イラストレーターMinacoとなるほ堂が、サッカーのこととか、映画のこととか、日々日常に関して、その情熱の総てを地球にぶちこんで叩き付け、戦い挑み、愛を説く日々の記録。
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<   2007年 03月 ( 15 )   > この月の画像一覧
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『どんど晴れ』、始まります。
(記/なるほ堂)

いよいよ2日から始まります、NHK朝ドラ『どんど晴れ』

岩手・盛岡を舞台とした連続ドラマとしては『花王愛の劇場 花さくらんぼ』(S59年・TBS)以来でしょうか。当時の東北新幹線ブームに乗ったかのような『花さくらんぼ』、「上ノ橋」を抜けると何故かすぐ「高松の池」に着くという市内地理の豪快な無視っぷり(笑)に、主演の坂上味和、三ツ木清隆両氏の「結婚→離婚」という話題も相まって、県民には思い出深い作品でした。(古すぎ…)

『どんど晴れ』は、一体どういう作品になるのでしょう?
大まかなストーリーは、
“都会・横浜で育ったヒロインが、婚約者の実家である岩手の老舗旅館で孤軍奮闘しながら、女将として成長していく様子が描かれる・・・”(wikipediaより)

とのこと。(更に詳しくは公式頁 を参照下さい。『登場人物』をクリックするとキャストがご覧いただけます。)


ですが、、、
正直申しまして、現時点での一県民市民としての思いを列挙いたしますと、以下になります──
あんな「老舗旅館」は盛岡には無い!

▼だから、「女将奮闘記」とか、急に「女将になります!」と言われても、「一体、何処の話?」って感じ。

▼そんな馴染み無い設定ゆえ、主人公の境遇に感情移入が出来るか疑問。

▼南部鉄器職人に名優・長門裕之を起用するならば、主人公はむしろ「女将」よりも鉄器職人を目指せばいいのに。(実際、著名な女性職人も居るし)

▼主人公が「座敷わらし」と間違われる他、殊更「岩手=民話の故郷」として描かれるが、座敷わらしは県北「二戸市金田一」、河童は勿論「遠野市」。それら地区と歴史文化を異にする盛岡を舞台にするならば、そのような「民話」の引用は相応しくない。
(マドリッドでガウディの話を持ち出す様なもの)

▼そもそも、実際盛岡に住んでて「座敷わらし」なんて見た事無いし、「河童」は確かに実在するが、それを見るのも遠野高校サッカー部が来盛の折だけだし!

▼キャストに名を連ねる木野花、あき竹城、鈴木正幸、ダニエル・カール。彼らは東北人ではあるが岩手人では無い。「同じ東北だから…」的に、一緒くたにされての配役ならば嬉しくない。(映画『SAYURI』にて、ハリウッドが「同じアジア人」ってことでチャン・ツィイーに演じさせた事に通じる違和感)

▼ダニエル・カールは「岩手大学講師」役とのことだが、むしろ「高松の池」畔のモルモン教自転車軍団によく居る気がする。(失礼御容赦〜)

▼ともあれ、彼らがちゃんと東北弁ではない「盛岡弁」を喋るか、監視せねば!

で、新沼謙治は出ないの? 

▼ともかく、一人くらい岩手県出身俳優を使え!(隠しキャラ、行方不明設定で配役未発表の「婚約者の父」役に期待。新沼謙治OK、千昌夫NG)

▼作中に喫茶店「イーハトーブ」が登場するが、その名前。ベタさは兎も角、「イーハトーブ」名称が好んで用いられるのは賢治の故郷・花巻に於いてのイメージ(除/マッハランド内釣具店)。盛岡ならば「モーリオ」が相応しいかと。既にあるけど。(「クラムボン」でもいいが、それも実際あるからダメか)

森昌子イラネ。NHKの思惑がイヤらしい。岩手県民が一番嫌うタイプの気がする。

▼無理矢理の韓流スター、リュ・シオン投入も同様。ぴょんぴょん舍のピョンさん役ならいいのに(...違うか)。

▼横浜の家族、弟役の神木隆之助君は盛岡に来ないのか!

盛商サッカー部は出ないのか? 齋藤先生は?

実際、主人公の様な八頭身美人が盛岡に居たら大変だ。目立って仕様がないし、僕が放っておかない。

▼もう発表されちゃった次回作、貫地谷しほり主演の「ちりとてちん」の方が面白そうだ。

──云々。

相変わらずヒネくれた物の見方(ネタ含む)しか出来ない僕からすると、多少(?)の不安がありますね。多くのケアレスミス。拭えない不自然さ。冒頭に挙げた「花王愛の劇場 花さくらんぼ」の香りがプンプンしますね──間違った形で「伝説のドラマ」になりやしないか、と。


勿論、賢明にリサーチした所で在住ウン十年の者からしたら「甘い」とされても仕方ない事であり、それを省みずに重箱の隅を突いても、むしろ恥ずべきはこちら側なのですが、しかし聞いた所では、
「NHK朝ドラの舞台としては、岩手は全都道府県で最後に残った二つの内の一つ」
とか。
故に、上記の疑問(=「老舗旅館」という舞台は盛岡らしくない。端々に浮かぶ安直でステレオタイプな岩手観など)も併せて、
「元からあった筋書きを、強引に岩手に当て嵌めただけなのでは?」
という疑念が拭えませぬ。
「場所とエピソードを適当に借りただけ」感、「取って付けた」感とでも申しましょうか。

勿論、
「半年間雪に覆われ・・・」「プロレスが盛んで、普通にマスクマンが街を歩いている」「毎日わんこそばを食べている」「冬でも冷麺を食べる」「親は給食費を払わない」「高校球児はみんな“栄養費”を貰っている」級の誤解(含む、時事ネタ)が、現時点で見受けられないのは救いですが、いずれにせよ“ガイドブックから切り取った岩手、盛岡”・・・ですらない気も。

どうしても「女将設定」を用いたいのならば、「旅館」ではなく「料亭」に置き換えるべきだったでしょう。「盛岡芸者」も未だ若干健在の様に、盛岡…殊に八幡町界隈は古くは料亭文化が盛んだった街です。実際にあった、誇るべき伝統を設定として取り上げてもらえば、盛岡人としては大いに喜んだことでしょう。さもなくば、女性騎手とか。県知事、泣いて喜ぶぞ。

また「座敷わらし」は、やはり無しにしましょう。不自然すぎます。。。
岩手はかくも広い県土であり、その方々に独自の地域性があります。座敷わらしは二戸(金田一)、宮沢賢治は花巻、民話は遠野。一緒くたにされては困ります。表面的には穏やか乍ら「舐めんなよ」的反骨心が強い岩手県民としては、その適当さには腹が立ちます。
盛岡には盛岡に由来する文化があります。代わりに三ツ石神社の鬼とか、使えないもんですかね。


文句ばかり言っても何なので、期待できそうな点を。
▼主人公の相手役、内田朝陽が正に盛岡人顔! 小笠原満男に通じる端正な面持ち、こういう顔した人、多いです。(ちなみに僕は違いますが)

▼Minacoは知人の盛岡人Oさんを「主人公に似ている」と。そ、そ、それはどうかと思うが、いわゆる「岩手の美人顔」として、「顔立ち的」には馴染み易いかも。

▼鈴木蘭々顔(ハーフ風)も結構居ます。(僕の家系はこっちの方)

▼番宣で流れたロケ風景には、家のすぐ近くの某清水(ここで汲んだ水を毎日飲んでます)など、馴染みの場所が映ってる!

