振興、即ち「中央目線からの評価」ばかりを上げたがる現市政の様に、私はかつての南部藩主たちの姿を見る。

それは今回の「桜山問題」にて始まった話では無い。

先の「岩山漆芸美術館」問題では、ヨン様云々に踊らされ、結果副市長が引責辞任するに至った。

ボート数のギネス記録大会へと肥大化した「北上川ボート下り大会」は今夏、前日の大雨によるダム放水の最中に決行され、結果その安全管理体制が転覆事故に対処出来ず、途中にて中止となった(市はあくまで原因を悪天候とし、参加費は返還せず)

かの「さんさ踊りパレード」に至っては、10年近く前から主催者・盛岡さんさ踊り実行委員会が、独自の計算式にて、ねぶたや七夕など東北の他の祭りに負けない客数を「捻出」している行為を、市は是認している。

一部サンプルエリアで数えた人数を会場面積で均した数字の上に、何故か「開催中に4回人が入れ替わった」と看做して「4倍」し、更には主会場の隣接する地域にも「4割の人が訪れた」と上積みし、その結果、2008年度の「さんさ踊り」には「116万人」の人出があったと発表された。不測の事態に備え、正確を期して算出された県警発表の「16万人」との差は、なんと「100万人」だ。

よしんば観光振興を是としても、この様な現市政の姿勢、観光振興目的の為ともなれば容易に後先見失う体質を鑑みれば、彼らはその舵取り役には不適格と言わざるを得ない。


2-2

そもそも市が目論む観光案内所、土塁や勘定所の再現(といっても、間取りくらいしか資料が残存していない)等による観光客への訴求効果など、一体どれほどのものだろうか。

今や全国的にも希少なレトロな町並みである桜山商店街は、その魅力から多くの若き商店主らが集い、大いに活気に溢れ、また「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」発祥地として内外にも広く知られており、既に盛岡の観光資産として確固たる地位を得ている。例え「さんさ数式」を用いて100万人を加算せずとも、その集客効果は決して小さくないだろう。

それを潰してまで断行するほど、「盛岡城址の観光整備」に価値はあるのか?

しかも、今年7月の史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会より提出された保存管理基準案(※盛岡タイムス記事参照)の一文、

「史跡整備や活用に関する現状変更の許可」

を根拠とし乍ら、しかしその前にはっきり明記された、

「(桜山参道地区には)戦後に形成された商店街が存立しており、長期的に保存と活用を進める必要がある」

という箇所を無視すると言う、阿漕な真似までして。

今回の保存管理基準案では、ようやく商店の内装、外壁、配管の改修、改築が可能になるはずであった。しかしそれを以て役所曰く、

「じゃあ、この商店街自体をきれいさっぱり掃除しましょう」

では、今まで穏便を以て表現を抑えてきたが、こう書くより他に無い──正に外道


2-3

そもそも盛岡市の観光の中心に、旧支配者である南部藩の象徴・盛岡城址を据える事自体に、私は疑問を呈さずには居られない。

家督争いで藩分割を招き、愛人との痴話喧嘩で幕府に遅参して処分され、リストラする家臣選定の際は「目隠し」をして名簿に墨を入れるなど、醜聞ばかりに事欠かぬ南部藩には、現在誰一人として「名君」として顕彰される者は無いだろう。

飢饉下での恵みの鮭も、対外的な特産品として藩が独占。贅沢だから庶民は蕎麦禁止。盛岡に遊廓を建てちゃうぞ。地元の大関も、些細な事で処刑しちゃうぞ。辻斬りだってしちゃうぞ。冷害で米が取れない? それなら京伝来の南部鉄瓶で茶の湯をたしなめばいいじゃない──などといった、一部に巷間伝承含み乍らも、幾多の悪評に塗れた南部藩を復古する様な盛岡城址整備計画など、観光振興としても、現盛岡市民の在り方としても、凡そ「的外れ」と感ずる。

「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし十五の心」

かつて、盛岡城址にてそう詠んだ啄木。盗んだバイクで走り出した尾崎豊の先達である。十五の夜。私は無理のある観光地化よりもむしろ、その様に、

「授業をサボって寝転んでも、誰に見咎められる事無き静謐な場所」

として先人たちに愛されてきた盛岡城址・岩手公園を、そのまま現状で後世に残す事こそが正しい在り方と思うのだが、如何だろうか。


2-4

さりとて、当方としては斯様な「当たり前の感覚」を、決して共有出来ないであろう階層がこの盛岡に存在する事は理解している。例えば、「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」という現市政の方向性を後押ししている盛岡商工会議所。

盛岡の商業の特性は、南部藩政時代に創業してその庇護を受けた商家が、一部に業務形態を替え乍らも、現在まで脈々と存続しているという点にある。某大型デパート、某南部鉄器店、某文房具屋、某薬局など諸々である。彼らにとっては、盛岡城はあくまで「かつての主君、お殿様の居城」なのだろう。

その立ち位置を否定はしない。270年に渡る一揆と飢饉の波を乗り越えて、代々続いてきた百姓の血脈に生まれた自分とは、歴史観が違って当然だろう。

だが、敢えて一言申したい。

盛岡商工会議所は、現在NHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』の続編誘致運動を展開している。「じゃじゃ麺(≠ジャージャー麺)」に豚バラ肉という「暴挙」に及ぶなど、決して出来のいいドラマでは無かったが、しかしかのドラマは、時流に乗って「取って付けた様な観光開発」にノーを唱え、歴史ある「古き良きもの」を大切に残そうという老舗旅館若女将の物語では無かったか? 

その続編誘致が単に「観光客誘致のアイテム」としてではなく、真摯にドラマの意に呼応した運動ならば、商工会の推す「盛岡城址を観光の中心に据えた町づくり」を名目として、「60年もほぼそのままに続くレトロ商店街」という、正しく「古き良きもの」の破壊を目論む現市政、その代わりに観光案内所や団体客向け大型飲食施設の建設や、土塁や勘定所の想像に基づく再現といった「歪んだ観光開発」を推進する現市政に、ノーを突きつけねば嘘になる。

商工会諸君らは、今一度考えるべき時である。現在の己らの姿が、『どんど晴れ』に於いて旅館乗っ取り屋の片棒を担がされたボンクラ坊ちゃん経営者「伸一さん」に重なっていないかと。

そして、気付かねばならぬ。今こそ「古き良きもの」を守る為に、立ち上がるべき時であることを。それこそが『続・どんど晴れ』なのだ。作り話では無い現実のドラマ──俳優では無く、盛岡市民である自分たちが主人公、出演者となって。


【後編に続く】

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by tototitta | 2010-10-11 18:08 | 日々日常 | ▲ TOP
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