どうも舞台となる「加賀美屋旅館」の場所設定が、我が家の辺りの様な気がする

▼喫茶店が重要な場所になりそうだが、確かに盛岡は「喫茶店文化」が根強い。流行りのチェーン店よりも、こだわりのコーヒーを出す個人経営店が愛されており、確かに吹越満のようなマスターも居る

▼NHKも不安を自覚しているのか、主題歌に人気歌手の小田和正を起用。曲タイトルも「ダイジョウブ」と、そこにNHK局員の自身に語りかける様な、一縷の願いが伺われる。危機感はあるようだ
(でも、新沼謙治『嫁に来ないか』でいいじゃないか。どうしてNHKはケンちゃんに冷たいの? 紅白もお見限りだし…/県民総涙)



ともあれ、
大筋は既に仕方ありませんが、どうかもう少し盛岡に即したプロットをストーリーに織り交ぜて下さる事を期待をして止みません。現時点では、かなり「温度差」を感じます。我々は、県外の人が「だいたいのイメージ」で作った設定に拠る「岩手・盛岡」が、全国に発信されるのを良しとはしません。

田舎者根性丸出しで申し訳ありませんが、期待を込めつつも、しかし、
「東京者がドヤドヤと来て、美味しい事を言い乍ら、ゴチャゴチャかき回して帰っていく」
──そういう岩手県民が最も嫌うようなやり方、作品になるのは勘弁願いたいです。
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by tototitta | 2007-03-31 21:44 | 日々日常 | ▲ TOP
プロレス脳ですいません
(記/minaco.)

自転車ロードレースは未だシロウトですが、パリ~ニースを観てました。
第3ステージ、下りで単独逃げ切ったコロブネフが勝利。後からそれを知らないボーネンが、集団のトップでガッツポーズ!しながらゴールイン・・・というトホホなシーンが。「ボーネン、ああ勘違い」の巻。こういうネタにも事欠かない(?)から、自転車レースは愉しいんだワ(邪道)。

後日、解説のクリリンこと栗村氏がこの件に触れ、「ガッツポーズ」論を展開していたのがまた面白い。曰く、以前五輪で三つ巴になった選手達がそれぞれガッツポーズでゴールしてきた事があったけど、アレはアマチュアですね、との事。プロのガッツポーズには意味がある、重みが違う、とガッツポーズ評論家ならではの見識を拝聴した。いい話だなあ。それはストライカーがゴールした時のガッツポーズにも言えると思うよ。

我が家では、クリリンは自転車レースを「プロレス脳」で語る、と見た(ゴメンナサイ)。そんなクリリンがナイス。
「プロレス脳」とは、=プロレス・ヲタクという意味では決してない。なるほ堂はともかく、私は断じてプヲタではない(!!)。だが、我が家では何事もとりあえずプロレス脳で語るのが常。
単純に言えば、物事を測るのはプロレス的度量で、「おいしいネタ」か「食えないネタ」かって事なんである。

フットボールを観ててもそうだ。
ガビーがサイドラインで敵と競り合い、派手に転がるのを観れば、「今のはいいバンプ*だねえ」と喜ぶ。(後注*参照)
ロッベンがドリブルで中に切れ込むものの、所詮左足だけ、見事にDFに読まれその場に転がされるのを観れば、「同じムーブしか出来ない、しょっぱい奴だこと」とニヤニヤする。
マテ兄貴がお馴染みの掴み合い、エルボー攻撃を見せれば、「黄金ムーブ**キター」と盛り上がる。単に汚いだけじゃない、彼は相手を選ばないし、そのムーブは完成された芸だから(プロレスには凶器攻撃だってアリだ)。

何事にもプロレスがある。その匂いを嗅ぎつけ、愉しみ、咀嚼する「プロレス脳」があれば、マグマだってシオだって、ミミズだってオケラだってアメンボだって♪皆、味わいになる。
杓子定規に捉われるより、豊かな発想ではないか。ロマンがあるしね。

暴論なのは承知ですが、思えば司馬遼太郎もプロレス脳の持ち主ではないか。
時代小説でも、まるで見た来たような嘘を書く。その想象力と思い込みと筆力には脱帽だ。
「街道をゆく」シリーズの「オランダ紀行」&「愛蘭土紀行」は、正にガチの世界2大生産地を巡る「ガチ紀行」だった。わざわざ欧州まで行って物事を拡大解釈しつつ語る(しかも同じ話を何度も)シバリョー節に、ガチスト魂炸裂。いや、ミイラ捕りがミイラに、ガチストがガチになる始末。プロレス脳的発想のなせる業かと思う。

要するに「プロレス脳」とは、”プロレス的に置き換えて見る事により、尺度を変え、愛を込めて自らストーリーを無限に拡大し愉しむ、センス・オブ・ユーモアのひとつ”と思ってもらえればいい。
このブログもそんな見方で書いていけたらいいな、と思うガチストであります。


~注~
 *バンプ = 相手の技を受けてみせる動き。受身も攻めも、観客に解りやすく伝える動き。リック・フレアーのバンプはレジェンド。
 ** ムーブ = 技のルーティンを様式美に高めた攻防の応酬。引き出しの多さや間合いの取り方など、対戦する両者の力量をこれによって計るのが通。
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by tototitta | 2007-03-27 23:11 | 小ネタ | ▲ TOP
世界フィギュア〜安藤美姫とマリー・アントワネット
(記/なるほ堂)

昨夜のエキシビジョン。
「(また絢香)来たか…」は兎も角、安藤美姫選手

鳴り止まぬ観客のアンコールに応える際、先ず行ったのが四方への礼。その堂々とした頭を垂れる様に、思わず零れた言葉──
「マリー・アントワネット…」

威厳溢れる氷上の彼女に、かつて王宮のバルコニーにて暴徒の前に立ったマリー・アントワネットを見た。
「お菓子を食べればいいじゃない──」
そんな無邪気さゆえに大衆の怒りを買った少女が、フランス女王になった瞬間。
そして、
「五輪を楽しめました──」
という言葉他沢山で反感を買った少女が、しかし一年後、銀盤の女王になった瞬間。
演技以上に、凄いものを観た。

あまりに飾られた環境が「持たざる者たち」の不満を生み、そのスケープゴートにされ、云われなき風評にも晒された自身の境遇。しかし、それに怒るでも無く、抗うでも無く、示したのは凛とした強さ
シチュエーションは違えども、その“礼”の神々しさに心奪われた。

++++++

誰が一番だったかはさておき、女王に“相応しかった”のは安藤だけ──
終わってみれば、やはりそう思った。真央、ヨナ、キミーには無く、しかし安藤には人を惹き付けて止まないものがあった。
ボイン? 尻?……いやいやそれは置いといて(失礼)、やはり挫折と、そしてそこから這い上がろうとする姿。

近年、ここまでドン底を味わった選手は居なかっただろう。どの競技に於いても。
トリノ五輪を目前とした時期、不調に陥るやいなや吹き始めた逆風──それは、メディアや協会による過剰プッシュの「裏返し」だったと思う。確かにあれはウザかった。ちなみに、今の真央プッシュはあれ以上にアレだが。
(真央自体は…言及を避けるが、他人の飼い犬なんて可愛いなんて思わないだろう、普通。)

でも、
ならば責められるべきは彼女を「道具」や「玩具」にしていた周囲の大人のはず。
当の選手、しかも未だ10代の女の子を責めるなんてお門違いでしょ。
風評こそが情報だったフランス革命当時のパリなら兎も角。

にも関わらず、よくもまあ人を叩く為のアイディアは枯れないもんですな。
怪我を隠せば「嘘つき」の声、公表すれば「言い訳」との言葉。
果てには、「飛ぶ飛ぶ詐欺」とか。(純粋に語呂はオモロイけど)

++++++

夢や目標、自身のこだわりを口にして、それをメディアに「公約」の様に伝えられ、果たせなかったら「詐欺師」呼ばわりなんて……それじゃあスポーツ選手はみ〜んな詐欺師ですよ。
鹿島なんて、もう何年も十冠詐欺ですよ...涙。

体調管理が出来ない、自覚が足りない──そんな声も。
故障の影響(痛み止めの副作用)とか、殊に安藤の場合は見るからに急激な骨格の変化とか、
人それぞれに置かれた状況が違うにも関わらず、そんなことはお構い無し。

肉体だけじゃない。「世界一」「視聴率」「広告塔」「アイドル」という4つの使命、四重苦を同時に背負わされるという、未だほんの子供乍ら、過去に類を見ない周囲からの異常なプレッシャー……それらに拠る「苦しみ」を他者は計る事など出来ないはずなのに。

スケートファンとしては「村主派(=スグリスト)」の僕も、そんな何でもかんでもな安藤へのバッシングには腹が立った。化粧が安っぽいのは唯一正論だけど、色が黒いのは仕方ないじゃない! 黒いんだもの!

++++++

トリノでの失敗。
それに対する「それ見た事か」の声。そして前述の「楽しめました」発言に対する魔女狩り的な雰囲気。かつての「メダル気違い(©千葉すず)」の伝統後継者、「我々の税金を使っておきながら…」が口癖の「税金廚(とか言うらしい)」も参戦しての、まるで彼女が自殺でもしないと気が済まない勢い。

勿論安藤自身も認める様に「甘さ」はあったと思う。
それに対する「厳しい声」もあって然るべき。
けれど、それを言うのは最低限の思いやりがあってこそ、だ。まだ10代の女の子に、そこまでの責務を強いる事自体の「異常さ」も、併せて考えるべきなはず。

この年代の女の子が心に弱さを持っている事は「当たり前」であって、罪ではない。
アスリートとしての「自覚」など、むしろ無い方が当たり前だ。

巷の子役やアイドル歌手を見てもそう思う。
「甘えてもいい時期」を奪われ、大人たちに「金を産む機械」にされ、その上責任や自覚までを背負わせた子供らを見ると胸が痛む。そんな大人の期待に応えようと、またそれを失うまいと、必死に「大人が望む自分」に人格すら作り替えていく子供たちの痛々しさ。どうせ「使い捨て」にされる運命と悟り乍らも、それに抗う様に。
虐待とも言っていいと思う。

そこから逃げ出したくなる気持ちは当然。
そこで、安藤の様に「人としての弱さ」を晒すのも当然。
海外サッカー界では近年、天才少年らのメディア露出を制限して、その将来を見据えて保護するケースを目にするが、この国にはそういう責任ある行動をとる大人が少なすぎる。

++++++

川で溺れてどうすればいいか判らない子犬。それを助けるでも無く、川に放り捨てた人への批判もそこそこに、当の犬に向かって「今までいい餌食ってた報いだ」「助けて欲しけりゃ、もっと殊勝に弱々しく吠えろ」と言い乍ら石を投げる・・・一体、何なんでしょうね。

勿論、応援を強いる気もないし、同情しろとか、甘やかすべきとも言わない。
道理が通るならば叩くのもアリでしょう、メディアの捏造する「美談」にまんまと踊らされるよりは。だけど、メディアの洗脳に対する「抵抗」として自分を逆洗脳しちゃったら、結局「まんまと踊らされている」事には変わりないんだよ。逆の意味で。

あの「楽しめました」という言葉は、
「無念さや悔しさに押しつぶされまいとする、精一杯の抵抗としての言葉」
に聞こえた。僕には。
例えそれが正しくない過剰な考察としても、少なくともあの時の安藤の表情を見て、彼女が「本当に楽しんでいた」と思える人はどうかしていると思う。表面的な「言葉」だけしか読みとらない人たちって居るんだなあ、と。

いや、
単に「生理的に嫌いなだけ」「その衝動に抗えないだけ」という自身への後ろめたさから「理由付け」を求め、さも正論を装う為に「言葉」に飛びついているだけなのかもしれない。人は感情としての「〜が嫌い」を良しと出来ぬが故に、「〜が悪い」に転化したがる。僕も含めて(…反省)。

けれど例えば世の中には、「何も無い春♪」という歌詞にすら、
「襟裳岬の春には何も無んだ」
と思う人もいるらしいしなぁ。判らん。。。

ともあれ、
そんな逆境を経て迎えた、この大会だったわけだ。
某所の「嫌いなスポーツ選手(女子部門)」では第一位。
梯子を掛けた協会から、強化指定選手も一旦は外さた。
大会スポンサーはTOYOTAじゃなくて日産。
提供のネスレも、応援しているのは真央だけ。
(「ネスレは浅田真央選手“を”応援しています」って提供ナレーションはイヤらしすぎるだろ)

だけど、安藤は勝った。

++++++

安藤は逃げなかった。
誰も彼女を潰せなかった。
非情な批判者たちに気恥ずかしさを与えるほどの、俗人には及ばぬ立派な佇まいを以て。

モロゾフは後述するとして、先ず語るべきは荒川静香
安藤をマリー・アントワネットに例えるならば、荒川はマリア・テレジア。女帝にして、アントワネットの母。彼女は安藤にもう一度立ち上がる勇気と、強化指定選手の座(自身の引退と引き換えに)、そしてモロゾフコーチを与えてくれた。

荒川が安藤に手を差し伸べた理由、それはそこが自分も通って来た道だからこそ、とも思う。
彼女も長野五輪の後はどん底だった。しかし、彼女の美しさはトリノまでの道程に於いて、世俗におもねる事無く常に凛としていた。

この大会は女王の座を継ぐセレモニーだったのかもしれない。
断頭台の上の如きこの世界フィギュアにて、安藤は荒川を継ぐ者として相応しく、選ばれし者のみが持つ品格を決して失わなかった。かつてアントワネットがマリア・テレジアの娘として、そうであったように。
ならば我らは平伏すのみ。安藤美姫は、美しい姫から美しい女王へ。
女王の座は見事に継承された。


続いてヨナ
フィギュアファンとしては、やはり彼女のスケートの美しさにこそ惚れ惚れする。二回転んでも、その分は僕が芸術点を上げるからなんとかならないか。ダメか。
日本の金メダルを願う皆様には申し訳ないけど、勿論僕もその一人だけど、でも今回の中では一番好きな選手。
しかも僕とは晴れて腰痛メイツ同士。どうか僕の様にゴートゥヘル(ヘルニアになる)前に、養生して下さい。

++++++

で、モロゾフ
そのがめつく点を取りにくる(様に見える)プログラムは実はあまり好きじゃないのだけれど、その人を活かす力には脱帽。昨今巷にはカウンセラーや占い師が溢れて居るけど、本物は違うなあ。

あの4回転回避も「安全策」としてではなかったらしい。
むしろ安藤を「一つのジャンプ」ではなく「演目全般」に集中させることで、結果より高得点を狙う為だったとか。唸る事しきり。
けれど、何より賞賛すべきは、失意の中に居た安藤をその気にさせた手腕こそ。
名前からして甘いモロゾフが発した、その魔法の言葉は「ミキはセクシー」とか。
やるなあ。一度も使った事は無いが試してみるかなあ。

思えばアテネ前、心も体格も変化した安藤に、しかし延々と同じイメージで踊らせ続けた事にこそ、あの失敗の原因があったと思う。代表選考レースに出遅れ、一発逆転に賭けざるを得なかった荒川が、結果そこで自分の演技を見つめ直す時間を得たのとは対照的。

勿論安藤には冒険に踏み切れない理由もあり、それをミスとは言わないが、夢見る頃を過ぎても「夢見る元気な女の子」を演じても、伝わってくるのは痛々しさだけ。今のモーニング娘。みたいなものだ。良く知らないけど。

ともあれ、今の彼女に相応しい演目を与えたモロゾフに感謝。
それに習って、モーニング娘。も別のプロデューサーに変えてやればいいのに。良く知らないけど。

++++++

最後に。
今回の安藤の復活、それを『灰かぶり姫(シンデレラ)』に例える事も出来る。
名前も「姫」だし、彼女に灰を投げつけた敵役にも事欠かないし。
悲劇的なアントワネットよりも、例えるならばこっちの方が相応しいのかもしれない。
王子様の詮索は止すとして。

けれど、今の安藤の滑りを魔法に例えるのは相応しくないだろう。
やっぱり『エースをねらえ』の方がいいか。リンクでは誰でも一人、一人きり。
狙うべきエースとは四回転ジャンプ。
肩を脱臼した選手に「GO!」と叫んだ鬼コーチ・モロゾフが宗方コーチ。
荒川静香がお蝶夫人。
藤堂さんは…止しましょう。

それに、中野も村主も挑戦しているシンデレラを、安藤が叶えちゃったとするのは気が引ける。
まるで二人が「ガラスの靴を履くのは私よ」としゃしゃり出た、悪いお姉さんみたいだし。

安藤の偉業を讃えつつも、しかし今僕は「一スグリスト」として、村主の『シンデレラ』をもう一度見たい。この大会だって、せめてエキシビジョンでも、、、どこからかあの「スグリ玉」を手にした彼女が乱入しないかと思っていた人は少なくないはず。
(…いや、僕だけか)

そんな思いを抱き乍ら、来期を待つ。
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by tototitta | 2007-03-27 00:10 | Other Sports | ▲ TOP
東京でウォリス爺さんの絵を見る
(記/minaco.)

先日、東京へ行って参りました。
暖かい。こちらとは風の冷たさが違う。ウン十年ぶりに裏原宿、竹下通りを歩きましたよ。ファッションは変われど、日本のファンシーとヤンキー文化を担う場所である事には変わらないのですな。胸に「萌え」と縦書きされたTシャツ姿の外国人男子とすれ違ったけど、それはあまりに予定調和すぎるのではありますまいか(仕込みかと思っちゃうよ)。脱力。

所用が済んだ後、せっかくだから何か見てこようと思って、立ち寄ったのが東京都庭園美術館。
前日にネットで催し物など探したら、ここでやってる展覧会にガチの匂いを感じ、引き寄せられたのです。原宿から行きやすかったし、東京で静かに庭園を散策するのも春らしくていいかなと。

70歳頃から絵を描き始めたというアルフレッド・ウォリス氏(1855 -1942) の作品展、 『だれも知らなかったアルフレッド・ウォリス〜ある絵描きの物語〜。

コーンウォルに住み、漁夫や様々な仕事を経験し、年老いて妻に先立たれ、絵筆を取ったら、その絵が偶然著名な画家の目に留まり、いきなり画壇デビュウ、というお伽話のようなお方です。

以前どこかで「私のおばあちゃんの絵」というサイトを見たことがあるんですが、70を過ぎた素人の描く絵はインパクトあります。ある意味、目に映る世界が違う訳だし、人に見られる事を前提にしてない場合も多い。擬似老化体験みたいな、ショッキングな世界でもある。中には美術の知識がないのに関わらず、天才じゃないか!と思える素人もいる。
ウォリス爺さんもそんな1人なんでしょう。正直、絵描きのくせに私にも美術の素養がないので、巧い下手は解りません。子供の絵みたい、と言ってしまえばそれまでかもしれないし、熊谷守一に通じるものもあるかもしれません。

実物を見て気付くのは、その絵が段ボール紙というか、その辺にある厚紙の裏(何かが入ってた箱のフタみたいな)に描かれてる事。端はぞんざいにちぎられ、平気で折り目や指紋が付いてる。キャンバスもあるけど、釘が堂々と絵に出たまま。他にも家にあった壷や木箱、余白があれば手当たり次第って感じ。
日頃の暮らしぶりが伝わります。実はそのリアルな生活感の方が興味深かったのです。

題材は殆どがかつて乗り込んだ漁船か、コーンウォルのご近所風景。70を過ぎると、モノがシンプルに見えてくるのかもしれません。コレが帆船、コレが灯台、コレが漁師、コレが港、コレが神・・・。技術も遠近法も関係ないです。勿論、その色使いや構図は見る人が見れば「凄い」のでしょうが、そんな事はおそらく問題じゃありません。
見えるのはやはり、ウォレス爺さんの暮らしぶりなのです。
帆船の傾き加減によって解る波の大きさ。船を飲み込む海の天候。そこにあるのは爺さんの体験であり、思い出日記を見るようなものです。
どうにも私には絵として評価するよりも、「ああ大変な思いだったんだねえ」とか、「コーンウォルってそんな町なんだねえ」とか、爺さんの昔話を聞いた気分にしかなれないのです。
それで充分だとも思います。

爺さんが彼を見出した画家と交流した際の書簡も展示されてたんですが、便箋の罫いっぱいに大きな文字で(スペルミスも多いみたい)
「80過ぎてこの年で、先日自転車に轢かれました。悲しかたです」
なんて書かれてる日にゃ、もう絵なんてどうでもいい気がしましたよ。この手紙を見れただけで充分。

ウォレス爺さんのお墓には、爺さんが度々モチーフにしてた灯台へと入ってゆく後姿が、かのバーナード・リーチ氏によって刻まれています。
こうして市井の平凡な(しかし純然たる生活者の)爺さんが、はるばる日本にまで紹介される画家になった訳です。そこにイイも悪いもないでしょう。


ところで、東京都庭園美術館は歴史あるアールデコ様式の洋館であり、その庭園にも期待してました。実際に入ってみると、盛岡にある最も古い洋館、旧石井県令私邸と基本的には同じ造り。盛岡のは明治20年頃の建築で、保存状態はえらい違いですが、屋根裏部屋や地下室(ボロボロだけど)に入れた旧石井県令私邸の方が面白かった。
そして庭園も(季節が中途半端だったのかもしれないけど)、同じく近所の南昌荘の庭園を大きくしてヌコ(豹か)のオブジェを置いたくらいに思えてしまいました。うーん、ミもフタもなくてすいません。
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by tototitta | 2007-03-22 22:22 | 日々日常 | ▲ TOP
パフューム~ある人殺しの物語~
(記&絵/minaco.)
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ファンタジーじゃなくて、奇想譚というものが好きだ。
原作は未読なのだが、これはよく出来た奇想譚だなあ。それを映画化するなんざ、随分な野心作だなあ、とまず思う。何しろ目には見えない「匂い」を映像化しようとしてるんだもの。

超人的な嗅覚を持つ(だが自身は体臭を持たない)主人公グルヌイユ。物語は匂いに摂り憑かれた匂いガチが、やがて禁断の世界へと進み、破滅するまでの悲劇、とでも言えばいいのかな。香水ガチ一代。

例えばトリップ映像みたいにCGか何かで匂いを安易にイメージ化する、というやり方はしなかった(1シーンを除いて)。
じゃあどうする?といえば、匂いの発生源と身体器官の反応を執拗にクローズアップする、という方法。あまりにクンクンするので、観てる方もつい「ど、どんな匂いよ?」と身を乗り出したくなってしまう。
そういえば昔、「匂い付き映画」*ってあったけど、確か3D眼鏡みたいに劇場で配られるシートをいちいちこすりながら観なきゃない、という仕組みだった記憶が。大変だったでしょうなあ。
(*追記/ 思い出した。J.ウォータースの『ポリエステル』だ!)

正直、私自身は鼻が利く方じゃない。鈍感な方だと思う。子供の頃は慢性鼻炎だったし。花や香水売り場の匂いも苦手な方だ。
だから超人とはいえ、こういう感覚って想像がつかない。どうやって嗅ぎ分けるの?美しい女性はもともとイイ匂いなの?犬の嗅覚とどっちがスゴイの?と疑問が頭を駆け巡る。
全世界がひれ伏す禁断の匂いとは、一体どんな匂いなのか。誰にも解らないけど、要するにフェロモンとどう違うのかしらん。
こんな風に悩み惑わされるという事は、正に映画の思うツボなのかな。

ところで、この時代パリは悪臭の都、というのはよく聞く話。見事な格差社会でありながら、衛生観念においては貴族も庶民も平等だったのでしょうか。いや、この映画を観ると、やはり匂いにも階級格差があったのかもしれない。グルヌイユが匂いを渇望し、やがてそれが最下層から這い上がってゆく手段にもなる。

花の都と底辺の労働者という世界で、映画は極端な美醜を提示する。掃き溜めのグロい魚市場で生まれたグルヌイユが、ラベンダーの美しい花畑へ辿り着く。途中にある洞窟の世界は、美でも醜でもない分水点であり、彼がリボーンする子宮にも思える。
美が尊ばれる階級社会で、美しく生まれなかった子供が(実際彼の姿は醜い)美を得る為の旅だったのではないか。その最後はまた醜に還るのだけど。

所詮美は無為なものかもしれない。いや美と醜は同義なのだ。話題のあのシーンも、そんな風に見える。
ともあれ凄くヨーロッパ的なお話だから、これをもしスピルバーグやスコセッシが監督してたら(何となくクリスチャン・ベール辺りが主演してそう)どうなってた事か。
無名の主演俳優ベン・ウィショーの顔が良かった。いや、杉本哲太に見えてしょうがなかったとはいえ、それもどこかドニ・ラヴァン的、大道芸人を思わせる顔つきだった。

これは一種のヒロイック・ストーリーでもある。キリスト、スパイダーマン、仮面ライダー、アナキン・スカイウォーカー、そんな超人の受難劇に似ている。超人が辿る普遍的な伝説を、とんでもない奇想譚にしてみせたのが、この物語の面白い所かと思う。


関係ないけど、パリと盛岡って相似性があるよね、と友人と話した事がある。中心を河が流れ、いくつもの橋がある。上の橋はポン・ヌフ橋、文化・芸術とカフェの地区である上の橋周辺はさしずめモンマルトル、ヴェルサイユ宮殿は岩手公園(←強引)、カワトクデパートはル・ボン・マルシェか。先日パリ~ニースを観てたら、タイムトライアルのコースがまるで館坂か青山町辺りに似て見えた。
ならばパリのように、この街で自転車ロードレースがやれたら最高なんだけどなー。
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by tototitta | 2007-03-21 23:16 | 映画 | ▲ TOP
やはりネタクラブ
(記&絵/minaco.)
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やはりボルトンはネタクラブ・・・。完全にカモですな。
試合前からニヤニヤするルーたん。何か良い事でもあったのか。
ラーションが去り、オーレもサハもまだ復帰せず、スミシーもベンチ。この状況でルーたんは1トップ、というか、4‐3‐3いや4‐3‐2‐1なのか。
今までのルーたんは1トップを苦手にしてたように思う。だが、この日はどうだ。出来るじゃないの。気の利いたポスト、的確でワイドで無駄のない動き、落ち着いたシュート。まるで憑き物が落ちたように、堂々たるプレイではないか。

スウェーデンに帰ったはずのラーションだが、実はルーたんの着ぐるみを着たラーションがピッチに居たのかと思った。

この短い間に、ラーションは若い選手に「オトナのたしなみ」を指南した。
例えば、これまでが黒澤明の時代劇的重い刀で斬り合うチャンバラだったとすれば、そこにいきなり眠狂四郎の円月殺法である。ソフィスティケイテッドされた彼とプレイする者は皆、巧く見える。誰にとっても最高のパートナーだった。
但し、「切った張った」のルーたんにそれを望むのは難しい。半可臭い(←方言?)プレイでしばしば自滅するルーたんは、それが魅力でもあるけれど、エースを背負って立つには軽いのよ。

でもこの試合、ボルトンが余りにもユルユルだったとはいえ、ルーたんには常に余裕があった。ご機嫌だった。
試合後、ユニを交換するルーたんの背中に、チャックは付いてない。だとしたら、ついに進歩だ。

ところで、試合前にアネルカと熱く抱擁してたガビーは、右のギャリーが早々に負傷交代したせいもあってか、結構目立ってた。
ディウフとやり合うだけでなく、後半のクロスは美しかった(プレミアのカメラワークはイイね)。ロンには頭で突っ込んで欲しかったなあ。

同じ笑顔といってもカンナヴァロの営業スマイルとは違う。
例えるなら、森でハンターと野ウサギがばったり出会った時、ガビーは獲物に「ほら、走ってお行きなさい」と笑顔を見せ、野ウサギが背中を向けて駆け出した瞬間にズドンと撃ち殺す。
カンナヴァロは野ウサギを見なかった振りをして、そのまま笑顔で銃口を向ける。
パタゴニアとナポリの違いなのかな。ガビーは激しいけどフェアなんである。いつでも1対1でかかってこんかい、と嬉々として受けて立つ。

ダブルしたパク☆チー。彼が怒ったのを観た事がない。京都に居る時から見てきたなるほ堂も同じく。
パク☆チーはサブ選手に相応しいプレイをする。途中投入されても試合の流れを壊さず、感情を出さず、自分のアピールより堅実に忠実に貢献しようとする。分をわきまえず、気の強さが仇となり試合を壊しかねないリッチーに比べたら、何て使い勝手がいいのだろう。でも、そこが正直物足りなくもある。

去年、カーリングカップ優勝直後のロッカールームの映像を思い出す。
シャンパンを振りながら、おシェイやブラウンが標的に向かう。加入したばかりのヴィダはロッカーに張り付いたまま固まり、パク☆チーは手荒いシャンパンシャワーに、ただただ「キャーキャー」と女の子みたいに甲高い悲鳴を上げていた。そんなリアクションのパク☆チーは果たしてこの野郎共の世界でやってゆけるんだろうか、などと心配になったりした。
エヴラ(←仲良しらしい)やリッチーの血の気を分けてやりたい気がする。余計なお世話ですが。

いや、実はパク☆チーが羨ましいのよ。だってルーたんにギグスにリオに、ハグハグされてんのよ。一応アジア人として感情移入すれば、この中でプレイ出来るなんて、夢みたいなんですもの。ルートやエドさんにも随分可愛がられた(パク☆チー行きつけの韓国料理店でキムチ初体験したとか)し、ああジェラシー(って何故ワタシが)。だからこそ、もっともっと、と思ってしまうのね。

最後にスミシー。
今後のチーム事情にもよるが、サブにまわる事が多いだろう。でもそれはスミシーがオーレになる布石なのかもしれない。
スミシーにはこのクラブで現役を全うして欲しい。勝手ながら、第2のオーレになれるのは君だと思う。地道にあきらめないでプレイし続ければ、きっと大舞台で贈り物をもらえるんじゃないかな。
CL決勝で劇的な逆転ゴールを叩き込み、サポから永遠のリスペクトを得るスーパーサブ。
スミシーにもそんな日が来るのかもしれない。
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by tototitta | 2007-03-19 22:48 | Manchester United | ▲ TOP
プリンス、カワユス。
(記&絵/minaco.)
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今年のスーパーボウル、ハーフタイムショウはプリンスだったんですね。あー悔しい、見逃した。
あのマドンナ同様、名前が変わったりしたけど、今はまたプリンスという事でいいんでしょうか。

私にとって空白の期間、彼がどこでどう隠遁してたのかはまるで知らないのですが、ハイ。思い起こせばウン十年前、東京ドーム公演に行きました。
小っさいプリンスを拝みに。ホント、小っさかった・・・。

何故か今頃になって、映画『パープルレイン』を観ました。
'80年代の置き土産ですな。当時のヒット曲満載のアイドル映画の王道ですが、自伝的映画でもあり、関係者が実名のまま出てたり、親父がDVだったりして、これが案外ヘヴィだったりする。
まあ、プリンスはマイケルと違ってダークなアイドルでしたから(←今じゃマイケルこそダーク...)、キャラに忠実なんではあるが。

紫のハーレイを駆る闇王子様(殿下、とお呼びした方がいいのかな)プリンスは、そのナル&ワガママぶりにバンド・メンバーに愛想を尽かされつつ、今夜もステージで悩殺ダンス。
そんな彼も実は、毎夜暴力を振るう落ちぶれた元ミュージシャンの父親と、泣いてばかりの母親の姿に心を痛めてるのでありました。
スターを夢見る美女と恋に落ちるものの、彼女を売り出そうとするライバル・ミュージシャンが現れて、プリンスのバンドをお払い箱にしようと画策します。
誰にも解って貰えない孤独なプリンスは、ついに彼女にキレて親父と同じように手を出す始末。更にその後、親父も拳銃自殺を図るという悲劇。
絶望の底で親父の思いを知ったプリンスは、ステージで彼女の為に「パープルレイン」を歌うのでした・・・。

まるでガッチャマンが普通に「G2号」姿で街を歩くかのように、おなじみ紫のヒラヒラ殿下ファッションで派手なハーレイを乗り回すプリンス。白いマフラーは戦隊ヒーローですか。天才は何をやっても許されるはずですが、バンド内ではヒンシュク買いまくり。
イヤらしい目つきで美女をたぶらかし、舌なめずりでサディズム全開のオレ様ぶりが素敵すぎます。爬虫類的アクションに美女もメロメロ。

でも家に帰ると、ゴシックな部屋で1人音楽に現実逃避するナイーヴ男子。きゅーん。タンクトップから見える胸毛がイイ感じです。美女との身長差をシークレットブーツでカバーしてるのが、また涙ぐましいですね。勿論、愛用ギターはショートスケールの特注です。
台詞の少ないプリンスですが、そのギミックは完璧。当然、ステージアクトが見せ場ですよ。

ここでぶっちゃけますが、私、プリンスはかなり好みなんですね。顔が。
これを言うと多分この先、私のシュミに疑問符がつくのではないかと思いますが(もうついてるか)、好きなんだもん仕様がない。
この映画のプリンス、カワユス。カワユイったらありゃしないです。メロメロ。小っさいけどね。
イヤらしい顔(特に卑猥な口元)が好みです。いや今観ると、キーラン・リチャードソンやラグビー仏代表ドミニシ選手にも似てなくもない・・・か?(リッチーもカワユス)

勿論、曲も声も大好きです。ヌード・ジャケのLP、持っておりました。
現在のお姿をyoutubeで見ましたが、むむう・・・お肌のリフティング??でもやっぱ、ギミックは健在で安心しました。
次は是非、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』も観たいわあ(今更)。
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by tototitta | 2007-03-16 22:31 | 映画 | ▲ TOP
サッカーあれこれ
(記/なるほ堂)

チャンピオンズリーグ、前回王者バルサは敗れ、一方バイエルンはレアルに競り勝った。
そこで思ったこと──、
「大一番に勝つには、ファン・ボメルが必要」
ってこと。認めたくないけれども……。

勝利の為には「清濁併せ呑む」ってことも必要。
ならば、今のサッカー界最大の「濁」であるボメル(断言)は、やはり欠かせない選手なんでしょう。

思えば先のW杯、
オランダ代表は「喧嘩まつり」となったポルトガル戦にてボメルを外し、そして敗れた。指揮官ファン・バステンの失敗は、ルート以上にボメルを外した事にあったのかもしれない。同大会決勝にて、マテラッティの濁流がジダンを飲み込み、アズーリを優勝に導いたのを鑑みても。

このレアル戦でも、姑息にPK妨害。またまたまた……やりやがったファン・ボメル。
幸い「馬耳東風、馬の耳に念仏」とばかりにルートはPKを決め、ボメルは御退場の羽目になったが、この勝利の最大の功労者がボメルである事に変わりはない。

だけど、嫌い。それは変わらない。
バルサには、もう昨年の様な「嬉しいけれど、ちょっぴり何処か引っかかる様な優勝」はいらない。だから、ボメルをバイエルンに放出した事が今季のバルサの敗因だとしても、僕は許す。許せないのは、別の部分なんだよね。もういいけど。

++++++

そんなボメル劇場を見ながら、僕はそこに昔見た風景を重ね合わせていた。
鹿島対磐田、ペナルティアークのゴン中山へ執拗に囁きかけ、PK妨害を謀ったビスマルク。バルサにボメルは要らないが、今の鹿島にはこんな「浅ましいほどの勝利への欲望」が欲しい。選手にもフロントにも。

J2落ちを心配しながらのシーズン──、
開幕前から、そうなるやも……と薄々感じていた。遂に鹿にもこんな時が来たかという感じで。これって初めての経験。(…気が早いかなぁ?)

勿論──、
2戦連続という敗北が そんなにも大きな 敗北とは思わないが
それでもやっぱり 考えてしまう
ああ このけだるさは何だ
(追悼・鈴木ヒロミツ)

ともあれ、今の苦境を避ける方法、、、それは何となく思い当たる。
でもそれをしてしまうと、鹿島の鹿島たる所以が無くなってしまう。そのジレンマが辛い。「個の能力」から「集団の効率」への変化、闘う選手らを去勢するかの様なジャッジ、でもそれに迎合したサッカーなんて鹿島じゃない。

ブラジル人をすげ替えるだけじゃ落ちていく一方、それも判っている。でも、ブラジル直輸入の自由でアグレッシブな攻撃サッカーこそ鹿島アントラーズ。

フラメンゴは、僕にとって今でも特別なクラブだ。
例え往年の面影は無くとも、一番最初に好きになったクラブ。そして今、フラメンゴが名門から転落していった様を眺めていた時と同じ思いで、鹿島を見ている自分に気付く。

これぞブラジルという攻撃的サッカーで、個人の技量にも長け乍ら、しかし勝てないサッカー。長期的ビジョンに欠けた人事と、使えない新戦力。そして何より、捨てきれないジーコへのノスタルジー……それこそが足枷。

例えこのまま、鹿がそのアイデンティティに殉じるのだとしても、僕は付いていく。死に水を取る覚悟はある(鹿ファンの皆様、不吉な事ばかりでごめんなさい)。だけど、僕みたいな偏屈なファンは切り捨てて、現実路線に舵を転換してくれてもいい。もう一度、強い鹿島が甦るのなら。
僕も実際どっちを望んでいるのか判らない。


週末、盛岡は大雪だった。
盛岡商の校庭に出来た記念碑『夢は叶う』を未だ見に行けてない。どうしても、その言葉を受け取りに行かなくちゃ。満男の代わりに。

夢は叶う、その言葉を信じる力が欲しい。
でも、
満男って夢を見るタイプじゃないもんなぁ……。

++++++

閑話休題。
チャンピオンズリーグ、他の試合──

<ミランvsセルティック>
どうみても場違いなセルティック、それに合わせちゃうミランのグダグダ。
アンチェロッティはピッチ上のカカーに「特別な役割」を与える事で、今の苦境から逃れようとしているようだ。組織の中に置くのを止め、自由に。
それは、いつも僕と全く気が合わないアンチェロッティにしては、なかなか理解出来る策だと思うよ。(偉そうですいません)

けれど、セレソンの事を思うと心中複雑。
今のセレソンは組織力を再構築しなくちゃいけない時。そんな中、その鍵となるカカーまでもが「個」に特化した役回りを担わされるのはマイナスだもの。

王様、天才はもう足りている。味方を生かす、仲間の為に献身する選手が欲しい。


<インテルvsバレンシア>
アルヘンがピッチに五人以上いると、かなりの確率で乱闘で試合が終わる……の法則、発動。何故か彼らの乱闘を見るとほのぼのしてしまう。
ところで、バレンシアのシルバには魔族の臭いがするが、どうか。


<アーセナルvsPSV>
敗れたアーセナル。
プレミアでの低迷も含め、やはりホームのピッチが国際標準サイズになったら、こんなものかなあ。「化けの皮がはがれた」とまでは言わないが。

それにしてもベンゲルの、一つの形への「固執っぷり」は凄い。
カヌーの代わりにそっくりさんのアデバヨ〜ル、ベルカンプの代わりに同じオランダ人のペルシィ。この試合じゃヴィエラのそっくりさんも現れた。名前失念。

旧い名作をセルフリメイクしつづけるベンゲル。マンネリと誹られようと、求めるのは過去に作り上げた一つの究極的な理想形のみ……これはもう信念なのだろう。どうせ戦術もワンパターンなのだから、選手もワンパターンでいいのかもしれない。それ自体を悪くは思わないし。

でも、肝心のアンリの「そっくりさん」が見つからない。
周りが新しいキャストに入れ替わる中、替えが効かないアンリだけが老体に鞭を打って出演し続けている姿は痛々しい。かと言って、休まれるとアーセナルじゃなくなるし。

ジャッキー・チェン映画に於ける声優・石丸博也のようなものか。あまりにハマり過ぎちゃって、もう他の人じゃ許されない。今じゃジャッキーのアクション同様にハラハラだ。

類似した例として『ドラえもん』の大山のぶ代。
この場合は全くの別声へ交替した。それが成功だったかは判らない。だが、ベンゲルは『ドラえもん』のやり方を踏まないだろう。全てを転換するのは彼の流儀ではない。

習うのは、やはり山田康夫から栗田貫一にシフトした『ルパン三世』。多少無理があっても、ベンゲルは「そっくりさん」を探すのだ。
何せ、アルセーヌ・ルパン、アルセーヌ・ベンゲルだし。(深い意味無し)


<ユナイテッドvsリール>
厄介な敵を退けたユナイテッド。
代償としてシルベストレを失った。危険なバックパスに加え、スローインをボールを渡されたと勘違いしてキャッチ、相変わらずの「うっかり汁兵衛」ぶりを発揮した彼を欠く事は、今後どう出るか。

ともあれこれで、“贅沢すぎるベンチ要員”エインセの出番。
だが、彼は今のユナイテッドに合っていない様に思う。選手としての能力が「黒満男」ことエブラに劣るとは全く思わないが、相性としては劣る。
昨季と違い、スコールズの戻った今のユナイテッド。インサイドでボールを丁寧に繋げる分、アウトサイドはそれとは別の、思いきりとスピードが必要に思う。エインセは対人守備はアグレッシブだが、攻撃に於いてはショートパスと丁寧さが売りの選手に映る。

加えて、
最近のエインセは、もう一度スタメンを勝ち取るため真摯にプレーに徹している観があり、それが逆にエインセ本来の魅力であるクレイジーさを損ねている様にも。バックアップ選手の姿勢としては正しいが、レギュラーに返り咲いた今、もう一度アルヘン魂を解放して欲しいもの。

さもなくば、いい加減左SBだけ(※ユナイテッドでは)のバックアップ要員なんて、居場所が無くなっちゃう様な。。。

最後にクラシコ
レアルを応援するMinacoの横で見るクラシコ、辛い。しかもバルサは好きな選手三人が悉く途中交替で下げられ、途中からどっちに声援を送るべきか判らなくなっちゃった。でも、おかげで中立的に見れたかもしれない。

勝ちを逃したレアル。
最後の局面で一部選手たちはチームの勝利よりも自分の活躍を優先しちゃった風に見えた。守備が怖がり過ぎだったのもあるが、何よりそこが追いつかれた原因に思う。どんなに戦力が再整備され、陣容が整っても、気持ちが一つにならなければ勝てない。

この病巣は厄介。選手の姿勢よりも、レアル・マドリッドというクラブの求心力が弱まっている事が原因に映るから。

立役者メッシ。
レアルの守備への評価はさておき、三点目まで若干「消えていた」のが故意だったら、こいつは凄い。メッシ+10人でW杯優勝出来るかもしれない。マラドーナのように。

ブラジルがグダグダのなので、古き良きサッカーの復権はアルヘンに賭けようかなぁ。
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by tototitta | 2007-03-14 20:54 | サッカー全般 | ▲ TOP
クラシコふたたび
(記&絵/minaco.)
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MARCAやASを見るようになって感じたのは、イングランドのタブロイドは「下世話(お節介)」だけど、スペインは「キツイ」なあ、という事。
スペイン語が出来る訳じゃないし、個人的な感触ではあるが、その違いには驚いた。批判も賞賛も、いちいち濃いい。

但し、スペインといってもメディアはカスティーリャ地方限定、あくまで内輪向けなんである。例えば「ロン来季レアル入り!?」なんて噂を見かける度、余所のクラブに対して何を失敬な!とムカついたが、それも仕方がないと気付いた。マドリディスタ向けに書いてるのであって、余所様が見るのを想定してないんだから。
現体制に不都合な事(カカを獲ると言ってたのに!というソシオの不満とか)から話題をそらして、さも楽観的な未来を煽り会長の面目を保つ為になら、メディアを使って何だってしてくるだろう。ドメスティックな政治の世界。
日本ではそれがそのまま伝えられてしまうけど、別にソシオじゃないコチラが付き合う事はないんである。カタルーニャのスポルト紙だって同じだろう。

そんな風に少しずつ、リーガ・エスパニョーラの流儀を知る日々。彼ら地方限定の誇りはピレネーより高い。余所者の事など眼中にない。

2度目のクラシコ。
お互いCLで敗退した直後。怪我人、続出。どうせカンプノウでボコボコにされるんでしょ・・・と覚悟してたのに、まさかこんな展開になるとは。
ジェットコースターみたいだった。上がったり下がったり、血圧に悪い。

ミュンヘンでの経験を踏まえてか、立ち上がりから激しく積極的に集中するレアル。開始5分のルートの先制点は、ユナイテッド時代一度しかなかったエリア外からのゴール。
すぐにメッシに同点にされるも、今度はPKで追加点。決めた瞬間、カンプノウは勿論ドン引き。おいおい、ここでハットトリックでもしたら、レジェンドになっちまうよ!(それはない?)
ところが更にまたメッシの一撃で、ノーガードの殴り合いの様相に。ラモスくんのせっかくの逆転ゴールも守り切れなかった。

ピボーテをやるマルケスとは、ばしばしとやり合う場面もあったけど、ルートにやや分あり。慣れない3バックを任されたオレゲールは早速ルートにカモにされ、削られ、おまけに前半で退場処分という散々な目に遭う。
バルサの3バックはブチ壊され、エトーもデコもマルケスも下げられて、「だったら最初から4バックにしろよ」となるほ堂もガックリ。センターFWのいないバルサとセンターFWしかいないレアル、不安定さはどっちもどっちなんだが。

へ(イ)グアインは走る格好やボールを持つ姿が、遠目でルートによく似てる。
へ(イ)グアインと組んだ方がルートの負担が減るのは確かだけど、同じようなプレイをする分、どうしてもその青さが目に付く。まるでNOAHの小橋建太と潮崎豪だ(←プロレス好きにしか解らない例えでスミマセン)。エッ、アラアラ、オイオイ・・ってな調子で、しょっぱいんだワこれが。そりゃ(そうは見えないけど)19才だもんね。メッシも同い年だけどさ。

何より悔やまれるのは、残り少ない時間帯でのカウンター。へ(イ)グアインはホビーニョにパスを出したけど、あそこでもっと時間を使いに行けばヨカッタのに・・。若さですなあ。キープする体力が残ってなかったのかもしれないが、レアルには守備的オプションがいないのよ。こういう時、便利なおシェイが居ればなあ。

怪我で休んだ後のルートは、PKの呪縛も解けてまた調子が上がってきたみたい。カンプノウでは、以前のルートのチャントと同じメロディが聞こえてきた(偶然ね)。
強いし、馬蹴りも発動してるし、この日はロングシュートも狙った。何よりクラシコのドブレーテは嬉しい。
でも勝てた試合を逃したのがぐやじい。ええ、ぐやじいですとも。
「3ポイントをポケットに入れてたはずなのに・・・」とルートも未練タラタラだった様子。ユニフォームにポケットは付いてないけどね。

試合後のMARCAやASは、このクラシコを「スリリングな試合」「バルサを圧倒」などと(要は「出来るじゃん、レアル!」と)評し、大いに盛り上がっていた。楽観的で羨ましい。
黄カード×10枚、ゴール×6、退場1人、ドラマチックな同点劇。これがフットボールと言われれば、そうなのかもしれないけど。この先またどうなるのか、私には解らない。

ただ、これから残り全部、解説者は野口さんをキボンです。
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by tototitta | 2007-03-13 22:38 | Ruud van Nistelrooy | ▲ TOP
ラーション、ロン、スミシーそしてキャリック
(記&絵/minaco.)
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<CL 2nd leg / UTD × LILLE>

ラーション様はほんの3ヶ月でユナイテッド・レジェンドになってしまった。

「止めてくれるな。行かねばならぬ」
ラーション様、もうすぐ春ですね。引き留める気などありませんとも。所詮あなたは行きずりのお方。
私達につかの間の幸せを届けてくれた、このご恩は忘れませんわ。
荒野のユル・ブリンナーのように、夕陽に消えゆく後姿を拝みます。賞金稼ぎの用心棒は、また次の町へと流れて行くのでしょう。どうか、お達者で・・・。

なんて、酒場の女将の気分で見送る私ですが、いや実は今引き留めてヘルシンボリの気分を害すより、ここは一旦大人しく引いて、オフの交渉を有利に運べる方がいいんではないかと。そんな下心もあったりして。

ホームで迎え撃つユナイテッドはミスも多く不安定で、隣のなるほ堂が心配しきりだったが、私はあまり気にならなかった。負ける気がしないというか(ぶっちゃけレアルの方が心配というか)。ま、ギグスがいなけりゃこんなもんでしょう。まるで自宅のソファにでも居るようにベンチで格好崩してるギグスを観ると、こっちも緊張感失くしちゃう。

ラーション様のゴールにも沸いたけど、スミシーが出て来た時には更に沸いた。
♪アーランスミス、アーランスミス、アーランスミ~ス~~・・のチャントはモリッシーのチャントとおんなじ(モリッシーにチャントがあるってのも凄いけどw)。スミス繋がりか。(モリッシーのチャントはコチラ 。元曲が思い出せないので、ご存知の方は是非お知らせ下さい)
勿論、我々も大合唱。久々復帰したスミシーのプレイが一番頼もしく見える。

ロンはシオ気を極めて新たなる境地を開いた。それが彼の成長。前述のレアルの若手と比べても、ロンはキャラクターが完成しつつある。それがここでは何より、大事なことかもしれない。正に"There only one Ronaldo♪"である。その強引さが理解されようとされまいと、この日のように敵をシオ漬けに出来ればいいんである。
ゴールをお膳立てし、ヤンキー座りで不敵に頷くロン。ルーたんが何故かどんどんカワイイ系キャラになるというのに、ロンの小悪魔ぶりがやがてギグスの域に達する日が来るんだろか。

今回はいつにも増して試合の話から離れますが、ついでに。

ビッグクラブであってもネタとキャラに懐が深いユナイテッド(←つきさん、有難うございます!)である。
ところがもう随分経つのに、未だ掴み所のないキャリック。奴は一体何者なんだ、というのが私にとって今季の懸念のひとつだった。

イングランドらしくないパスセンスには「キャリック=ペップ・グアルディオラ」という答えが出た。何故イングランドにペップが生まれるのか、それはまた謎だが、キャリックはそういう系譜の選手なのだった。そして今、ようやくそのキャラに対しても答えが見つかりつつある。

姫。

リオがあのガタイに乙女心を秘めたファンシー姐さんなら、キャリックは姫。顔はともかく。
美しいキック、正確なパス。どうもイングランドにしては優雅過ぎる。加えてピッチの汚れ仕事に慣れずに困惑する姿。「アタシ箸より重いもの持った事ないんですもの」と言わんばかりだ。

つまるところ、キャリックはかなり変人の予感。普段イタズラ好きのルー坊やリオの標的にされないよう、寝た振りして薄目で周囲を伺ってるという彼は、ちょっと油断ならないのであった。
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by tototitta | 2007-03-10 23:16 | Manchester United | ▲ TOP
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